『カシスウー論』 ~『叙々苑 四谷店』編~
こんにちは 菓子酢ウーロンです。
第13回「カシスウー論」は、『叙々苑 四谷店』編です。
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以前、私は演劇をやっていて、その仲間たちとよく叙々苑(四谷店)へ行った。
当時、劇団の事務所が信濃町にあって、四谷まで歩いていけるという理由だけで、けっこうな頻度で食べに行っていた。
「劇団員=貧乏」という図式にどっぷりはまっていたはずなのに、
どういうわけか私たちは叙々苑なんてハイレベルな焼肉屋に通っていたのだ。
家の電気やガスが止められても、叙々苑で焼肉を食べる。
私を含め劇団員の何人かは、そんなアホみたいな金の使い方を当たり前のようにしていた。
「何も叙々苑なんかに行かなくてもよかったのに」といまは思うが、当時には当時の考え方があり、
いまの判断が必ずしも正しいとは言えないだろう。
タイムマシンに乗って、当時の自分に「おい、もっと安い焼き肉屋へ行けよ!」と言ったところで、
「うるせえな、オヤジ! どこで食おうが、おれたちの勝手だろ!」と追い返されるに決まっている。
それにしても、若い男というのはとにかく焼き肉が大好きだ。
仲間内の誰かが「焼肉行こうぜ!」と言ったら、
「いいね!」と言って、無条件に賛成してしまう不思議なパワーが焼き肉にはある。
若い男(あるいは、いつまでも「自分は若い」と思い込んでいる男)にとって、
焼肉は最高の食べ物であり、元気の源であり、自分へのご褒美なのだ。
その時期を過ぎてしまうと、焼肉の魔力は急激に衰えてしまうのだが、
当時の私たちにとって、叙々苑の焼肉は全盛期のマイク・タイソンのような破壊力があった。
そして、仲間内で焼肉を食べるというのは、なかなか大人びた体験でもだった。
私が焼肉デビューをした頃は、いまみたいにそこらじゅうに「牛角」があったり、
家族揃ってファミレスみたいな焼肉屋へ食べに行くような時代ではなかった。
そんな恵まれた焼き肉環境が完備するのはもう少し後のことで、
たいていの場合、高校を卒業するまで外で焼肉を食べる機会など皆無だったのだ。
私も、大学生になって初めてサークルの先輩に焼肉屋へ連れて行ってもらったとき、
「おお、これが焼肉屋かぁ~」「おれも大人になったもんだ」と心の底から思った。
しかし、焼肉屋とはなかなか面倒な場所で、
まともに食事をしようと思ったら、それなりの知識と経験がどうしても必要になる。
男たちは、先輩のやることを一つひとつ学びながら、一人前の『焼肉人』として成長しなければならないのだ。
もちろん、私も例外ではない。
「へぇ~、タン塩ってヤツはレモン汁で食べるのか・・・」
「サンチュとキムチを最初に頼む人が多いな・・・」
「これがユッケってやつか・・・」
「クッパって何だ?」
「ビビンバとビビンパはどっちが正解??」
など、次から次へと不可解なナゾが沸き起こっては、よくわからないまま咀嚼し、飲み込んだ。
大人の階段を昇るのも、そうそう楽ではないのだ。
大人の階段を昇ってしまった後に思うのは、「どう考えても焼肉屋には専門用語が多すぎる」ということだ。
タン塩、サンチュ、ユッケ、クッパ、ビビンバ、ハラミ、ハツ、ミノなんて用語を覚えても、日常生活ではまったく役に立たない。
肉の部位をあんなにも神経質に分類して、いちいちメニューに並べたてる必要がそもそもあるのだろうか。
中トロ、大トロ、赤身くらい大雑把な分類のほうが、よっぽどおいしく食べられる。
焼き肉問題はそれだけに留まらない。
妙に忙しくて、落ち着いて食べられないというのも、焼肉が抱えるシリアスかつ、決してなくならない問題だ。
