朝、ブタ小屋へエサをやりに行くと、ピラミという名の一匹の雄ブタが失踪していた。

 

 ピラミは小さい頃から異常なまでに食欲旺盛で、エサをやりに行くと一番に飛び出してくるようなブタだった。バケツに頭ごと突っ込むので、顔を上げたときにはいつもエサがこんもりと額にくっついていた。

 そのくっついたエサがピラミッドのように盛り上がっているところから『ピラミ』という名前がついたのだ。

 

 そのピラミがいなくなった。

 

 その日、ほかのブタたちはまるでお通夜のように静かだった。ピラミの失踪は彼らにとっても少なからずショックだったようだ。

 

 私はピラミと仲のよかったスキップを呼んで、事情を訊いた。

「あいつは自分の夢のために旅立たなければならなかったんだ」とスキップは言った。

 

「ピラミが夢を抱いていたなんて、まるで知らなかったよ」と私が言うと、

「あいつは何でも自分ひとりで考え込むところがあったからな。俺たちの間でも知っているのはほんのわずかだ。だからあんたが知らないのも無理はない」とスキップは言って、何度か首を左右に振った。

 

「それでその夢っていうのは、いったいどんなものなんだろう?」

 そう私が訊ねると、差し込む朝日を眩しそうに見つめながらスキップは答えた。

「あいつの夢はとびきりうまいカツ丼になることさ」

「とびきりうまいカツ丼?」

「そうさ。そのためにあいつは密かに極上のタマネギを探したり、ときどきやってくるソバ屋にいろんな情報を聞き出したりしていたんだ。『本当にうまいカツ丼はソバ屋にあるんだ』って、あいつはよく言ってたよ」

 

 たしかに、ソバ屋のカツ丼はうまい。しかし、今はソバ屋のカツ丼について話をしている場合ではない。

 

「それならそうと言ってくれればよかったのに・・・」

 私はつぶやいた。

 実際、その手の話を打ち明けられたら、私にだってできることはあったはずだ。

 

 しかし、スキップはあきれたように少し笑った。

「あんたは何もわかっちゃいないな。あいつの性格を考えれば、あんたの世話になんかならず、自分の力で立派なカツ丼になろうとするに決まってるじゃないか」

 

 言われてみれば、確かにそうだった。

 週に一度のブタ洗いの日、ピラミは私が洗おうとするのをいつも頑なに拒んでいた。自分の体は自分できれいにするとばかりに、黙々と小屋の壁に体を擦りつけるような自尊心の強いブタだった。

 

「しかし、哀れなのはベンダーだよ」

 スキップはしみじみ言った。

 

 ベンダーとは、おならがラベンダーの香りがするということで名付けられた、とても上品な雌ブタだ。ピラミがそこに惚れたのかどうかはわからないが、とにかく二匹は将来を誓い合った仲だった。

 

「ピラミのやつ、ベンダーに『立派なカツ丼になって、必ず迎えに来る』って言ったらしいんだ」

 スキップは腹立たしげに言い捨てた。

 

「そんな、カツ丼になってしまったら、迎えに来ることなんてできないじゃないか」

「その通りさ。それはベンダーだってわかっていたさ。でも、それを承知でベンダーはピラミのことを送り出してやったんだ」

 私はベンダーの可愛いおしりを見つめ、女のプライドを見た気がした。

「とにかくピラミはもう帰ってこない。あんたも早く忘れた方がいいぜ」スキップはそう言い残すと、みんなのところへ帰っていった。

 

 

 ピラミがいなくなって数日後のこと、いつものようにエサをやりに小屋に入ると、目を疑うような光景が飛び込んできた。

 

 スキップとベンダーが仲よさそうにじゃれ合っていたのだ。

 

 慌ててほかのブタに事情を訊くと、彼らは交際を始めたという。

 私がやりきれない思いでスキップを睨みつけると、スキップは「これは俺たちの問題だ。あんたは黙っててくれ」と言わんばかりの冷たい視線を返してきた。

 

 それはそうだ。確かにブタにはブタの社会があり、考え方があり、男女の営みがある。私はそう自分に言い聞かせるようにして視線を逸らし、エサ場にエサをまき続けた。

 

 せめてピラミが立派なカツ丼になれるよう、私は心から祈った。

 これでもし生姜焼きや豚しゃぶなんかになっていたら、何というか、それはあんまりじゃないか。