日々の雑記
  • 14Dec
    • 日本語での会話

      先日、電車に乗っていたら、窓側を背にするロングシートの両側に中国人が2人づつ座って計4人で会話を始めた。 「まったく、うるさいな。日本人はシートの向こうに座った人と会話するは酔った人だけだよ」と思いながら人間観察を。すると、声の大きさだけでなく、彼らの口の動きが非常に速い事に気が付いた。中国語は1単語が長いので早く話す必要があるのか、それとも、日本語による会話では時間当たりの情報伝達量が少ないのかどっちだろうとの疑問が。そういえば、 「日本語では子音の後に、ほとんど必ず母音が来るのでゆっくりになる。  しかし、英語はそうでないので早く話す事ができる。だから  "television"をテレビ、"Starbucks Coffee"をスタバと短縮する必要がない」という内容のテレビ番組を見た気がする。そこで検索したら『音声でのコミュニケーションに限って言えば、同じ時間内に相手に伝えることのできる情報量が、日本語ではとても低いかも知れない』という私と同じ疑問を英語と日本語の歌詞で比較した記事を見つけた。-------------------------------------------------------------------------https://www.linkedin.com/pulse/アナ雪とヤマトが明らかにする日本語の致命的な情報量の少なさ-akito-satoこの記事、例えば、「アナと雪の女王」主題歌に込められた情報量を、4つの言語で比較しています。日本語:「ありのままの 姿見せるのよ」英語 : "Let it go! Let it go! Can't hold it back anymore"     「放っておこう、放っておこう、もう耐えられない」中国(北京語):「随它吧 随它吧 回头已没办法」        「諦めよう、諦めよう、もう戻る道はない」スペイン語:"Libre soy! libre soy! No puedo ocultarlo más"      「私は自由、私は自由、もう隠したりしない」フランス語:"Libérée, Délivrée Je ne mentirai plus jamais"      「自由になった、開放された、もう嘘はつかない」ポルトガル語:"Já passou Já passou! Não vivo mais com temor"       「もう終わり、もう終わり、もう恐怖に怯えることはない」            多分、誤植があったので一部TTLが修正ドイツ語: "Ich lass los, lass jetzt los. Die Kraft sie ist grenzenlos"      「私は解き放つ、今解き放つ、この力は無限大」イタリア語:"D’ora in poi lascerò che il cuore mi guidi un po’"     「もうこれからは、もう少し自分の心に従う」ロシア語: "Отпусти и забудь, Что прошло - уже не вернуть"    「解き放って 忘れてしまおう 過ぎ去った過去はもう戻らない」--------------------------------------------------------------TTLの感想「国民性が見えるようで面白い比較ですね」----------------------------------------------------------さらに、この方は日本のアニメ「宇宙戦艦ヤマトの主題歌に、英語が持ち込んだ情報量」として分析している。抜粋すると。「さらば地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦ヤマト」英語 :"We're off to outer space. We're leaving mother Earth. To save, the human race. Our Star Blazers"   「私たちは宇宙へ向かう、母なる地球を旅立つ、人類を救うために、我らがスターブレイザーズ」-------------------------------------------------------上記以外に沢山例が上がっているが「日本語を訳したらなんとも、説明し過ぎ。情緒が無く、くどいよ。」と言いたくなるのは私だけだろうか。しかし、日本では歌はゆっくり歌うし、例えば、ビートルズの「Yesterday」のように昔は英語もゆっくり歌っていた気がする。下記は、ほぼ原曲のまま日本語にしています。https://www.youtube.com/watch?v=me3GRE42iHcそこで、映画はどうだろうかと思って英語の得意な人に聞いたが、日本語吹き替えで版はかなり情報量が落ちているとの事でした。逆に日本の映画を英語に吹き替える場合は情報を付与するのだろうか。自分でやれば良いのだが興味があっても、英語を訳す気にはならないが下記の情報があった。これも単に訳だけでなく文化の差がわかり面白い。https://www.jstage.jst.go.jp/article/atem/7/0/7_KJ00007911574/_pdf 一を聞いて十を知れ、推し量れ、俳句や和歌を楽しむ、主語を略す、単語を短縮する、これらは、日本人というより日本語が原因との結論に達した雑考でした。