「焼いては、食べる」「食べては、焼く」というマッチポンプ的ルーティンについて、
みんなは面倒だと感じないのだろうか。
誰かに気を使って肉を焼いたり、 焦げないように皿に取り分けたり、
焼くためのスペースを空けるために、野菜を隅っこに寄せたり、 まあ、とにかく忙しい。
それなりに注意していても、隅っこに追いやったカボチャが焦げてたり、
ニンジンがカピカピになってたりするもんだから、トークに集中することなんてできやしない。
脇に置いたカシスウーロンはすぐに温まってしまうし、 調子よくサンチュを使っていると瞬く間になくなってしまう。
とにかく、焼き肉問題を数え上げればキリがないのだ。
個人的に私は肉一枚につきサンチュを一枚きっちり使いたいタイプだ。
ロースだ、ミノだと、肉のバリエーションは不要で、
潔くカルビ一辺倒でいいから、サンチュだけはもりもり食べたい。
でも、そんなバランスでサンチュを消費していると、ひっきりなしにオーダーしなければならなくなる。
「カルビ一人前、あとサンチュ!」
「生ビール中ジョッキ、あとサンチュ!」
「カシスウーロンおかわり、あとサンチュ!」
なんてことになってしまうわけだ。
そんなことをいろいろと気にしていると、本当に疲れてしまうのだ。
「今日は焼肉でも食って、精をつけるか!」なんて言う人がいるが、
私にしてみれば、「精をつけるどころか、精も根も尽き果てるわ!」と言いたい気分である。
きっと私は、味覚以前の問題で、焼肉とは性格的に相性が悪いのだろう。
叙々苑さんには高い授業料を払っていろいろと勉強させてもらったが、あまり役にはたたなかったようだ。
別にフォローするわけじゃないけど、叙々苑サラダは文句なしにうまい。
関係者が聞いたら、「サラダを褒められても・・・」と思うかもしれないけどさ。
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こんにちは 菓子酢ウーロンです。
第13回「カシスウー論」は、『叙々苑 四谷店』編です。
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以前、私は演劇をやっていて、その仲間たちとよく叙々苑(四谷店)へ行った。
当時、劇団の事務所が信濃町にあって、四谷まで歩いていけるという理由だけで、けっこうな頻度で食べに行っていた。
「劇団員=貧乏」という図式にどっぷりはまっていたはずなのに、
どういうわけか私たちは叙々苑なんてハイレベルな焼肉屋に通っていたのだ。
家の電気やガスが止められても、叙々苑で焼肉を食べる。
私を含め劇団員の何人かは、そんなアホみたいな金の使い方を当たり前のようにしていた。
「何も叙々苑なんかに行かなくてもよかったのに」といまは思うが、当時には当時の考え方があり、
いまの判断が必ずしも正しいとは言えないだろう。
タイムマシンに乗って、当時の自分に「おい、もっと安い焼き肉屋へ行けよ!」と言ったところで、
「うるせえな、オヤジ! どこで食おうが、おれたちの勝手だろ!」と追い返されるに決まっている。
それにしても、若い男というのはとにかく焼き肉が大好きだ。
仲間内の誰かが「焼肉行こうぜ!」と言ったら、
「いいね!」と言って、無条件に賛成してしまう不思議なパワーが焼き肉にはある。
若い男(あるいは、いつまでも「自分は若い」と思い込んでいる男)にとって、
焼肉は最高の食べ物であり、元気の源であり、自分へのご褒美なのだ。
その時期を過ぎてしまうと、焼肉の魔力は急激に衰えてしまうのだが、
当時の私たちにとって、叙々苑の焼肉は全盛期のマイク・タイソンのような破壊力があった。
そして、仲間内で焼肉を食べるというのは、なかなか大人びた体験でもだった。
