『カシスウー論』 ~苦難の年の終わりに・・・編~
こんにちは イイダテツヤです。
第111回『カシスウー論』は「苦難の年の終わりに・・・編」です。
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あと数日で2011年も終わる。
私は記念日にはあまり興味をそそられないのだが、「年の節目」みたいなものは意外に好きで、「ああ、今年はこんな一年だったなぁ」、「来年はこんな年にしよう」とあれこれ考えるのが思いのほか楽しい。
といっても、今年の初めに「2011年は年間1500キロジョギングするぞ!」という目標を高らかに掲げたのに、三分の一程度しか走れなかったのだから、節目に私が考えることなどたいした価値はないのだが、それはそれとして、「あれこれ考える」のが好きなのだから仕方がない。
この時期、書店の雑誌コーナーへ行くと「2012年大予想」みたいな特集をいろんな雑誌が組んでいて、「来年はこんな年だ!」「こんなものが流行するぞ~」「こんな問題が顕在化する」みたいな話題がたくさん載っている。
雑誌「BRUTUS」では、「2012年、世の中が変わるときに読む263冊」という特集をやっていた。
どうせオススメするなら、100冊程度にまとめられなかったのかねぇ~、とも思うのだが、別に全部読むわけではないので、263冊だろうが、3485冊だろうが、とりあえずは構わない。
それより何より、2012年は「世の中が変わる年」らしいのだ。
もともと現代は変化の激しい時代だから、2012年だけが特別ではないのかもしれないけれど、なんとなく社会全体が何か大きな曲がり角に差しかかっているような印象は私にもある。
ひとつには、大きな震災のあった翌年ということもある。
その余波とも言うべき原発問題が継続しているということもあるだろう。
世界に目を向ければ、連鎖的な金融危機が起こり出口が見えないまま、という事情もある。
つい最近、北朝鮮の指導者が亡くなったというのも、一つの転換期と言えるだろう。
正直言って、世界のことはあまりよくわからないが、
日本という社会においては「何かが変わろうとしている」という空気はひしひしと感じる。
社会のシステムやしくみ、価値観、人との距離感など、さまざまな部分で従来のやり方が通用しなくなり、新しい形を模索し、さまよっているように感じられるのだ。
国全体としてもそうだし、個々の仕事をする上でも、さまざまな物や人との関わり方においても、そうだ。
何が、どう変わりそうなの?
とまっすぐに聞かれると、これはこれでうまく答えられないのだけれど、「なんとなく、どんな側面においても、これまでのやり方だと、近い将来行き詰まっちゃうんじゃないの・・・」と感じるのだ。
2011年は、そんなことを感じ、考えさせられる一年だった。
この一年、私は立ち止まり、じっくり考えてばかりいたような気がする。
震災の影響で、一時期呆然としてしまって、それが尾を引いていたのかもしれないし、そんなこととはまったく関係なく、私が勝手に黄昏れていたかっただけなのかもしれない。
いずれにしても、この一年、私は立ち止まって、さまざまなことを考えた。
立ち止まらなければ考えられない事柄というのもたしかにあるので、たまにはそんな時間を過ごすのも悪くはない。
そんな考える一年を過ごしてみて、私がもっとも感じたのは、「自分の頭で考え、自分にできることをやる」というスタンスの大切さだった。
言葉にしてしまうと拍子抜けするくらいに単純だが、このスタンスを日常に落とし込むのは想像以上にむずかしい。
なぜなら日常には「やらなければならないこと」があふれていて、その作業に忙殺されやすいからだ。
あるいは、自分が仕事をしている環境に慣れすぎてしまうという側面もあるだろう。
「だって、そういう業界だから」「それが従来のやり方だから」「そんなこと言っても不可能だから」と知らず知らずのうちに思い、自分の頭で考えることを放棄してしまう。
そんな場面も多い。
そのくらい「自分の頭で考え、自分にできることをやる」というのはむずかしいのだ。
でも、世の中が変わろうとしている今、日常に追われ、従来のシステムにどっぷりはまり、思考停止になっているのは、じつに危険なことだと私は思う。
何というか、向こう岸まで届いていない橋をみんなでズンズン進んでいるような心許なさを感じるのだ。
そんなわけでは私は2012年、いろんな人に「この橋の先はどうなっているの?」と問いかけて回ろうと思っている。
「質問は思考のスイッチだ」とある人が言っていたしね。
あなたがいま歩いている橋の先はどうなっているのだろう。
節目が好きな人がいたら、年末か、年始にでも考えてみてください。
何にしても私の2011年は「じっくり考えた一年」だったので、2012年は「行動の年」にしようと思う。
震災直後、松山千春は「知恵がある奴は知恵を出そう。力がある奴は力を出そう。金がある奴は金を出そう。『自分は何にも出せない』という奴は元気出せ!」と言ったそうだが、遅ればせながら来年私も何かを出そう。
自分の頭で考えて、自分に出せる何かを。
みなさん、今年も一年、配信されたり、されなかったりする「カシスウー論」におつき合いいただき、ありがとうございました。
ぜひとも、よい年をお迎えください。
2011年12月 苦難の年の終わりに・・・・・
