フランスのアヌシーという町で「包丁を研いでいる間に何を考えるべきか」という国際シンポジウムが開催された。
各国の代表が湖と空気のきれいなこの町に集い、なかなか白熱した議論が交わされていた。
お隣スイスの代表が「計算機の数字の配列の整合性について考えるべきだ」と言えば、パキスタン代表はその意見に真っ向から異を唱えた。
「包丁を研いでいる最中に数字の配列なんてものを考えていたら、包丁の刃が砥石の上を何度往復するかに思考が流れてしまう。そもそも包丁研ぎというのは回数の問題ではなく、その鋭さこそが求められる作業なんだ。そんなことを考えるくらいなら、クリスティアーノ・ロナウドのフリーキックが描く弾道について考えるべきだ」
しかし、クリスティアーノ・ロナウドという一語が出てくるとヨーロッパの代表はこぞって反対した。なかでもオランダ代表の反発は凄まじかった。
「何がクリスティアーノ・ロナウドだ。だいたいクリスティアーノ・ロナウドのフリーキックなど、往年のクーマンには遠く及ばない。そもそも包丁を研ぐという作業には高度な芸術性が求められる。そういう作業には、ゴッホの芸術性について考えることこそが相応しい」
ゴッホの名を出されると、地元フランスが黙っているわけにはいかない。
「ゴッホの芸術性だって? 冗談を言ってもらっては困る。芸術性について考えるならば、モネをおいてほかにはないだろう。かの『印象・日の出』の情景を思い浮かべるだけで、新しい時代の幕開けを思わせるような麗しい包丁が出来上がるだろう」
フランス代表を皮切りにスペイン、ドイツ、オーストリアの代表が次々と自国の画家、音楽家を褒めそやし、国際シンポジウムとは名ばかりのお国自慢の場となってしまった。
そんななか、一人の代表がぼそりと言った。
「やはりここは『境界線』について、考えるべきではないでしょうか?」
そう発言したのはセルビア・モンテネグロの代表だった。
それだけに「境界線」という言葉には歴史の重みが感じられ、各国代表は「う〜む」と唸ってしまった。
そこで議長が発言した。
「それではここで包丁研ぎの権威であるニコラス・リュブナー氏に意見を聞いてみましょうではありませんか」
その一言で、各国の代表が一斉にリュブナー氏の方を振り返った。
「ミスターリュブナー、あなたは包丁を研ぐとき、いったい何を考えているのですか?」
するとリュブナー氏は小さく首を傾げ、そんなたいそうなことではないんだよ……と言わんばかりの微笑を浮かべた。
「境界線? まあ、人によってはそれも悪くはないでしょう。芸術性も、何かの整合性も捨てたものじゃない。だが、私が考えているのは餃子のヒダはいくつにするのがベストなのか。この一点につきます」
餃子のヒダ?
世界中の代表が一瞬の呆気にとられた。なかには餃子を知らない者もいて、こそこそと近くの代表に聞いている人もちらほら見られた。
そんななか、議場の一番奥に座っていた中国代表がゆっくりとしたリズムで拍手をはじめた。そしてその拍手につられて日本代表、ベトナム代表が拍手をはじめ、拍手の輪はモンゴル代表、シンガポール代表へと広がり、たちまち会場は拍手の渦に飲まれた。
まるで世界的な指揮者が率いるオーケストラの演奏が終わったときのような熱狂的な拍手のなか、「そうか、包丁を研いでいるときは、餃子のヒダについて考えればいのか!」「さすが、リュブナー氏だ!」という感嘆の声が次々と挙がった。
しかし、そんななか「それでは餃子の皮で包んでいるときはいったい何を考えればいいのだろう・・・」と、南アフリカ代表がポツリと言った。
その一言で、さっきまでの盛り上がりが嘘のように、会場はしーんと静まりかえってしまった。
そこで議長は高らかに宣言した。
「さあ、これで次回のテーマは決まりました。次回の国際シンポジウムは上海で開催いたします!」
会場は再び割れんばかりの拍手の渦に包まれた。
