『カシスウー論』 ~『わたしを離さないで』から感じた物語の効用・・・編~
こんにちは イイダテツヤです。
第95回『カシスウー論』は、『わたしを離さないで』から感じた物語の効用・・・編です。
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音楽にリズムやビートがあるように、小説にもその作品が持つ、独自のリズムやビートがある。
そしてそれを読む私たちの側にも、ある種のリズムやビートがあって、両者がうまく噛み合うと、それはなかなかよい読書体験となる。
カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』という本を読み、そんなことをふと思った。
ストーリーを詳しく説明することは避けるが、ごく簡単に紹介すると、『わたしを離さないで』はある特別な事情でこの世に生を受け、特別な使命を背負った三人(女二人、男一人)の物語だ。
物語は、そのうちの女性一人の回想録という形で、ゆっくりと、本当にゆっくりと進んでいく。ときには前へ進み、またあるときには時間をさかのぼりながら……
そのなかで、彼女たちをとりまく事情と、背負わされた使命が少しずつ明らかにされ、その事情と使命に寄り添うように、あるいは抗うように、生きていく様が丁寧に綴られていく。決して急ぐことなく、乱暴になることもなく。
知っている人も多いだろうが、カズオ・イシグロというのは日本生まれで、小さな頃にイギリスへ渡った人物だ。すでに国籍はイギリスになっており、日本語はほとんど話せない。両親は日本人で、生まれも日本だが、イギリス育ちのイギリス人だ。
もちろん小説は英語で書いており、イギリスでは(あるいは世界でも)非常に権威のあるブッカー賞を受賞した、世界的作家の一人だ。
小説の持つリズムやビートという話に戻るなら、カズオ・イシグロは比較的ゆっくりとしたビートを、安定的に打ち続けるような作品を書く。
『わたしを離さないで』に関して言えば、ラヴェル作曲の『ボレロ』のような作品と表現できるかもしれない。同じリズム、同じフレーズが、最初は小さく、さりげなく奏でられ、徐々に楽器が重なり合い、情景が広がり、次第にスケールが大きくなる。
ただし『ボレロ』の場合は、そのまま壮大で劇的なラストへと突っ走るのだが、『わたしを離さないで』は、おだやかな引き潮のように再び情景は小さく、遠くなり、大事な箱を閉じるみたいに物語は終息する。
そのゆったりとしたリズムがいまの私にフィットしていたのか、『わたしを離さないで』はなかなかおもしろく読めた。
そして同時に、あの種の小説は「いつ」「どんな心持ち」で読むかによって、その味わいは大きく違ってくるのだろうとも思った。
音楽や映画にも同じことが言える。
速いビートの音楽が体に染み渡ることもあれば、退屈としか言いようのない映画がすんなりと入り込んでくることもある。
作品と自分との調和の問題なのだ。
きっと私たちは、うまく自分と調和のとれた小説や音楽、あるいは映画を通り抜けることによって、ある種の感動や興奮、癒しや再生が成される。
ただ、興味深くも、むずかしいのは、実際に通り抜けてみるまで「いまの自分と調和のとれたものが何なのか」がよくわからないということだ。
ゆっくりとした音楽を聞きたいと意識で感じてはいても、速く、激しい音楽を聞くことで、思わず心が癒されたり、何の考えや目的もないまま、単なる偶然として、ゆったりとした小説を読み、再び立ち上がるエネルギーが湧いてくることもある。
体が無意識に欲しているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
いずれにしても、私たちは「いま、自分が欲しているもの」を正確に判断することができない。
だからこそ、いろんなものを自分の手の届く場所におき、いろいろと通り抜けてみることが大事なのだ。
そして、それらを味わい、心に染み渡すだけの「時間的猶予」を持っていなければならない。
実際私は、カズオ・イシグロのゆっくりとした物語を通り抜けることによって、ある種の癒しと再生を得ることができたような気がする。
とても贅沢で、価値のある時間だ。
しかし、どうも最近は「速くて、激しくて、わかりやすくて、おもしろいもの」ばかりが増え過ぎているような気がする。もちろん私も「速くて、激しくて、わかりやすくて、おもしろいもの」は大好きだ。大好物と言ってもいい。
でも、自分の大好物とは別に、心と体が「別の何か」を欲していることがある。たとえばそれは、静謐で、ゆったりと流れていく物語のようなものだ。
これは私だけでなく、誰もが同じように「ゆったりとした物語」(のようなもの)を必要としているのではないだろうか。
少なくとも私たちは、そのゆったりとした静謐な物語を心と体が欲していることを再び確認し、その物語を受けとめるだけの時間的猶予と精神的余裕を、自分たち自身で用意しなければならない。
忙しい日常から少しだけ離れ、ゆっくりと物語を堪能するための時間。
「日常とは違う物語を通り抜けよう」という心の余裕と、その隙間をうまく生み出すライフスタイル。
そんなものが必要だ。
物語自体は、映画でも、小説でも、音楽でも、絵画でも何でもいい。その何かが、ときどきは自分にうまくフィットして、思わぬ効果を発揮してくれるだろう。
それが物語の持つ大切な効用の一つだと私は思う。
話の内容とはほとんど関係ないけれど、カズオ・イシグロの書く『わたしを離さないで』は、そんなことを私に思い出させてくれた。
