三浦しをんさんの作品を読むのは初めてだ。
辞書編集に関しての書籍と知り、読んでみたいと思った。昨年、「天地明察」にハマったこともあり、辞書編纂に人生をかける話も面白いに違いないと直感した。
読みだすと、想像通りにおもしろい。
言葉が、すとんと心に入ってくる。
強引な表現もない。辞書の一部を持ち出すときにも、無理して情報を押し込んでいるように感じない。無駄にページを食っていると感じることもない。読者の感想を思い通りに操作しようとする表現も見当たらない。
まさに無駄のない文章だ。
辞書編集部の苦闘を中心に人間関係を描いた作品。
私は、一つのことに打ち込んでいる人をみると心が惹かれる。誰しも、自分にない才能を見ると、この人を知りたい、もっと近づきたいと思うものなのかもしれない。
馬締と結婚できた香具矢は幸せだと思うけれど、それよりも馬締本人のようになりたいと思う気持ちの方が大きい。周りの視線を気にせず全力で物事に取り組めるようになりたい。一つのことに集中できるのも才能の一つだ。西岡が馬締を内心妬ましく思っている気持ちがよくわかる。西岡だってがんばっている。でもそれは、馬締の頑張りとは全く違う。
反対に、馬締も西岡のようになれればと思っている。
どちらがいいかなんて誰も決められないけれど、異質同士が集まり、お互いを認め合おうとすれば得るものは大きいのだと思った。
私が読んでいて気持ちがいい!と思えた作品に共通するのは、文章にさわやかさがあるということだ。日本文学に初めて興味を持つことになった、村上春樹の「海辺のカフカ」もそうだった。何よりも日本語のセンスがいい。さわやかさという面では、学生時代から大好きな「赤毛のアン」や「星の王子様」も同じだ。言葉にできない切なさや感情を、物語全体で表現している。しかし、純粋な日本文学には、海外文学を翻訳するのではなかなか表すことのできない日本語のニュアンスが秘められている。
以前、翻訳の勉強をかじってみて思ったが、日本文学と外国文学では文化も違うし、そもそも文の作りも違う。その中で翻訳者は原文の意図をなるべく崩さないようにしながら、かつ自然な日本語にすることが求められる。もちろん腕のいい翻訳者であれば傑作が生まれるだろうが、日本人の情緒は海外文学にはない。つい先日、翻訳者向け雑誌で「翻訳書をもっと読むべきだ」という記事を読んだ。翻訳をする者へのススメとして、もっともな意見だと思う。それでも、純粋な日本語の深さを知るのであれば日本文学を読むことが一番近道なのではないかと思う。
この本を読んで感じたのは、「言葉の大切さ」だ。一言ひとことには、言葉で表面的に表現されている以外に、深い意味合いがある。言葉の奥にある背景まで感じることができるようになれば、同じ本でもまったく違う作品に感じるかもしれない。いずれは私も、人を惹きつけるような文章が書けるようになればと思う。
何度も読み直したい一作だった。