『カシスウー論』 ~「ポケットに名言を」をポケットに・・・編~

 こんにちは イイダテツヤです。
 第114回『カシスウー論』は「ポケットに名言を」をポケットに・・・編です。

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 先日放送のアメトークは「読書芸人」がテーマだった。

 容易に想像できる通り、集まったのはピース又吉、オードリー若林、光浦靖子あたりだから話はそうそう盛り上がらないのだが、それはそれとして、スピードワゴンの小沢が寺山修司の「ポケットに名言を」という本を紹介していた。

 言ってみれば、「名言集の先駆け」みたいな本だ

 紹介した小沢は、「ポケットに名言を」というタイトルそのままに、いつもその本を持ち歩き、その日出会った一番素敵な人にプレゼントしているらしい。

 まあ、なんとも小沢らしいエピソードなのだが、
 寺山修司と言えば、大学時代に「さらばハイセイコー」(という寺山の詩)をテーマに卒論を書いた男がいた。

 卒論の提出期限当日になっても出来上がらず、その場にいた私が内容もよくわからないまま適当に結論を書き上げるという暴挙に出て、なんとか期限に間に合わせたという、いわくつきの卒論だ。

 そのとき私は初めて「さらばハイセイコー」という詩を読んだ。
 卒論の期限が迫るバタバタした雰囲気のなか、「なかなか素敵な詩だな」と思ったことをいまでも覚えている。

 ハイセイコーという競走馬の引退を軸に、さまざまな人間模様を描いた作品。
 興味がある人はぜひ読んでみてください。

 とまあ、そんな具合に卒論を仕上げたのに、結局その男は他の単位を取り損ねて卒業することはできなかった。
 そんな事情で私たちの苦労はまるで報われなかったのだが、「ポケットに名言を」をあらためてぺらぺら眺めていると、「まあそれも人生だろう」と不思議としみじみ思えてくる。

 名言にはそんな効力もある、ということだ。

 ついでに言うと、その男は自身の日記のなかで「明日からは、がんばりたいと思いたい」という世紀の名言の残している。

 「明日からは、がんばろう」でも、
 「明日からは、がんばりたいと思う」でもなく、
 「がんばりたいと思いたい」のだから、いったい、いつになったらがんばるのかわかったものではない。

 でもまあ、それでいいのだ。
 まったく示唆に富んではいないが、「印象に残っている名言を挙げろ」と言われれば、確実に5本の指に入る名言。いろんな意味で忘れられない。


 忘れられない名言と言えば、もう15年以上前、ある先輩から聞いた言葉も強く印象に残っている。

 当時、私はある劇団に所属していて、
 その稽古中「ほとんどの役者が芝居を楽しんでない。自分が楽しまなきゃ、客を楽しませられない」という話になったことがある。

 そのとき、プロデューサーだったその先輩が「そうは言っても、楽しむのに一番才能がいるんだよなぁ~」と小さくつぶやいたのだ。

 ズバッと急所を突くような名言だ。

 この世の中「楽しい仕事をしたい」、「人生を楽しみたい」と思っている人は大勢いるが、「楽しむのに一番才能がいる」ということを認識している人は、そう多くはないような気がする。

 きっと一生忘れられない一言だ。


 さて、寺山の「ポケットに名言を」では、映画の名台詞もたくさん収録されている。
 寺山は挙げていないが、私のなかで印象に残っているものと言えば「アンタッチャブル」のラストを締めくくった台詞だ。

 ときは禁酒法時代。
 酒の不法取引をしていたギャングの大物を、若き日のケビン・コスナー扮する保安官が逮捕するという物語だ。

 物語の終盤、そのギャングの大物が逮捕され、裁判で有罪が確定したとき、くしくも「禁酒法が廃止される」というニュースが飛び込んでくる。

「いったいオレは何のためにギャングたちと戦ってきたんだ」という無力感にさいなまれそうな保安官に記者たちが群がり、「禁酒法が廃止されましたが、これからどうしますか?」とマイクを向ける場面が訪れる。

 映画のラストシーンだ。

 そのとき、ケビン・コスナー演じるネスという保安官は記者たちに向かって、ただ一言「一杯やるさ」と答え、静かに歩き去っていく。

 なんて粋な一言なんだ。
 「決まったぁ!」という瞬間だね。ちょっと決まり過ぎだけど・・・・


 映画の名台詞と言えば、最近けっこう売れている伊集院静の「大人の流儀」も、ラストを映画の名台詞で締めている。

 本の最後に収録されているのは、25年という長い沈黙を破り、伊集院静自身が元妻・夏目雅子について語った文章。
 女優として大成する前の夏目雅子(という名前ですらなかった)との出会いから結婚、病気の発覚、闘病生活を経て死に至るまでの経緯が、淡々とした筆致で綴られている。

 話の詳細はそれぞれ読んでもらうとして、その最後の最後に、伊集院静は「数年前に見た映画のせりふ」として、次のような言葉を紹介している。


 「あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終わりがあるのよ」


救われるような、それでいて、より哀しくなるような不思議な言葉だ。

伊集院静がこの言葉に100パーセント共感しているのかはわからないが、「あるいは、そんな受けとめ方もあるのだろう」という思いを、彼なりに抱いたのかもしれない。

 きっとそれだけの時間が流れたのだろう。
 ちなみに、寺山修司は「ポケットに名言を」のなかで、ヘミングウェイの「陽はまた昇る」から次のような一節を紹介している。


 「きみはもう二度とその話はしないのかと思った」
 「だって仕方ないじゃないの」
 「話をすると思い出が消えちまうよ」
 「だから、まわりのほうだけ話してるのよ」


 伊集院静の最後の文章を読み、「なるほど、そういうことか」と私は思った。