『カシスウー論』 ~高田馬場の居酒屋『きぬ屋』編~


 こんにちは 飯田哲也です。 
 第25回『カシスウー論』は、高田馬場にある和風居酒屋『きぬ屋』編です。

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 JR高田馬場駅を出て、早稲田通りを右側へ(明治通りに向かって)進むと、
 だいたい5分くらい歩いた左側に居酒屋『きぬ屋』がある。
 地下にあるお店のうえ、看板はわかりにくいので、
 行ってみたいという人は、注意して探しながら歩いてください。

 目前に明治通りが見えてきたら、完全に通り過ぎているので、引き返しましょう。

 この『きぬ屋』、店内には靴を脱いで入るのだが、
 下駄箱のフタが半透明のプラスチック板になっていて、店の雰囲気とあまり合っていない。
 
 店内は落ち着いた木目調なのに、
 下駄箱だけがなぜかひと昔前のSF映画に出てくる間違った近未来みたいな感じになっている。

 下駄箱なんて実際にはどうでもいいんだけど、
 「よりによって、どうしてこんなものを選んでしまったのかな?」とつい気になってしまうのだ。

 だって、コッテコテの和風居酒屋なんだから、
 いわゆる普通の、木製の下駄箱にしておけばいいじゃない。

 もしかしたら、店長が昔奥さんにプロポーズした店の下駄箱が半透明なプラスチック製だったとか、
 風水か何かの偉い先生に
 「薄い光を通す下駄箱にすると、商売繁盛しますよ」なんて、いかがわしいアドバイスをされたか、
 はたまた、以前は木製の下駄箱だったが、酒に酔った早大生に壊されてしまい、
 「今度また壊されてはたまらない」ということで、NASAが開発した強化プラスチック製に変えたのかもしれない。

 とにかく、何らかの理由がなければ「そんな下駄箱は選ばないでしょ」という下駄箱である。
 もし、あの下駄箱をカッコイイと思ってチョイスしたのなら、いや、ホント、どうもすみません。
 でも、やっぱ、あれは、ちょっと、サイバー過ぎるって言うか・・・・

 下駄箱の話でずいぶん盛り上がってしまったが、店内は和風居酒屋らしいとても落ち着いた雰囲気で、
 食べ物もだいたいおいしいので、普通におすすめできる店です。
 カシスウーロンもあるので、安心してください。(誰も心配してないだろうけどさ・・・)


 久しぶりに高田馬場へ来てみると、何というか、街の若さみたいなものをじんわりと感じる。
 駅前で待っている人も、大学生風の集団が多いし、牛丼屋とか、ハンバーグ屋など、
 「ウェルカム若者」的な店が多い。

 大学時代の私も、きっとこんなふうに高田馬場から歓迎(ウェルカム)されていたのだろうと思う。

 山水でビリヤードを何時間もやって、腹が減ったら「洋包丁」(さかえ通りにある洋食屋)で、
 ボリューム満点の「スタミナ焼」をペロリと平らげ、カラオケボックスで朝まで大騒ぎする。
 それでも足りなければ、新目白通りのデニーズへ行って、どうでもいいことを昼まで話し、
 その勢いで大学の授業をさぼる。

 そんな私たちを高田馬場という街は、「まあ、適当に、勝手にやれや」という慣れた感じで許容してくれた。
 少なくとも以前の私たちにとって、高田馬場とはそんな街だった。


 以前、取材をした大学の先生が「歳をとるとは、ものの見え方が変わるということだ」と話していたが、
 高田馬場の街を見ていると、
 「なるほど、街そのものはあまり変わっていないのに、ずいぶんと見え方が違うものだ」と実感した。

 さらに、その先生は「歳をとると、本や新聞の字は見えにくくなるが、その分、社会の物事はよく見えるようになる」
 と、なかなか粋なことを言っていた。
 

 高田馬場から帰る電車の中で、60歳代と思われる男性が、
 なぜか両方のレンズに壊滅的なひびの入ったメガネをかけて、
 必死で路線図を見ようとしている場面に遭遇した。