  • 07Dec
    • 春過ぎて 夏・・・・・天の香具山

      令和の発案者ではないかと言われている中西進先生の読売新聞の連載「令和の心 万葉の旅 中西進<30>」から----------------------------------------------------------実は、わたしには万葉集の持統天皇の歌について新説があります。 ・春過ぎて夏来るらし白栲(しろたへ)の衣乾したり天の香具山 この教科書にもある有名な歌は従来、文字どおり、香具山にほしてある白い衣を見て、ああ夏が来たと感じる歌と解釈されていますが、さて、どうでしょう。そもそも聖なる山の香具山に洗濯物などほすでしょうか。おまけに藤原宮跡から香具山を見ても、洗濯物までは見えるはずはない。 そこである時から、まだら雪に覆われた冬の香具山を見て、詠まれたものと解釈しています。雪化粧を〈白栲の衣〉と虚構し、春どころか夏が来たように感じる。そう思うとユーモアも感じますね。 実は万葉集には筑波山を見て、「あれは雪か、それともかわいい子の洗濯物か」という歌もあります。冬に詠んだからこそ、春が過ぎたどころか夏まで来たように感じたと強調表現したのでしょう。 歌われた風景をただの描写と考えず、思いをめぐらすと、ユニークな古代の心に触れることができます。 残念ながら、この説はいまだ少数説ですが(笑)。---------------------------------------------------------そうか、中西進先生でさえ少数説を唱えるのか。であれば、私もと思いつつ自説を唱える前に気になった点があります。これ、百人一首で私が覚えている数首の中の1つですが、私の記憶は、  ・春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣干すてふ(ちょう) 天の香具山です。「てふてふ」と書いて「ちょうちょ」と読ませるという記憶があります。調べてみると、万葉集では、先生の書かれたとおりでした。しかし、下記の説があるように新古今集や百人一首では改変されたようです。①原歌が歌われた頃はちゃんと干していたのでしょうが、 藤原定家の時代には、もう行われていなかったのでしょう。 「衣ほすてふ」と伝え聞く「伝聞」の形をとることで、 天の香具山に衣を干した当時の風俗を取り込む趣になっています。②大和三山の一つ,香具山は,天から下りてきたという謂われ(いわれ)も ある神聖な山.夏が来た証(あかし)に白い衣を干すといういい伝えが あったらしい.白い衣とは何だったのか.巫女(みこ)の装束 (しょうぞく).あるいは卯の花(うのはな)の比喩 (香具山は,卯の花が多く咲く場所だった)など,諸説がある. 本来,季節は微妙に移ろっていくものだ.しかし,白い衣=夏の到来という 「共通認識」あるいは「約束事」が,季節に透明な仕切りを入れ, そこに人々は「詩」を確認したのだろう.空は青く,緑濃き山, 風が吹けば,旗のように翻る(ひるがえる)白い衣.純粋な視覚一つが, 風景を切り開き,そこから詩情が大胆に汲み出されている.いずれにしても、持統天皇の歌なのに、だれかが意図して大胆に添削したのですね。私は良い添削だと思います。さて、私の家から春、裏山を見ると所々白く見えます。季節は違いますが、まさに、この歌のとおり。山に登ってみたら、「ニセアカシア」の花が満開でした。だから、白い花が咲いているに1票。これ、科学的に古い地層の花粉を調べれば良いと思うのだが、なぜしないのだろう。

