もう10月なのに「夏のおもひで」もへったくれもないが、とりあえず今夏のおもひでについて記そうかと思う。
私の生まれ育った地は決して大きなまちではないが、8月のお盆の時期に大きな花火大会を毎年開催する。
全国の花火大会と比べて大きいかどうかは分からないが、まちの人口に対しては大きな花火大会だと思う。
夫の出身地は私とは別の市町村であるが、幼いころに私の地元の花火大会を見て感動したと言っていた。
夫に花火大会を再び見せたいとは思ったものの、夫と知り合って婚約した2019年は台風で中止となった。
それからの2年間は、ご予想のとおりコロナ自粛によって開催されなかった。
今年は3年ぶりに開催される予定だったが、これまた台風で中止。
計4年間、中止となったわけである。
4年連続で中止となったことを知った夫が、ぽつりとこう言った。
「じゃあ…○○市(私の地元)の、どこかの倉庫には、4年分の花火玉がパンパンに詰め込まれているんだろうね」
なんでや。
知らんけど、年を越した花火玉なんて湿気て捨てるやろ。
あと大体、なんでコロナで中止になった大会の花火玉を新規発注しとるんや。
夫曰く
「いや、未使用になった花火玉の廃棄方法が意外と面倒くさくて放置とか、
次年度の予算確保の為に使わない花火玉の発注とか、あるかもしれない」
私は基本的に役人を信用していないので
ありそうだから困る。
私の地元のどっかの倉庫には、4年分の花火玉がある。
それもパンパンに。
なかなかスリリングな話だ。
年をまたぐごとに、異常気象が多発している気がする。
今年の夏も、お盆の頃は「夏、こんなに暑かったか?」という勢いで暑かった記憶があるし、その後は一気に気温が下がり、「残暑、こんなに早かったか?」という勢いで涼しくなったかと思えば台風に右往左往される9月だったような気がする。
そんな夏に振り回されているうちに、彼岸も過ぎて9月末となった。
今更ながら、今年の夏の思い出を綴ろうかと思う。
*****
七月の日曜日だったと思う。
夫(50代)が、普段の運動不足の解消を兼ねて、午後四時に散歩に出かけた。
七月の午後四時は日が傾きかけているとはいえ、まだまだ暑い時間帯。
私は夫に、
「ミネラルウォーターとスポーツドリンク、どっちも冷えているから持っていけば」
と声をかけたけど、夫は「大丈夫」と答えてそのまま出かけてしまった。
一時間後、夫は汗だくで帰ってきた。
「あんまり暑かったから、コンビニでアイスモナカを買って、食べながら帰ってきちゃったよ」と夫は言った。
そしてアイスコーヒーを自分で淹れて飲み始めた。
大の大人でアイスモナカを歩き食いする人なんて見ねーよ、最初から飲み物を持っていけばいいのに。
コーヒーはカフェイン入っているから脱水しやすいし、私は最初からミネラルウォーターを勧めているので「はぁっ!!?」となったけれども、
考えてみりゃ、休みの日に汗だくで散歩して、アイス買い食いして、アイスコーヒーで〆って。
夏の最高ムーヴだよなぁ。
ちょっと夫が羨ましかった夏の始まりだった。
*****
*因みに夫に後で聞いたところ、「今日はアイスモナカ食べるぞ! と思って散歩に出たから、ドリンクは遠慮した」ということだった。
マジで小学生男子の最高夏休みムーヴかましてるだけやんけ。
その後は麦茶めっちゃ飲ませた。
バカが加速している。
元からバカであったが、結婚して以来、ずっとバカが加速しているような気がする。
夫は会社員で、コロナ渦の影響によりテレワークで在宅勤務をしている。
なので、朝の出勤前と昼休みは、リビングのソファに座ってテレビを観ているのだが、そこに私が「デブ猫が来たよ」と両手を猫のように丸め、夫に無理やり膝枕を要求し、ニャアニャアと鳴いてみせる。すると夫は、私の顎の下をコロコロしてくれるので、ゴロゴロと鳴いてみせるのである。
