こんにちは♪
SNS初心者50代女性専門⭐サロン集客コーチKasumi です♪
さて、今日からは私Kasumiについて詳しく書いていこうと思います。
長くなると思いますのでまずは【誕生〜小学生まで】編を!
ご興味を持っていただける方はぜひお読みください🙇♀️✨
1996年に長女として生まれました。
父も母も仕事を頑張っているタイプの人で、小さい頃の記憶といえば母や父よりも、祖母や祖父と一緒のシーンが多く思い浮かびます。
女の子なのですがポケモンやロボコンなど男の子向けのアニメが好きで、そんな母は私をちょっと変わってる子なのかな?と思っていたみたいです笑
しゃべり出すのが早く、言葉や人の名前を覚えるのがものすごく早かったという話も聞きました。
実家にはいまだに大量に私の赤ちゃんの頃のアルバムがあって、1枚1枚の写真に母や祖母の手書きコメントが添えられていて・・・それをみるたびに「愛してくれていたんだな」と家族に対する感謝が湧きます。🥲
私が生まれた2年後に弟が生まれています。今でも二人で遊んだりするほど、仲良しな弟です。
そして私が幼稚園に上がった頃、父と母が離婚しました。
その時もう5歳だったのでうっすらとその日の記憶があります。
母に泣きながら「パパとはもう一緒に暮らせないんだ」と言われて、「あー、じゃあもののけ姫(父と一緒によく見ていた映画)もう見られないんだなあ」とぼんやり考えていた気がします。
泣いている母を見た当時の私は、母に向かって「ママは可愛いから大丈夫だよ」という言葉を繰り返しかけていたそうです。
今思い返しても、なんとなくその情景が思い浮かびます。その時はあまり状況も分かっていなかったので、悲しいというよりも「あ、そうなんだ」みたいな感情だった気がします。
父と母が離婚したということをしっかりとわかってきたのは、小学生になってからでした。
周りの子から「お父さんいないのかわいそう」と言われ、「あ、私って可哀想なんだ」と理解しはじめました。
ですが今思うと可哀想どころか、周りの子に比べて習い事も色んなことを毎日やらせてもらって、旅行にもしょっちゅう行っていた記憶があります。
あの時は気づいていなかったけど独り立ちをして自分で生活費を稼ぐようになった今、母がどれだけ私たちのために自分のことを犠牲にしてくれていたのかということが分かるようになりました。
後から聞いた話にはなりますが、母は私たちが小学生になってから高校に入るまで一度も自分の服を買わなかったそうです。
小さかった頃の私が何一つ悲しい思いをすることなく育ったのは、本当に母の努力と我慢のお陰だったんだと今になって思います。
そんな母を私は誰より大切に思っていますし、尊敬しています。
そんな私の小学生時代、振り返って一言で表すなら「やりたいこと全部やる!」笑
トランポリンに英会話、習字、ピアノにギター、ドラム、ダンス、歌・・・
とにかく「やってみたい」と思ったらすぐに母に伝えて、おじいちゃんにあちこち送り迎えをさせて習い事をしまくっていました笑
母も祖母も祖父も私の「やってみたい」にすごく協力的で、今思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
大人になった今でも「面白そうだな」と思ったことに迷いなくチャレンジできる性格なのは、こういった家族の協力があったからだなあと思います。
ちなみに長続きしたのはダンスとドラムくらい、他はすぐ辞めてしまいました😅
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今日はここまでにしようかなと思います!
ちょっとでも私の人となりが伝わったらいいなと願いつつ⭐️
この後は中学校、高校編を書いていきたいと思います!
ぜひ見てくださったら嬉しいです♪