 おそらく、自分の乗換駅がわからないのだろう。

 しかし、ひびの入ったレンズでは、視界そのものが白っぽくなってしまって、よく見えない。
 彼は何度もメガネをかけたり外したりして路線図を確認していたが、思うように見えないらしい。

 そして、いろいろ試行錯誤するうちに、片方のレンズがフレームから外れ、床に落ちて粉々に割れてしまった。
 電車に乗り合わせた人たちは、一斉に彼に注目したが、当の本人はあまり気にしていないようだ。
 もともとが壊滅的なひびの入ったレンズなので、遅かれ速かれ壊れる運命だったのだろう。

 メガネをあっさりとあきらめた彼は、携帯電話を取り出して、なにやら検索を始めた。

 乗り換え駅をウェブで確認しようと考えたのだろう。
 
 なかなかいい発想の転換だ。
 ところが、今度は携帯電話の字が読めない。
 電話を近づけたり、遠ざけたりするのだが、どうにもうまくいかない。

 私としても、このあたりで助け船を出そうかと思ったのだが、
 あまりにも必死な様子で、声をかけるタイミングがとれない。

 そういうことってあるでしょ。
 困っているのがわかっていもて、ある種の隙のようなものがないと、なかなか切り込んではいけないものだ。

 そんな私の思いを知るはずもなく、彼は必死の形相で携帯電話を近づけたり、遠ざけたりしている。
 なんだか、呪術的な踊りをしているみたいに見える。

 しばらくして彼は何かを思いついたように、鞄の中をごそごそと探り始めた。
 そして、老眼鏡のケースを取り出した。
 通常のメガネケースよりもあきらかに細い老眼鏡専用のケースだ。

 「おお、これで携帯の画面が見えるぞ」と私は思ったし、彼も思ったことだろう。

 しかし、現実はそう甘くはなかった。
 彼がケースをパカッと開けてみると、見事に中はカラだった。コントみたいにカラだった。

 「えっ、カラかよ!」と私は思い、思わずちょっと笑ってしまった。

 だが、彼にとっては笑い事ではない。
 右手で髪の毛をかきむしり、「どこで忘れてきたんだっけ・・・」という感じで、必死に記憶を辿り始めた。

 しかし、思い当たる場所は記憶のどこにも存在していなかったらしく、「ふぅ~」と大きなため息をつき、
 すべてをあきらめたみたいに壊れたメガネとカラのメガネケースを鞄にしまった。
 そして、彼は座席にどっかりと腰を下ろし、最期のときを受け入れる人みたいに、静かに目を閉じてしまった。

 おいおい、おっさん、この先いったいどうするつもりだよ!

 時刻はもうすぐ深夜12時になろうとしている。
 このまま電車に乗っていたら、もっとやっかいな事態になるはずだ。

 そうはいっても、目を閉じて、悟りを開こうとしているおっさんを揺り動かしてまで、
 「どうかしましたか?」なんて尋ねるわけにはいかず、結局そのまま放っておくしかなかった。

 ああ、あのおっさんはあの後どうしたのだろう。

 「歳をとること」について教えてくれた大学の先生が言うように、
 目が悪くなるのと引き替えに、あのおっさんにも社会の物事がきちんと見えていたのだろうか。

 「たぶん、見えていないだろうなぁ~」と、若輩者ながら、私は思う。
 だって、社会の物事をきちんと見ている人が、深夜の山手線で、乗り換え駅を確認するのをあきらめ、
 座席に座り、すべてを受け入れるみたいに目を閉じてしまうだろうか。
 
 いずれにしても、私にはわからないことばかりだ。

 歳をとると、いつかわかるようになるのかもしれないが、
 何十年たっても、あのおっさんの行動だけは理解できないような気がする。

 とりたてて理解したいとも思わないしね