私が焼肉デビューをした頃は、いまみたいにそこらじゅうに「牛角」があったり、
家族揃ってファミレスみたいな焼肉屋へ食べに行くような時代ではなかった。
そんな恵まれた焼き肉環境が完備するのはもう少し後のことで、
たいていの場合、高校を卒業するまで外で焼肉を食べる機会など皆無だったのだ。
私も、大学生になって初めてサークルの先輩に焼肉屋へ連れて行ってもらったとき、
「おお、これが焼肉屋かぁ~」「おれも大人になったもんだ」と心の底から思った。
しかし、焼肉屋とはなかなか面倒な場所で、
まともに食事をしようと思ったら、それなりの知識と経験がどうしても必要になる。
男たちは、先輩のやることを一つひとつ学びながら、一人前の『焼肉人』として成長しなければならないのだ。
もちろん、私も例外ではない。
「へぇ~、タン塩ってヤツはレモン汁で食べるのか・・・」
「サンチュとキムチを最初に頼む人が多いな・・・」
「これがユッケってやつか・・・」
「クッパって何だ?」
「ビビンバとビビンパはどっちが正解??」
など、次から次へと不可解なナゾが沸き起こっては、よくわからないまま咀嚼し、飲み込んだ。
大人の階段を昇るのも、そうそう楽ではないのだ。
大人の階段を昇ってしまった後に思うのは、「どう考えても焼肉屋には専門用語が多すぎる」ということだ。
タン塩、サンチュ、ユッケ、クッパ、ビビンバ、ハラミ、ハツ、ミノなんて用語を覚えても、日常生活ではまったく役に立たない。
肉の部位をあんなにも神経質に分類して、いちいちメニューに並べたてる必要がそもそもあるのだろうか。
中トロ、大トロ、赤身くらい大雑把な分類のほうが、よっぽどおいしく食べられる。
焼き肉問題はそれだけに留まらない。
妙に忙しくて、落ち着いて食べられないというのも、焼肉が抱えるシリアスかつ、決してなくならない問題だ。
「焼いては、食べる」「食べては、焼く」というマッチポンプ的ルーティンについて、
みんなは面倒だと感じないのだろうか。
誰かに気を使って肉を焼いたり、 焦げないように皿に取り分けたり、
焼くためのスペースを空けるために、野菜を隅っこに寄せたり、 まあ、とにかく忙しい。
それなりに注意していても、隅っこに追いやったカボチャが焦げてたり、
ニンジンがカピカピになってたりするもんだから、トークに集中することなんてできやしない。
脇に置いたカシスウーロンはすぐに温まってしまうし、 調子よくサンチュを使っていると瞬く間になくなってしまう。
とにかく、焼き肉問題を数え上げればキリがないのだ。
個人的に私は肉一枚につきサンチュを一枚きっちり使いたいタイプだ。
ロースだ、ミノだと、肉のバリエーションは不要で、
潔くカルビ一辺倒でいいから、サンチュだけはもりもり食べたい。
でも、そんなバランスでサンチュを消費していると、ひっきりなしにオーダーしなければならなくなる。
「カルビ一人前、あとサンチュ!」
「生ビール中ジョッキ、あとサンチュ!」
「カシスウーロンおかわり、あとサンチュ!」
なんてことになってしまうわけだ。
そんなことをいろいろと気にしていると、本当に疲れてしまうのだ。
「今日は焼肉でも食って、精をつけるか!」なんて言う人がいるが、
私にしてみれば、「精をつけるどころか、精も根も尽き果てるわ!」と言いたい気分である。
きっと私は、味覚以前の問題で、焼肉とは性格的に相性が悪いのだろう。
叙々苑さんには高い授業料を払っていろいろと勉強させてもらったが、あまり役にはたたなかったようだ。
別にフォローするわけじゃないけど、叙々苑サラダは文句なしにうまい。
関係者が聞いたら、「サラダを褒められても・・・」と思うかもしれないけどさ。
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