50代からのネット起業!一度きりの人生、ネットを使って「好きなことで稼げる女性」になるためのネット集客初心者さん専門コーチKasumi
💭「SNSで集客したいけど、何から手をつけていいか分からない・・・」
💭「インスタやホットペッパーを始めてみたものの、結局放置している・・・」
💭「難しいカタカナ言葉ばかりで説明されても、正直分からない!」
そんな方へ、元ホットペッパー営業・現フォロワー約4万人企業アカウント中の人のKasumiが「SNS初心者でも理解できるやさしい言葉で」サロン集客のコツをお伝えしていくブログです♪
みなさん、初めまして!サロン集客コーチのKasumiと申します。このブログでは、元ホットペッパービューティ営業・現約4万フォロワー企業アカウントの中の人である私が、「SNS初心者さん」そしてその中でも「50代の女性」に向けて、サロン運営に役立つ情報を発信していきたいと思っております♪私のモットーは、2つ!・難しい言葉を使わない!・「しっくり感」「納得感」を大事にする!ということです。みなさん、こんな経験ありませんでしょうか?💭「上手な集客方法を学びたいけど、難しいカタカナ言葉ばかりで嫌になる・・・」💭「こうすれば集客できるよと言われても、なんとなくやる気が起きない・・・後回しにしてしまう・・・」💭「難しい横文字や、キラキラ・派手な雰囲気がどうも苦手・・・」こんな方には特に、私のブログを読んでいってほしいです。SNSやホットペッパーなどWEBを使った集客のコツを、【難しくない・分かりやすい言葉で】、そして、【納得できる「理由」をしっかり添えて】ご紹介していきます。ここで私Kasumiについて、少しお話しさせていただきます。私について東京に住む、田舎出身のごく普通のアラサー女性です。1996年生まれ。母と弟との3人家族です(現在はみんなバラバラに生活しています)。東京の大学を卒業した後、株式会社リクルートに就職。ホットペッパービューティという美容サロンの検索サイトの営業担当として、100を超えるサロン様の広告運用に携わりました。そこでの経験を通じてもっともっと「ネットで売る」という力をつけたいという思いが強くなり、心機一転アクセサリーをネットで売る会社に転職。半年もかからず1人でショップのインスタフォロワーを1万人超えにし、売上目標を達成できたことで「自分のこのスキルをもっとネットが苦手で困っている方に届けたい」と思うようになりました。その中で、まずはホットペッパー時代に培った「サロン運営」に絞って情報発信しようとこのブログを始めました。趣味はアイドル鑑賞!女性アイドルは幅広く、男性アイドルはデビュー前から応援しているSnow Man一筋です!⛄️Snow Man好きな方とは年齢問わずすぐにお友達になれそうです♪他には料理、美容も好き!作り置きを作ったり、新しく出たコスメを試してみたりして楽しんでいます✨アラサーの私が、SNS初心者の50代女性の力になりたいと思った理由1つ目の理由は、【自分の得意分野だから】です。ホットペッパー時代、本当にさまざまなサロンオーナー様と関わらせていただき、さまざまな経験をさせていただきました。その中で、私が1番印象に残っている美容院があります。その美容院は、「ここ約1年間、一度も新規のお客様がきていない」というお店。オーナー様も還暦目前、パソコンも上手くさわれないし、今回ホットペッパーをやって上手くいかなかったらもうお店を畳もうと思っていると仰っていました。そんな中で任された、お店のページ作り。私は今までの経験やスキルをフルで使って、オーナー様と二人三脚でキャッチコピーやクーポン作りなどに取り組みました。その結果、なんと掲載1ヶ月目でご新規様が19名もご来店。そのときオーナー様から言われた「本当にあなたに出会えて良かった」というお言葉が、私の仕事の中で1番印象に残っている思い出になっています。その経験から私は「諦めかけているオーナー様の力になりたい」と考えるようになりました。そのため、集客のしにくい地方エリアのサロン様に積極的に営業をしたり、SNSやパソコンに苦手意識のあるオーナー様に「どうやったら分かりやすく、楽しく理解してもらえるか」を研究するようになりました。