僕には3か月に一度くらいのペースで、何をやってもうまくいかない時期があり、その真っ只中にいるときに『八方塞がりロック』という曲を書いた。

 

 その名の通り、何をやってもうまくいかないという歌詞で、どこへ向かっても壁にぶち当たってしまうという閉塞感たっぷりのメロディだ。

 

 だが、この曲の出来はなかなかよかった。

 僕の彼女なんて「今まであなたがつくった曲のなかで、サイコーよ」なんて言った。

 

 そんなことを言われても、正直僕は複雑な気分だったが、結局何も言わずにおいた。

 複雑な気分なんてものを伝えようとしたところで、ややこしい誤解を生むに違いないし、何をやってもうまくいかない時期にそんなむずかしいことができるはずなどないからだ。

 

 とにかく曲はなかなかよかった。

 彼女の言う通り……というのもなんだか癪だが、『八方塞がりロック』はライブでも好評だった。

 

 そしてついには、ある音楽レーベルからCD化しないかという話まで舞い込んだ。

 そんなことは僕の音楽人生で初めてのことで、声をかけてくれた担当者は「八方塞がり感がいいね」とわけのわからないことを言った。

 

 音楽関係者はときどきこういう言い方をする。

 その言い方自体は別に好きでも嫌いでもないが、とりあえず僕ならそんな言い方はしないだろう。まあでも、そんなことはどうでもいい話だ。

 

 僕は彼に「よろしくお願いします」と頭を下げ、『八方塞がりロック』はCD化された。

 名の売れたミュージシャンというわけではないので、セールスランキングに載るような華々しい売り上げではなかったが、“無名もの” としてはなかなかの売れ行きだった。

 

 しかし、それだけ事がうまく運んでくると、また違った弊害も起こってくる。

 ライブで歌う『八方塞がりロック』の評判が落ち始めたのだ。

 

 それはある意味当然のことだった。

 なにしろ僕はミュージシャンとしてこれまでにないほど順調なのだから、担当者の言う「八方塞がり感」など出るわけがない。

 

 それでもライブになれば『八方塞がりロック』を歌わないわけにはいかない。

 以前から僕を応援してくれているわずかな客を除き、ライブに来るほとんどの客は『八方塞がりロック』を聴きにくるのだ。

 そんな観客の前で、僕は順風満帆の『八方塞がりロック』を歌い、観客はその「塞がってない感」に失望した。

 

 そして当然のように客足は遠のいていった。

 

 いったい俺はどうすればいいんだ………

 

 そんなふうに落ち込み、気持ちが塞ぎ込んだころ、僕の歌う『八方塞がりロック』はまた息を吹き返す。

 

 だが、一度観客に見捨てられた曲がもう一度人々の心を捉えるのはむずかしい。

 今、僕が歌う『八方塞がりロック』は紛れもない八方塞がり感を携えているのだが、この曲が再び喝采を浴びることはなかった。

 

 そうやって、僕はまた何をやってもうまくいかない時期に突入する。

 しかし、『八方塞がりロック』をつくってしまった今となっては、そんな時期にまともな曲などできるわけがない。

 まさに八方塞がりだった。

 

 それでも部屋でギターを弾いていると、ときおり彼女が「八方塞がりロックを歌ってよ」とリクエストする。

 僕はDマイナーの音をボロンと鳴らし、静かに、ゆっくりと『八方塞がりロック』を歌う。

 

 彼女はタバコに火をつけて、どうでもいいラジオを聴いているような顔で、僕の歌を聴いている。

 そして僕が歌い終えると、「やっぱりサイコーよ」と言って彼女は微笑む。

 

 そんなとき、僕の「八方塞がり感」は少しだけダウンする。

 僕はギターをケースにしまい、「おいしいコーヒーでも飲みに行こうよ」と彼女を誘う。