僕の鼻は、生まれたときからとんがっている。
そのとんがり具合に、ベテランの産婦人科の先生も驚いたと言うから、それはもう、なんというか、本物の“とんがり”なのだ。
そういうわけで僕の誕生は、親戚一同と、産婦人科の関係者の間でかなりのセンセーションを巻き起こしたのだが、鼻がとんがっているという以外、僕にはとりたてて特徴はなく、じつに平凡な人生を歩いてきた。
みんなの話題の中心になることもなければ、誰かにひどく恨まれることもない。二年に一度くらいはちょっとした恋もするし、半年に一度くらいは軽く食欲がなくなる程度に落ち込みもするが、言ってみれば、その程度の話だ。
もしどこかに「平凡通り」という何の特徴もない通りがあったとしたら、僕はその真ん中を歩いているような人間である。
そんな僕も二十歳になり、人並みに激しい恋をした。
良くも悪くも思考回路のあっちこっちが普通じゃなくなる本物の恋だ。
幸運にも僕の恋は順調だった。
彼女は僕のとんがった鼻を素敵だと言い、それ以外に何も持たない僕に「一緒にいるととても落ち着くの」と言ってくれた。
僕にとってはとても、とても幸せな時間だったが、それも初めの二年だけしか続かなかった。
その二年の間に変わったことと言えば、僕の鼻のとんがり具合が少しずつ増していたくらいなもので、それ以上に何かが変わったという意識はなかった。少なくとも、僕はそのつもりだった。
しかし実際には、僕たちの関係はゆるやかな坂道を下っていくように、確実に変化していたのだ。
「どうしてあなたの鼻はそんなにもとんがってるの?」
あるとき彼女は僕に言った。
それはまるで生理的に受け付けないものを目にしたような激しい嫌悪に満ちていた。何かとても醜悪なものが長い期間を経て、救いようがないくらいに腐敗したような嫌悪だった。
これまで僕の鼻をあれこれ悪く言う人はいたが、それほどまでの嫌悪を僕は感じたことがなかった。
だから、僕は返答のしようもなく黙りこくり、気まずい時間だけが僕たちの後ろへだらだらと流れていった。
振り返ると、僕の後ろには“過去”がずらりと並んでいて、遙か遠くには彼女の手が愛おしそうに僕のとんがった鼻を撫でている様子が見えた。
でもそれは現在と繋がっているのが信じられないほどに遠い、遠い過去だった。
とにかく僕は悲しかった。
とんがった鼻も、遠い過去も、彼女の嫌悪感もすべてが悲しかった。
できることなら、彼女との関係を少しでも修復したかった。
次の日、僕はある決意を持って、薄汚れた雑居ビルにある、ひどく無機質な病院を訪ねた。依然として僕は悲しみを引きずっており、その悲しみをできるだけとんがった鼻に詰めて、鼻の先を切り落とす手術を受けるためだ。
手術は一時間ほどであっけなく終わり、一週間後に包帯を取ったとき、僕の鼻はみごとに丸くなっていた。
僕の新しい鼻を見て、彼女はケラケラと明るく笑い、愛おしそうに丸い鼻を撫でた。
それは新鮮なような、懐かしいような感触だった。
彼女の優しい手が僕の鼻の上をツルツル滑り、滑るたびに彼女は笑った。
単純に僕は嬉しかった。
でも同時に、自分が何に喜んでいるのかいまひとつよくわからないような、不思議な違和感もあった。
僕の心の大事な部分はあのとんがった鼻に凝縮されていて、それを切り落としたことで、僕は濃密な感情をなくしてしまったのかもしれない。
なんとなくだが、そんな気がした。
それからしばらくして、僕と彼女は別れることになった。
結局のところ、丸い鼻が僕たちの関係に決定的な変化をもたらすことはなかったのだ。僕と彼女の問題は鼻の形とは無関係だったのだろう。
もし、僕らを冷静に、客観的に観察している人がいたら「そんなことは初めから分かりきっていたよ」と言うのかもしれないけれど、少なくとも僕がそれに気づくためには、とんがった鼻を一度丸くするだけの結構ヘビーなプロセスが必要だったのだ。
そうやって僕は一人になり、再び病院へ行って、丸い鼻を元に戻した。深い理由があるわけではなく、そうすることが自然だと感じたからだ。
以前の手術と同じように一週間で包帯が取れたとき、それを待っていたかのように、溢れんばかりの悲しみが押し寄せてきた。
悲しみはゆっくりと弱まりながらも、一年経った今なお僕の鼻のなかで小さな波のように揺れている。
目を閉じると、一度目のとんがった鼻を優しく撫でる彼女の手の感触を思い出し、小さな痛みを伴う。二代目のとんがった鼻はその優しい感触と小さな痛みを、いつまでも忘れないのだろうと僕は思った。
最近気づいたのだが、いつの間にか僕の鼻は成長を止めたようだ。もうこれ以上、僕の鼻が大きく、鋭くなっていくことはない。
それは、大人になったせいかもしれないし、二度の手術の後遺症かもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
満員電車では人の耳に鼻先が入ってしまうし、よく鏡にはぶつかるし、うつ伏せで寝ることはできないけれど、それはそれとして仕方のないことだ。
たとえば誰かの目がぱっちりしていたり、誰かの顔がまん丸なように、僕の鼻はとんがっている。
二代目だけど、それが僕の鼻なのだ。