イイダテツヤ
こんにちは イイダテツヤです。
第111回『カシスウー論』は「苦難の年の終わりに・・・編」です。
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あと数日で2011年も終わる。
私は記念日にはあまり興味をそそられないのだが、「年の節目」みたいなものは意外に好きで、「ああ、今年はこんな一年だったなぁ」、「来年はこんな年にしよう」とあれこれ考えるのが思いのほか楽しい。
といっても、今年の初めに「2011年は年間1500キロジョギングするぞ!」という目標を高らかに掲げたのに、三分の一程度しか走れなかったのだから、節目に私が考えることなどたいした価値はないのだが、それはそれとして、「あれこれ考える」のが好きなのだから仕方がない。
この時期、書店の雑誌コーナーへ行くと「2012年大予想」みたいな特集をいろんな雑誌が組んでいて、「来年はこんな年だ!」「こんなものが流行するぞ~」「こんな問題が顕在化する」みたいな話題がたくさん載っている。
雑誌「BRUTUS」では、「2012年、世の中が変わるときに読む263冊」という特集をやっていた。
どうせオススメするなら、100冊程度にまとめられなかったのかねぇ~、とも思うのだが、別に全部読むわけではないので、263冊だろうが、3485冊だろうが、とりあえずは構わない。
それより何より、2012年は「世の中が変わる年」らしいのだ。
もともと現代は変化の激しい時代だから、2012年だけが特別ではないのかもしれないけれど、なんとなく社会全体が何か大きな曲がり角に差しかかっているような印象は私にもある。
ひとつには、大きな震災のあった翌年ということもある。
その余波とも言うべき原発問題が継続しているということもあるだろう。
世界に目を向ければ、連鎖的な金融危機が起こり出口が見えないまま、という事情もある。
つい最近、北朝鮮の指導者が亡くなったというのも、一つの転換期と言えるだろう。
正直言って、世界のことはあまりよくわからないが、
日本という社会においては「何かが変わろうとしている」という空気はひしひしと感じる。
社会のシステムやしくみ、価値観、人との距離感など、さまざまな部分で従来のやり方が通用しなくなり、新しい形を模索し、さまよっているように感じられるのだ。
国全体としてもそうだし、個々の仕事をする上でも、さまざまな物や人との関わり方においても、そうだ。
何が、どう変わりそうなの?
とまっすぐに聞かれると、これはこれでうまく答えられないのだけれど、「なんとなく、どんな側面においても、これまでのやり方だと、近い将来行き詰まっちゃうんじゃないの・・・」と感じるのだ。
2011年は、そんなことを感じ、考えさせられる一年だった。
この一年、私は立ち止まり、じっくり考えてばかりいたような気がする。
震災の影響で、一時期呆然としてしまって、それが尾を引いていたのかもしれないし、そんなこととはまったく関係なく、私が勝手に黄昏れていたかっただけなのかもしれない。
いずれにしても、この一年、私は立ち止まって、さまざまなことを考えた。
立ち止まらなければ考えられない事柄というのもたしかにあるので、たまにはそんな時間を過ごすのも悪くはない。
そんな考える一年を過ごしてみて、私がもっとも感じたのは、「自分の頭で考え、自分にできることをやる」というスタンスの大切さだった。
言葉にしてしまうと拍子抜けするくらいに単純だが、このスタンスを日常に落とし込むのは想像以上にむずかしい。
なぜなら日常には「やらなければならないこと」があふれていて、その作業に忙殺されやすいからだ。
あるいは、自分が仕事をしている環境に慣れすぎてしまうという側面もあるだろう。
「だって、そういう業界だから」「それが従来のやり方だから」「そんなこと言っても不可能だから」と知らず知らずのうちに思い、自分の頭で考えることを放棄してしまう。
そんな場面も多い。
そのくらい「自分の頭で考え、自分にできることをやる」というのはむずかしいのだ。
でも、世の中が変わろうとしている今、日常に追われ、従来のシステムにどっぷりはまり、思考停止になっているのは、じつに危険なことだと私は思う。
何というか、向こう岸まで届いていない橋をみんなでズンズン進んでいるような心許なさを感じるのだ。
そんなわけでは私は2012年、いろんな人に「この橋の先はどうなっているの?」と問いかけて回ろうと思っている。
「質問は思考のスイッチだ」とある人が言っていたしね。
あなたがいま歩いている橋の先はどうなっているのだろう。
節目が好きな人がいたら、年末か、年始にでも考えてみてください。
何にしても私の2011年は「じっくり考えた一年」だったので、2012年は「行動の年」にしようと思う。
震災直後、松山千春は「知恵がある奴は知恵を出そう。力がある奴は力を出そう。金がある奴は金を出そう。『自分は何にも出せない』という奴は元気出せ!」と言ったそうだが、遅ればせながら来年私も何かを出そう。
自分の頭で考えて、自分に出せる何かを。
みなさん、今年も一年、配信されたり、されなかったりする「カシスウー論」におつき合いいただき、ありがとうございました。
ぜひとも、よい年をお迎えください。
2011年12月 苦難の年の終わりに・・・・・
イイダテツヤ
