『カシスウー論』 ~想像力を働かせるべきとき・・・編~


 こんにちは イイダテツヤです。 
 第92回『カシスウー論』は、『想像力を働かせるべきとき・・・』編です。

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 地震により、ひどいことになっている。

 関連して、たくさんの人がいろんな場所で、いろんなことを発言し、
 それに対する賛同の声、批判する動きなど、さまざまなことが起こっている。

 自分にできることはなんだろうか?
 そんな思いを抱いて、募金や節電をしたり、情報を発信、伝達している人も多いようだ。

 ほとんどが善意の連鎖なので、その動きをどうこう言う必要はないのだろうが、
 自分の言葉や行動について「相手はどう思うのだろう?」「本当に役に立つのだろうか?」という
 想像力を働かせることがとても大切に思える。

 ある人のツイッターに
 「朝から嫌な思いをした。
 あなたが怒号を向けたその駅員が東北出身かもしれないという想像力は働かないものか?」
 という類のものがあった。

 その想像力はたしかに必要だろう。
 ただし、それはいまに限った話ではない。

 どんなときでも、目の前の駅員が家族の問題で不安を抱えているかもしれないし、
 政治家は不眠不休で働いて、どこかの誰かを救おうとしているかもしれない。

 いつだって、名も知らぬ誰かが命がけで働いてくれるおかげで、電気やガスや水道が届いている。
 ほんの少し想像力を働かせれば、すぐにわかる話だ。

 いま、日本に住む多くの人が(もしかしたら、世界中の多く人も)
 メディアを通して被災地の凄惨な現場を目撃し、苦しんでいる人たちに思いを寄せようとしている。
 想像力を働かせ、何かをしようと思っている。

 募金や励ましという行為自体、
 何らかの想像力が働かなければ、なかなかできるものではない。

 正直に告白すると、普段の私は募金にあまり興味がない。
 そのお金がどこかで使われ、誰かが助けられるという知識はあっても、
 行動を引き出すほどリアルなイメージが沸かないのだ。

 でも、いまは少しだけ状況が違う。
 苦しんでいる人のことを思い、「何かできることをしよう」と自然に思える。
 そんな人もきっと大勢いるのだろう。

 後は、その想像力がどれだけ継続するかということ。

 たしかに、いまは特別な時かもしれない。
 連日、新しい問題が浮上しては、その対応に追われ、混乱する。

 しかし、どこまでが特別な時期で、どこからが平常時という境界線が引けるわけはなく、
 私たちの多くは、知らず知らずのうちに静かな日常へと戻っていくだろう。
 あるいは、その異常さに慣れ、適応し、日常化していくだろう。

 ただし、そのときこそ想像力を働かせなければならないのだと、私は思う。

 被災地から遠く離れた人たちが、ある種の日常を取り戻したとき、
 同じことが被災地で起こっているはずはないし、誰の助けも求めていないとは考えにくい。

 そのときに、私たちは何を感じ、何を思うのだろう。

 たとえばそのころ、復興のための資金が不足し、大幅な増税論議が展開されているかもしれない。
 10分、15分電車が遅れ、駅員にイライラしているかもしれない。

 電力会社の対応が悪く、クレームをつけたくなるかもしれないし、
 コンビニのレジ横に設置された小さな募金箱に気付きもしないかもしれない。


 このたいへんな時期に未来の想像をするなんて、
 現場に対する配慮を欠いた(それこそ想像力の乏しい)行為なのかもしれない。

 でも、「いまできることをする」という実際の行動と同じように、
 「いまできることをする」という思いを持続可能なものにすべく、
 想像力を膨らませておくことも大事なのだと私は思う。

 いま、現場で活躍できるのはプロの人だけ、という話をよく聞くが、
 二週間後、一ヶ月後、三ヶ月後、半年後に私たちができることは、もっと広がっているかもしれない。


 すでに始まっている計画停電は、当分続くとの報道もある。
 交通は混乱し、医療関係で頭を悩ませている人も多いと聞く。

 いま、まさに私の家も停電していて、水道も止まっている。
 トイレへ行っても、風呂に貯めた水をバケツで流すという状態だ。

 たしかに非常に不便だが、
 そんな不便さからでも、何かしら良い面を見つけることはできる。

 数ヶ月経った後、この不便な生活が続いていたとしたら、
 私は再び3月11日のことを思い出すかもしれない。
 何度もテレビで観た惨状を思い浮かべ、被災した人たちに思いを寄せることができるかもしれない。
 
 そのときには、コンビニのレジ横にそっと置かれた小さな募金箱に気がつけるかもしれない。

 いまはできるだけ普通の生活をして、
 普通の生活が戻ってきたときに、再び想像してみる。

 それもまた、大切なことのひとつだと私は思う。

 私は続けたいと思う。
 そして、一人でも多くの人が続けることで、その力はより大きく、価値あるものへなっていくのだと思う。