『カシスウー論』 ~神楽坂のスタンディング・バー『夢幻』編~


 こんにちは 菓子酢ウーロンです。 
 第28回『カシスウー論』は、神楽坂にあるスタンディング・バー『夢幻』編です。

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 神楽坂下の交差点から神楽坂をぐいぐり昇って、
 肉まんで有名な「五十番」の角を右に曲がってすぐのところに
 スタンディング・バー『夢幻』はある。

 何年か前、安価で、庶民的な立ち飲み屋がちょっとしたブームになったが、
 『夢幻』はその類の店ではない。

 頭のてっぺんからつま先まで正真正銘の「スタンディング・バー」で、
 間違っても「立ち飲み屋」なんて呼んではいけない。
 
 半地下にある店内に足を踏み入れると、その暗さにまず驚かされる。
 「お誕生日おめでと~う」なんて言って乾杯したり、
 下ネタでギャハギャハ盛り上がることなど、とても許されないダークで、デープな空間だ。


 夜、寝るときにオレンジ色の豆電球をつけっぱなしにする人がいるが、
 ひょっとすると、あの状態より少し暗いんじゃないかと思うほど。
 奥にあるテーブル席にいたっては、手元のカシスウーロンのグラスが見えないくらいに暗い。  
 そんなわけで私たちはほとんど真っ暗のなかで、立ってお酒を飲むことになる。

 真っ暗のなかで、立ってお酒を飲むんですよ。

 まるで禁酒法時代にこっそり酒を飲んでいるみたいで、かなり奇妙な気持ちになるが、
 それはそれで悪い気分でもないあたりが、きっと『夢幻』の魅力なのだろう。

 昔読んだ本のなかに、「クリエイティブになるには、この街は狭すぎる」というフレーズがあったが、
 「ハイテンションになるには、この店は暗すぎる」という表現が『夢幻』にはぴったりだ。

 大の男がハイテンションでカシスウーロンを飲んでいても、どっちにしても絵にならないので、
 真っ暗なスタンディング・バーで、コソコソ飲むくらいでちょうどいいのかもしれない。

 バーの店内が暗いのとはまったく関係ないのだが、
 暗いとか、明るいとかの話をしていると、
 私はときどき、小学校時代の同級生の女の子のことを思い出す。

 彼女はシノザキという名前で、とにかく地味で、暗い女の子だった。 
 ごく控えめに言っても容姿はパッとしなかったし、
 いつも不機嫌そうな表情をして、わざわざ周囲の印象を下げてまわっているみたいな子だった。
 
 それがもともとの顔なのか、何かにつけて虐げられ続けた経験によって貼り付いてしまった表情なのか、
 本当のところはわからない。
 いずれにしても、シノザキさんは血色の悪い土色の顔をして、いつもブスッとしていた。

 しかし、それだけの理由で記憶に強く残っているわけではない。
 小学、中学、高校時代をすべて振り返ってみれば、
 地味で、暗い女の子など、とりたててめずらしい存在ではない。


 小学校の卒業を間近に控えたころ、ちょっとした出来事が起こり、
 私は彼女のことを(そして、後に登場するもう一人の女の子のことも)、はっきりと記憶することになった。

 あるとき、中学校へ提出する資料という名目で、簡単なアンケート調査が実施された。
 いくつかの質問のなかに、「あなたの長所はどこですか?」という項目があった。
 ごくありふれた質問で、そのときは特に何も意識することはなかった。

 アンケート用紙は担任の先生が回収し、教師用の棚に置いてあったのだが、
 ある日の放課後、私はたまたまその内容の一部を見てしまったのだ。

 詳しい事情は忘れたが、先生に何かを取ってくるように頼まれ、
 そのついでに、なんとなく、本当に何の気なしに数枚のアンケート用紙を盗み見てしまったのだ。

 そのとき、教室にいたのは私とウエノさんという女の子の二人だけだった。

 このウエノさんというのも、シノザキさんに負けないくらい地味で、無口な女の子で、
 「暗い人ランキング」では、常に二人がトップ争いをしていた。
 数名の男子の間では、そんな残酷で、意地悪なランキングをすることがよくあったのだ。

