『カシスウー論』 ~ほろ苦いiPhoneデビュー・・・編~
こんにちは イイダテツヤです。
第104回『カシスウー論』は「ほろ苦いiPhoneデビュー・・・編」です。
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つい先日、携帯電話をiPhoneに変えた。
ふらりとauショップに立ち寄って「iPhoneの料金でも聞いてみるか」という程度だったのに、そのままの勢いで、つい買ってしまったのだ。
いつかはスマートホンにしようと思っていたし、スマートホンにするときはきっとiPhoneだろうなぁと、特に理由もなく思っていたので、まあ、それはそれでいい。
それでいろいろ事務手続きをしてもらっているとき、女性の店員が「カバーはどうします?」とじつにさりげなく聞いてきた。
「カバー?」と私。
「はい。カバーや画面を保護するフィルムはつけたほうがいいと思いますよ」
「ああ、そうですね」
「ご覧になります?」
「えっ、ああ、じゃあ、見ます」
という感じで適当に返事をすると、その店員は一旦奥へ消え、しばらくして、小さなバスケットにiPhone用のカバーを5、6個入れて戻ってきた。
ちょうど、メガネを買ったときに無料でくれるメガネケースを選ぶような感じだ。
しかし、誤解しないで欲しい。
ここでは無料でくれるわけではない。カバーとフィルムのセットでだいたい2500円くらいはする。
さあ、ここからが問題だ。
通常ヨドバシカメラなんかへ行くと、壁一面がスマホのカバーコーナーになっていて、数百種類から選ぶことができる。
いまやそれが普通の光景だ。
ところが、いま私の目の前にある携帯カバーはせいぜい5、6個。
しかも、そのうちの4つはピンクとか、ヒョウ柄とか、あきらかに女性向けだ。
すると必然的に、黒っぽい妙なストライプ柄か、へんてこな緑のビニールタイプが残るのみ。
このなかに欲しいのはないなぁ・・・と正直私は思った。というより、誰もがそう思うはずだ。
いまどき、携帯カバーを二者択一で選ぶ人なんていない。
それならそれで「ちょっと気に入ったのがないので・・・」と素直に言えばいいのだが、そんなときに限って、私は妙に気を遣ってしまう。
いい歳をした男が携帯のカバー一つにこだわっているなんて、妙に恥ずかしいのではないか。
「若い子じゃないんだから、カバーなんて何でもいいからテキトーに選べばいいじゃん」と思われるんじゃないか。
などなど、いろいろと余計な気を回してしまうのだ。
実際、街角インタビューで、
「あなたは、携帯カバーの柄にこだわる方ですか?」と聞かれたら、
「いや、全然こだわりませんよ。カバーなんて何でもいいですから」と私は答える。
きっぱりと、胸を張ってそう答える。
もちろんそれはウソではないが、100%正確というわけでもない。
「何でもいい」というのは、本当の意味で「何でもいい」わけではない。
ある程度のモノのなかでは「何でもいい」というだけの話であって、もうちょっと正直なところを言うなれば、「2500円も出すなら、何でもいいというわけにはいかない」ということだ。
しかし、目の前の店員に、そんなことをくどくど説明するわけにもいかない。
店員は事務手続きをしながら、「気に入ったの、ありました?」と軽やかに私に聞いてくる。
別に他意はないのだろう。
携帯カバーを無理矢理売りつけようという雰囲気があるわけではない。
彼女としては、事務手続きの間、お客さんが暇を持て余しているみたいなので、「携帯カバーでも、見てればいいじゃん」くらいの気持ちでいたのだと思う。
それは重々わかっているのに、「じゃあ、これにします」と私は言って、へんてこな緑のビニールタイプを選んでしまった。
これまでの携帯も緑だったし・・・・・というだけの理由だ。
そんなわけで、ぴっかぴかの私のiPhoneは、ヘンテコな緑のビニールに覆われて、その輝かしいキャリアをスタートさせることになった。
ある人は、私の携帯カバーを見て「古い便所のスリッパみたい」と表現し、またある人は「自宅の庭にあるホースみたい」とも言った。
結局、私は2500円を払って、便所のスリッパ(あるいは庭のホース)を買い、せっせと持ち歩くことになったわけだ。
スティーブ・ジョブズは、従来型の携帯電話を「あんな不格好なものは我慢ならない」と言って、スマートで、すっきりとしたiPhoneを開発したと言う。
ジョブズは私の携帯を見て、いったい何と言うのだろうか。
おそらくは何も言わず、そっと目をそらすんだろうなぁ・・・・・