そして2つ目の理由は、自分の母にあります。私と私の弟をたった1人で育ててくれた母が50代の女性だということが1番大きな理由です。母は私たちのために、看護師という仕事を30年以上続けてくれました。そんな母の口癖が「一回きりの人生だから、死ぬまでに好きなことでお金を稼げるようになってみたい」「でもパソコン苦手だし、どうすればいいか分からない」。そんな母のように、「一回きりの人生を全力で生きようとしている」、でも「SNSやWEBなどに苦手意識がある」そんな女性の力になりたいと思ったのが、私が50代女性のサポートをしたいと思った理由です。ホットペッパー時代は、オーナー様から「説明の仕方が分かりやすい」「説明の仕方が優しくて安心できる」と言っていただけることが多く、そんな自分の強みを活かしていきたいと思います。私の得意なこと(1)サロンのWEB集客ホットペッパービューティ営業時代は、人口の少ないエリアのサロン様・オーナーのご年齢もお客様のご年齢も40〜50代の大人女性サロン様を多く担当してきました。「パソコン苦手なんだよね」と話されるオーナー様とたくさん対峙してきましたので、「難しい集客の方法を簡単な言葉で伝える」力が身についたと思います。(2)Instagram特に女性向けのサービスや商品を売るための「見た目の可愛さ」も「集客という目標の達成」もどちらも大切にしたアカウント作りが得意です。アクセサリーショップのインスタは私が入社した頃はフォロワーが50人ほどでしたが、半年もかけずにフォロワー1万人にまで伸ばしました(現在は約4万人になっています!)先日友人に頼まれたアカウントも2ヶ月ほどでフォロワー1200人まで伸ばせています。今までサポートしたことのある方・美容サロンの経営者様・個人エステサロンの経営者様・食器を売る事業をしている方・ハンドメイド作品をネット販売されている方以上、私について書かせていただきました♪これから皆様のお役に立てるような情報発信、頑張っていきます✨どうぞよろしくお願いいたします🙇♀️✨
こんにちは♪SNS初心者50代女性専門⭐サロン集客コーチKasumiです🌷さて、今日は前記事の続きになります。私について【中学校〜高校時代】編を!かなりここで今の性格だったり価値観が作られた気がしています・・・お読みいただけたら嬉しいです♪無気力・やる気0の中学生時代「やりたいこと全部やる!」な小学生時代から一変、中学に上がってからの私はとにかく「無気力・やる気0」の子どもでした笑もちろん勉強のやる気はゼロ、「かっこいいから」という理由のみで入った弓道部でも、ただ毎日なんとなく練習に行くだけ・・・「もっとうまくなりたい」とか、「こうなりたい」とか、そういった気持ちがとにかく湧かなくて。もちろん部活でもビミョーな結果しか出せず、弓道って大会に出る時チームを組むのですが、毎回中間くらい成績の生徒が集まるCチームばかり。まぐれでBチームに選抜されたこともありましたが、だからと言ってやる気は起きず。かといって退部する勇気もなく。ただただ毎日なんとなく、ダラダラと日々を過ごしていたと思います。塾の先生との出会い中学2年生になっても、無気力状態が続いていた私。もちろん勉強の成績もイマイチで、それを見かねた母が学習塾に入れてくれました。その学習塾で、のちにこの無気力状態から脱却するきっかけとなる出来事が起きます。担当になった先生は確か当時20代後半の女性の先生だったと思います。今の私くらいの年齢ですね・・・その先生の評判といえば「怖い」。女性の塾の先生って優しいイメージがありますが、とにかくその先生は「怖い」で有名でした笑そんな先生がよりにもよって1番の苦手科目数学の担当に😱とにかく怖くて怒られたくなくて、毎回塾に向かう前、宿題を忘れていないかのチェックを5回くらいしていた記憶があります笑そして塾に入って初めて迎えた中間テストの返却日。先生の口癖は「70点以下とか絶対取らないでね」だったのですが、結果は60点・・・😓今まで大体50点ほどしか取れていなかったので、自分としてはかなり頑張ったつもりでしたが、先生の基準には達していません。「あ〜怒られる・・・」とビクビクしながら先生にテストを見せました。そうすると、「おお、すごいじゃん!」