※以下、歌詩からの引用は『・・・』で表します

 

さだまさし 「まほろば」 の歌詩にある
 

 『例えば君は待つと
  黒髪に霜のふる迄
  待てると云ったがそれは
  まるで宛て名のない手紙


の多くの説がある 『宛て名のない手紙』 の意味について考えます。

 

 

なお、歌詩から考察に必要な所は引用しています。

 

『馬酔木(まよいぎ)』 にあるように【迷い】と、
『うたかたの時 押し流してゆく』 にあるように【時や自然の摂理】が
「まほろば」 の歌の2大テーマだと思います。
 
『二人を支える蜘蛛の糸 ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
 君を捨てるか 僕が消えるか いっそ二人で落ちようか』
「蜘蛛の糸」から芥川龍之を連想する方がいますが、芥川の蜘蛛の糸は天国から真っすぐ垂らしています。この場合、伸びたり振り子のように揺れることはあっても「たわみ」はしません。また、支えるのではなく握らなくてはなりません。ここは、ピント横に張られた頼りない糸に乗りたわんで切れそうになっていると考えるのが良いと思います。そして、僕が君に別れを言うか黙って消えるか、それとも、駆け落ちするかと考えています。 「『いっそ』とあるから、二人で駆け落ちする気がなく、別れるしかないと男は考えている」 と捉える方もいます。しかし、全くその気がなかったら 『いっそ二人で落ちようか』 と考えないと私は思います。つまり、男性も迷っていると私は考えます。『宛て名のない手紙』 部分は明らかに男性の思いの部分であり、自分自身が迷っている中で、さめた目で、「人の心は変わっていくものだ」 と達観したり、相手の言葉や心を 「時の摂理」 で理解したり、「最後は誰に宛てたか判らない『行方知れずの懸想文(=恋文)になる」 とか、「君の言葉は僕に届かない」 など思わないと私は考えます。
 
 次に、このフレーズの先頭にある 『例えば』 の使い方ですが、この歌では
  「例をあげれば〇〇〇もそうだが、すべての君の言葉は●●●だ」
と考えます。歌の中には 『例えば』 で始まる部分が2か所ありますから、
 「すべての君の言葉は『宛て名のない手紙』であり、
  かつ、『必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない』
のです。この2つにある根源が同じ意味だったら、統一されたすばらしい美しい詩だと思いませんか。
 
 そこで、まず、
例えば此処で死ねると 叫んだ君の言葉は 必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない』 
を考えます。かなり魅力が無くなりますが、これを単純に言えば 「嘘でも本当でもない」 となります。0と1しかない状態ならありえない話ですが、迷っている人にとっては、これが真実だと思います。
 
 つまり、『宛て名のない手紙』 の意味の根源が迷いだとしたら統一された美しさだと思います。『宛て名のない手紙』 を迷って出せない手紙とすると、すぐに思いつくのは、「この手紙で告白すると嫌われてしまうのではないかと思い迷い渡せない」 事です。しかし、この歌の状況には合いません。歌詩の中で 『待てる』 と云ったり、『此処で死ねる』 と叫んだように、「迷っている中でこれが本当の気持ちだと思い書き始めたが、宛名を書く前に別な思いが強くなり新たな手紙を書き始める。」  つまり、日本では手紙の基本的作法は文末に示すように最後に宛名を書くので、これが、『宛て名のない手紙』 の意味ではないかと思います。 
 
(追伸)
さださんが前川清さんに提供し2023/1/1にリリースされた曲「昭和から」に「手紙の下書き書いては消して 出せないまんま ちぎって捨てた」とあります。だから、多分、迷いだと私は思っています。
 
 
  これ以外の解釈は、「その2」をご参照下さい。
 
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【手紙の基本的作法 縦書きの場合も同じです】
 
(頭語)拝啓
 
    (前文 気候のあいさつなど)
 
 
    (主文)
 
 
    (末文 結びの言葉) 最後までお読みいただきありがとうございました。
 
 
(結語)敬具    
    (日付)2019年11月17日
(署名 自分の名前) TTL  
(宛名)最後まで読んで頂いた方々様
                     (脇付)貴下
 
(添え文)追伸
  ご意見いただければ幸いです
 
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