こんにちは イイダテツヤです。
第104回『カシスウー論』は「ほろ苦いiPhoneデビュー・・・編」です。
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つい先日、携帯電話をiPhoneに変えた。
ふらりとauショップに立ち寄って「iPhoneの料金でも聞いてみるか」という程度だったのに、そのままの勢いで、つい買ってしまったのだ。
いつかはスマートホンにしようと思っていたし、スマートホンにするときはきっとiPhoneだろうなぁと、特に理由もなく思っていたので、まあ、それはそれでいい。
それでいろいろ事務手続きをしてもらっているとき、女性の店員が「カバーはどうします?」とじつにさりげなく聞いてきた。
「カバー?」と私。
「はい。カバーや画面を保護するフィルムはつけたほうがいいと思いますよ」
「ああ、そうですね」
「ご覧になります?」
「えっ、ああ、じゃあ、見ます」
という感じで適当に返事をすると、その店員は一旦奥へ消え、しばらくして、小さなバスケットにiPhone用のカバーを5、6個入れて戻ってきた。
ちょうど、メガネを買ったときに無料でくれるメガネケースを選ぶような感じだ。
しかし、誤解しないで欲しい。
ここでは無料でくれるわけではない。カバーとフィルムのセットでだいたい2500円くらいはする。
さあ、ここからが問題だ。
通常ヨドバシカメラなんかへ行くと、壁一面がスマホのカバーコーナーになっていて、数百種類から選ぶことができる。
いまやそれが普通の光景だ。
ところが、いま私の目の前にある携帯カバーはせいぜい5、6個。
しかも、そのうちの4つはピンクとか、ヒョウ柄とか、あきらかに女性向けだ。
すると必然的に、黒っぽい妙なストライプ柄か、へんてこな緑のビニールタイプが残るのみ。
このなかに欲しいのはないなぁ・・・と正直私は思った。というより、誰もがそう思うはずだ。
いまどき、携帯カバーを二者択一で選ぶ人なんていない。
それならそれで「ちょっと気に入ったのがないので・・・」と素直に言えばいいのだが、そんなときに限って、私は妙に気を遣ってしまう。
いい歳をした男が携帯のカバー一つにこだわっているなんて、妙に恥ずかしいのではないか。
「若い子じゃないんだから、カバーなんて何でもいいからテキトーに選べばいいじゃん」と思われるんじゃないか。
などなど、いろいろと余計な気を回してしまうのだ。
実際、街角インタビューで、
「あなたは、携帯カバーの柄にこだわる方ですか?」と聞かれたら、
「いや、全然こだわりませんよ。カバーなんて何でもいいですから」と私は答える。
きっぱりと、胸を張ってそう答える。
もちろんそれはウソではないが、100%正確というわけでもない。
「何でもいい」というのは、本当の意味で「何でもいい」わけではない。
ある程度のモノのなかでは「何でもいい」というだけの話であって、もうちょっと正直なところを言うなれば、「2500円も出すなら、何でもいいというわけにはいかない」ということだ。
しかし、目の前の店員に、そんなことをくどくど説明するわけにもいかない。
店員は事務手続きをしながら、「気に入ったの、ありました?」と軽やかに私に聞いてくる。
別に他意はないのだろう。
携帯カバーを無理矢理売りつけようという雰囲気があるわけではない。
彼女としては、事務手続きの間、お客さんが暇を持て余しているみたいなので、「携帯カバーでも、見てればいいじゃん」くらいの気持ちでいたのだと思う。
それは重々わかっているのに、「じゃあ、これにします」と私は言って、へんてこな緑のビニールタイプを選んでしまった。
これまでの携帯も緑だったし・・・・・というだけの理由だ。
そんなわけで、ぴっかぴかの私のiPhoneは、ヘンテコな緑のビニールに覆われて、その輝かしいキャリアをスタートさせることになった。
ある人は、私の携帯カバーを見て「古い便所のスリッパみたい」と表現し、またある人は「自宅の庭にあるホースみたい」とも言った。
結局、私は2500円を払って、便所のスリッパ(あるいは庭のホース)を買い、せっせと持ち歩くことになったわけだ。
スティーブ・ジョブズは、従来型の携帯電話を「あんな不格好なものは我慢ならない」と言って、スマートで、すっきりとしたiPhoneを開発したと言う。
ジョブズは私の携帯を見て、いったい何と言うのだろうか。
おそらくは何も言わず、そっと目をそらすんだろうなぁ・・・・・