 ウエノさんは、私がアンケート用紙を見ているのに気づき、
 黙ったまま私のそばに近寄ってきた。

 目の前に来たウエノさんは、逡巡するそぶりなどまったく見せず、
 アンケート用紙の束をバサッと手にとって、ぺらぺらとめくり始めた。

 もともとが肝の据わった性格なのか、周囲を気にしている様子もなく、
 罪悪感を感じているふうでもなかった。

 何枚かめくった後、シノザキさんの用紙が出てきたところで、ウエノさんの手が止まった。
 まるで、始めからシノザキさんのアンケートを探していたような止まり方だった。
 実際にそうだったのだと思う。 

 私もウエノさんの脇から、シノザキさんの用紙を覗き込んだ。
 私にしてみれれば、シノザキさんの答えなどどうでもよかったが、
 「ウエノさんがシノザキさんを気にしている」という事実に興味を抱いた。
 
 「あなたの長所は何ですか?」という質問に対し、シノザキさんは意外にも「明るいところ」と記入していた。

 それを見たウエノさんは、さげすむようなまなざしをして
 「明るいところだって、バカみたい」と言った。
 
 シノザキさんが自分の長所として、「明るいところ」と記入していたのにも驚いたが、
 むしろ私は、ウエノさんの態度と言葉に衝撃を受けてしまった。

 それまで私は、シノザキさんとも、ウエノさんとも口をきいたことが一度もなかった。
 おそらくクラスのほとんどが、彼女たちの声を聞いたことがなかったのではないだろうか。

 そのウエノさんが、シノザキさんに向かって「バカみたい」と冷たく言い放ったのだ。

 そのとき私は、いままでは薄い影みたいな存在だったウエノさんが、
 突然生々しく動き出したような気がした。

 そして、つい私は「ウエノさんは、何て書いたの?」と尋ねてしまった。

 なぜ、そんな質問をしたのか自分でもわからない。
 私のなかに、少なからず意地悪な感情があったのかもしれないし、
 純粋な興味が、思わず口から漏れてしまっただけなのかもしれない。

 質問をしてから、ウエノさんが答えるまでのわずかな間に、
 「そんなことを聞くべきではなかった」と後悔したが、
 言ってしまった後ではどうすることもできない。

 ごくわずかな間の後、「真面目なところって書いといたけど」
 と、ウエノさんはものすごくつまらないことのように教えてくれた。

 それだけ言うとウエノさんは私のもとを離れ、
 何事もなかったように自分のカバンを持ち、教室から出て行った。


 ただそれだけの出来事だ。

 その翌日から卒業する日まで、相変わらずウエノさんとシノザキさんは、地味で、無口で、愛想がなく、
 つまらなそうに、暗い日常を送っていた。

 しかし、むっつりと押し黙っている彼女たちのなかには、
 硬くて、重い感情のうねりのようなものがどっしりと横たわっている。
 私はその一部を、ひょんな形でかいま見てしまったのだ。 

 それ以降、私のなかで彼女たちの存在は急激にリアルになって、
 以前のように、簡単にからかったり、馬鹿にしたりすることができなくなった。
 
 私たち(シノザキさんとウエノさんと私)は、同じ中学へ進学したが、
 中学の三年間も、そしてもちろんそれ以降も、一度として言葉を交わすことはなかった。


 きっと彼女たちは、私のことなどとうの昔に忘れてしまっているだろうが、
 私は彼女たちのことを(ある一側面とは言え)鮮明に覚えているし、これからも忘れることはないだろう。


 別に懐かしい思い出でもないし、ブログに書くような話でもないんだろうけど、
 こうやって書いてみると、記憶が一つ整理されて、すとんと箱の中に納まったような気持ちになる。

 



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