これを我が家では「朝(出勤前)/昼(昼休み時)の猫まぐれの儀」※と呼んでいる。
理解不能だろうと思う。書いている私でさえ理解不能なのだから、奇特にもここまで読んでいる方は全く理解できないと思う。
そして我が家の奇行を晒した後に、話は突如変わるのだが、最近よく聴く「猫」という歌。あれを聴くとなんとも不思議な気持ちになる。北村匠海さんの歌う、あの歌である。
「猫になったんだよな君は」を山としたこの歌にはいろんな解釈があるし、聴く人それぞれの解釈で良いと思う。
とは言え私の解釈は飛躍し過ぎかなと思う。
恐らく一般的には、未来への捉え方を擦り合わせできずに別れたカップル(冒頭に「僕は君を手放してしまった」とあるし)の彼氏が、彼女の不在に堪え切れず、
「もう彼女は犬のようにいつも一緒にいる存在ではない、猫のように、それでもいいからふ
らっと時々僕の目の前に現れておくれ」
……ということだと思う。
ところが、どういうわけか私にはこの歌が今生の別れの歌に聞こえるのだ。
もう君には会えないのなら、せめて猫の姿で、たまに現れるのを待っているよ
と、聞こえる気がするのだ。
若い頃に友人を立て続けに亡くしたせいか、この手の歌や物語に弱く、山崎まさよしさんの
「One more time,One more chance」を聞いては泣いていたものだった。
でもあの歌を聴いて今生の別れの歌と思った人は多いと思うんだよなあ。
実際、阪神大震災前に制作された曲なのに「阪神大震災で失った恋人への歌」って噂が立ったくらいだものなあ。
「猫」の場合、今生の別れの歌ならば、先述の「僕は君を手放してしまった」という歌詞とは整合性は取れない。だが、その他の歌詞の多くが、大切な人を亡くした嗚咽に聞こえるのだ。
この「猫」の曲を原案としたドラマが放送されたことがあるらしい。
余命宣告をされた女性とフリーターの男性が猫を通して出会い、カップルとなった2人の「いつもと同じ帰り道」を通して描くラブストーリー、とWikipediaにはそう説明されている。
いやもう、観てないからあれだけどさ、「余命宣告」って言葉でもう、うわああああってなるのよ。どうよどっか悪いんじゃないの私。今生の別れのドラマじゃなかったら申し訳ない。
感傷ついでに書いてしまうが、もし夫よりも私が先立って、猫になって夫の前に現れた時、夫は歌の「猫」のように、ボロボロのノラ猫である私を拾い上げてくれるだろうか。
願わくば、身勝手ながら、足元にまとわりついて、いつまでもいつまでも追いかける猫の私に、どうか気づいてほしい。
私も夫が猫の姿で現れた時は必ず気づい
…………あ、夫は犬派だった。
※「猫まぐれ」という言葉は「猫の気まぐれ」の略称だが、原典がある。村上春樹氏のエッセイ「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」。ただし本作品の「猫まぐれ」には単なる略称とは異なり、趣深いというか笑える背景がある。興味のある方はご一読を。
全く莫迦な恋をしたものだった。
今年の春先、婚活パーティで知り合った男性と付き合い始めた。
そのパーティではカップリングタイムはなく、自分の連絡先と連絡を取りたい相手を書いたカードを主催者に渡し、主催者経由で各々カードが渡される形だった。
パーティでは少ししか会話をしなかったけど、好みのタイプだと思った彼からカードが来たので有頂天になった。
それからデートをしたのだが、よくよく話を聞いてみると、彼は四十路になったばかりだったが、一流大学卒で一流企業勤務、結婚歴なしだった。
何故これまで条件のいい男性が今まで独身だったのか。実はなんかあるんじゃないか、壺とか宗教とか。