と意外な一言が返ってきました。「こんなに伸ばせたなんて、頑張ったね!」そう言って先生は私の頑張りを認めてくれました。「Kasumiは努力家だと思う」と先生に言われ、「私って努力できるんだ」「だったらもっと頑張ってみよう」そう思ったのを覚えています。人生で初めて頑張った経験、高校受験。それから先生のおかげで、少しずつやる気を取り戻していった私。先生の口癖「自分がなりたい自分はどんな自分が考えて、行動する」を聞いているうちに、「もっと向上心を持って日々を過ごしたい」と思うようにまでなっていました。勉強面もさらに頑張れるようになり、中学2年生の頃55点くらいだった5教科の平均点は、気づけば80点近くに。そんな中で中3になり、受験する高校を決めなければいけない時期になりました。Aという公立校なら安全圏、その1つ上のBという公立校ならもう少し頑張らなければいけないという状況で、Bという高校に憧れを持っていた私はBの方を志望校に決めました。私が住んでいた場所は田舎だったので、公立高校に落ちてしまうと自動的に私立に行かなければいけない状況になります。母子家庭ということもありそれでは母に迷惑がかかる。なんとか受かりたい気持ちで休日は10時間ほど、平日も学校に帰ってきてから寝るまでほとんどの時間を受験勉強に充てました。そして迎えた合格発表の日。私はB高校に落ちてしまいました。悔しくて悔しくて、合格発表の会場から泣きながら走って逃げたことを覚えています。母に私立の学費を払ってもらうことが申し訳なくて、これから受験の弟にもプレッシャーをかけてしまうような気がして、本当に悔しくてどうしようもない気持ちでした。ですが家族も塾の先生もその結果に一緒に泣いてくれて、「頑張ったからいいんだよ」と認めてくれて、それで立ち直ることができました。今思えば高校受験は、ずっと無気力だった私にとって人生最初の「頑張った経験」になったと思います。一か八かのチャレンジを許して応援してくれて、それによって「自分は何かに全力で取り組めるんだ」という自信をつけさせてくれた塾の先生と家族に心から感謝しています。とにかく目立ちたい!そんな高校時代。B高校に落ちてしまった私は、別で受けていたC高校という私立高校に通うことに。学費はやはり私立ということで高かったので、高校に申請をして許可を貰って飲食店アルバイトをしながら通っていました。「高校はとにかくいろんなことにチャレンジしてみたい」「みんなから一目置かれる存在になりたい」と思った私は、まず部活を3つ掛け持ち。笑また小学校から習っていた楽器のスキルを活かして、友人同士でバンドを組んでライブを行なったりしていました。だから放課後はいつも予定パンパン!バイト、部活、バンド・・・と、今思えばどこにそんな体力があったの?と思うくらい毎日を精力的に過ごしていました笑「やりたいこと」が見えた、フィリピンでの経験。そんな精力的な毎日の中、高校2年生の時にある海外インターンシップに参加することになります。母が見つけてきた、台風で被災したフィリピンのための復興ボランティアツアー。高校生や大学生が集まり、被災地へ1週間ほど行ってさまざまなお手伝いをしてくるといった内容のツアーです。やる気に満ち溢れていた高校生の私、「もちろん行きたい!」と即決します。今思えば、あのツアーは私の人生の方向性(といったら少し大袈裟ですが)を決める最初の出来事だったと思います。現地に行ってからは台風で崩れた建物のガレキなどを整理したり、被災した小学校の子どもたちと遊んだりと様々なことをしました。台風で建物はぐちゃぐちゃ、食べるものも少ないという現状を現地の方々から話してもらって知りました。ですが現地の人たちがとてもフレンドリーで、なんだか幸せそうに見えたのが印象的でした。フィリピンはキリスト教徒の方が多く、家族をとても大事にする文化が根付いているとのことです。現地の人たちと話していても「家族がいるから幸せ」「家族がいるから何があっても大丈夫」という言葉を多く耳にしました。そこで高校生の私が思ったのは、「日本はどうなんだろう」ということ。モノに溢れ、フォリピンの人々に比べると裕福な生活をしている人が多い日本ですが、「自分は幸せだ」と言える人ってどのくらいいるんだろう、ということ。そんなことを考えるうちに、私は「家族」や「子どもの福祉」に興味を持つように。これが、次に受験する大学を決めるきっかけになりました。さて、本日はここまでにしたいと思います。次はいよいよ大学時代、ここでの経験が今のキャリアに繋がっていきました。お時間ある方は、ぜひまた次の記事もご覧ください♪