そう思いながらも付き合い始めたら、壺も宗教もなかったが、やっぱりなんかあった。
一言で言えば自己中心的な人だった。
私は事前に約束しておきたいタイプなので、彼と会える日には前もって連絡していたが、彼がそういう約束をしてくれたのは付き合い始めの頃まで(もっと言ってしまえば「初めてやった日まで」)で、後は
「今から出てこれない?」
と、とにかく急な呼び出しばかりとなった。
その他にも、何故かキスを嫌がる(Hはする)、メールを送ってこない上に返信もしてくれない状態が2か月続いたことがあった等、「これって婚活パーティでよくありがちな、壺でも宗教でもないけどヤリ目(ヤルのが目的)ってやつ?」と思わせる節がもりもりあったが、それでも彼の雰囲気とかが好きだった私は、惚れたものの弱みで莫迦らしいくらい相手に合わせていた。
(因みに、メール2か月放置の件について後で聞いたら「仕事で東京に滞在していた」と言われた。「お前はトウキョウという名のマダガスカル島にでもいたのか」と思ったが、その言葉はぐっと呑みこんでしまった。)
夏の始まり、向こうの転勤を機に遠距離となった(電車で二時間)。
遠距離となる直前に会った時、今後についての約束を何一つしようとしない彼に失望し、泣いて飲んで荒れまくったが、遠距離になって3週間後に「遊びに来ないの?」というメールが着て死ぬほど気が抜けた。普通だったら、ここでこれからの二人についての何らかの約束を取り付けるべきだったのだろうが、「まぁ仕事の忙しい人に煩いくらい約束とか求めても仕方ないし、そもそも付き合って半年もなっていないし(しかも空白の2か月間あり)」と、しっぽを振るがごとく、今度会いに行くと返信したのだった。
ところが。
私は電車で二時間かかるところなのだから、前もって約束したいのに、相も変わらず
「今日、来れない?」
「明日なら行けるかな。今日はちょっと厳しい。ごめんね」
「俺は今日なら空いてるんだけど」
とまあ、こんな感じで、お前こっちのメールちゃんと読んでるのか? てか二時間かかるんだぞ二時間、「今日」来れるんなら「今日」より先の日に連絡するわボケ!
基本、忙しい人なのでできるだけ相手の都合に合わせる努力はしてきたが、流石に二時間かかる距離でな。今日来いとはな。てかこっちが行くのが前提なのかと。
そういうことが何度かあり、あんなに惚れていたのに思い返すだけでムカつくようになり、ついに先日、積もり積もった怒りが爆発して、電話で「こっちのメールちゃんと読めよ! それからあんたのメールも情報少なすぎ!」とぶちまけた。すると、「じゃ、じゃあ、週末、そっちに行くからその時会おう」という返事が返ってきた。
これがこの間の週末。
結果、
「あの電話で、今まで君に感じていた女性らしさが感じられなくなった。異性として見られなくなった。距離を置きたい」
と、やった後に言われたのだった。異性として見られなくなった女とやる、その論理的破綻に何故気づかない。
つくづく莫迦な男に恋をしたもんだと思った。
日曜日、私は彼に最後のメールを打った。
「貴方に苛立ちを募らせていたもののあのような形で爆発させたのは申し訳なく思います。短い間でしたがありがとうございました」
と、全編敬語のメールを。
そして途中にちょろっと、
「愛し合っている時も、拙い演技しかできない私に興ざめするばかりだったでしょう」
と挿入してみた。
相手、興ざめどころか、
こ ち ら の 演 技 に 気 づ い て す ら い な か っ た け ど。
メールを送ってしばらくすると、メッセージ画面の片隅に、相手が入力中であることを示す例のてろてろが光っていたが、そのてろてろはしばらくたってから消え、そのままメールは来なかった。
彼が何を言いかけて、何を言うのをやめたのか、もう永久にわからないし興味もない。