こんにちは♪SNS初心者50代女性専門⭐サロン集客コーチKasumi です♪さて、今日からは私Kasumiについて詳しく書いていこうと思います。長くなると思いますのでまずは【誕生〜小学生まで】編を!ご興味を持っていただける方はぜひお読みください🙇♀️✨誕生1996年に長女として生まれました。父も母も仕事を頑張っているタイプの人で、小さい頃の記憶といえば母や父よりも、祖母や祖父と一緒のシーンが多く思い浮かびます。女の子なのですがポケモンやロボコンなど男の子向けのアニメが好きで、そんな母は私をちょっと変わってる子なのかな?と思っていたみたいです笑しゃべり出すのが早く、言葉や人の名前を覚えるのがものすごく早かったという話も聞きました。実家にはいまだに大量に私の赤ちゃんの頃のアルバムがあって、1枚1枚の写真に母や祖母の手書きコメントが添えられていて・・・それをみるたびに「愛してくれていたんだな」と家族に対する感謝が湧きます。🥲私が生まれた2年後に弟が生まれています。今でも二人で遊んだりするほど、仲良しな弟です。父と母の離婚そして私が幼稚園に上がった頃、父と母が離婚しました。その時もう5歳だったのでうっすらとその日の記憶があります。母に泣きながら「パパとはもう一緒に暮らせないんだ」と言われて、「あー、じゃあもののけ姫(父と一緒によく見ていた映画)もう見られないんだなあ」とぼんやり考えていた気がします。泣いている母を見た当時の私は、母に向かって「ママは可愛いから大丈夫だよ」という言葉を繰り返しかけていたそうです。今思い返しても、なんとなくその情景が思い浮かびます。その時はあまり状況も分かっていなかったので、悲しいというよりも「あ、そうなんだ」みたいな感情だった気がします。小学生になって。父と母が離婚したということをしっかりとわかってきたのは、小学生になってからでした。周りの子から「お父さんいないのかわいそう」と言われ、「あ、私って可哀想なんだ」と理解しはじめました。ですが今思うと可哀想どころか、周りの子に比べて習い事も色んなことを毎日やらせてもらって、旅行にもしょっちゅう行っていた記憶があります。あの時は気づいていなかったけど独り立ちをして自分で生活費を稼ぐようになった今、母がどれだけ私たちのために自分のことを犠牲にしてくれていたのかということが分かるようになりました。後から聞いた話にはなりますが、母は私たちが小学生になってから高校に入るまで一度も自分の服を買わなかったそうです。小さかった頃の私が何一つ悲しい思いをすることなく育ったのは、本当に母の努力と我慢のお陰だったんだと今になって思います。そんな母を私は誰より大切に思っていますし、尊敬しています。やってみたいこと全部やる!な小学生。そんな私の小学生時代、振り返って一言で表すなら「やりたいこと全部やる!」笑トランポリンに英会話、習字、ピアノにギター、ドラム、ダンス、歌・・・とにかく「やってみたい」と思ったらすぐに母に伝えて、おじいちゃんにあちこち送り迎えをさせて習い事をしまくっていました笑母も祖母も祖父も私の「やってみたい」にすごく協力的で、今思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいです。大人になった今でも「面白そうだな」と思ったことに迷いなくチャレンジできる性格なのは、こういった家族の協力があったからだなあと思います。ちなみに長続きしたのはダンスとドラムくらい、他はすぐ辞めてしまいました😅〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜今日はここまでにしようかなと思います!ちょっとでも私の人となりが伝わったらいいなと願いつつ⭐️この後は中学校、高校編を書いていきたいと思います!ぜひ見てくださったら嬉しいです♪