  • 30Nov
    • 時候の挨拶は日本文化

      令和の発案者ではないかと言われている中西進先生の読売新聞の連載「令和の心 万葉の旅 中西進<30>」から引用した部分を青文字で記載します。 新元号「令和」は、万葉集の巻五の「初春という令(うるわ)しい月は、 空気が淑(しと)やかで、風が和かである」ということが基になったとありました。日本では、街で人と会った時、「いいお天気になりましたね」「あいにくの雨ですね」などと言葉を交わしますね。これは単に社交上の儀礼ではなく、四季折々に自然が変化する日本では、万葉の時代からつづく文化とありました。私は、相手の中にずかずかと入っていかない当たり障りのない当たり前の事から始めるという気遣いだと思っていましたが四季を楽しむ文化もあるんですね。中国では「チーラマ」「もう食べた?」と言います。中西先生は、花鳥風月を大切にする日本の文化の特色に改めて気づいたそうです。たしかに、 「もう食べた?」と聞かれると「何かおごってくれるの」あるいは「食事しながら何か頼まれるの」と思うのは私だけですかね。そういえば、英語ではもう古語になったそうですが"How do you do"は「ご機嫌いかが」で病気でも"I'm fine."と答えなさいと、中学で習った記憶があります。すべての挨拶を「ごきげんよう」で統一する学校もあるようです。Wikipediaによると 『ごきげんよう元は京都の宮中で発生した御所ことば』とありますが、統一しない方が良いと思うのは部外者だからですかね。

  • 22Nov
    • 特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵を鑑賞して

       佐竹本三十六歌仙絵とは、計36名の歌人の肖像と住吉大明神が描かれた絵巻物でした。しかし、あまりに高価で日本人が個人で購入することができず、このままでは、海外に流出する恐れがありました。そこで、1919年(大正8年)に各歌人ごとに切り離され、だれがどの絵を購入するかをくじ引きで決めたそうです。この件は当時、新聞でも取り上げられたほどの大事件だったようです。※京都国立博物館だより 2019年10月1日発行より抜粋 さて、この歌仙絵の各画面は、写真のようにまず歌仙の位署(氏名と官位)と略歴を数行にわたって漢文で、つぎに、和歌を一首かな文字で書き、それに続いて紙面の左方に歌仙の肖像を描いています。 和歌の情景や心情を肖像だけで表現するという、なんとも日本的な文化を感じます。解説を見たり聞いたりすると「なるほど」とうなずいてしまいます。紙がかなり大きいので、どうしても空白ができるのですが、そこがまた風情のある余韻を感じます。 和歌ではありませんが、私は学生時代 「正岡子規の俳句『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』  を読んで情景を50文字以内で記せ」という国語の設問に面食らった覚えがあります。しかし、これが日本の文化なんだとこの歳になって感じます。 佐竹本三十六歌仙絵のそれぞれの絵は、購入した個々人によって掛軸に改められました。添付の写真は、和歌にあわせた貴重な布で表装されていますが、西洋の写実的様相が取り入れられた点が文化の融合と考えると面白い。でも、私なら光の当たり方でぼたん雪が降っているように見える白い布を使って、絵は各人の想像に任せるかな。 CGで描いた当時に復元した画像がNHKの番組で紹介されていました。個人的には実際に絵具で復元した絵も一緒に鑑賞したい。美術鑑賞は、久ぶりでしたが堪能しました。

  • 19Nov
    • さだまさし「飛梅」を彼女を主人公に物語にしてみました。名付けて「もう一つの飛梅」

      歌詩の順番は変えたけど、全文使用しました。 (^^♪-----> 心字池にかかる三つの赤い橋は> 一つ目が過去で 二つ目が現在(いま)高校1年の終わり、やっと彼がデートに誘ってくれた。しかし、太宰府天満宮はカップルで来ると必ず別れるなど、沢山のジンクスがあるんだよ。でも、きっと彼は知らないのだろう。だから、私がリードしよう。一つ目の橋は振り返らないように二つ目の橋は立ち止まらないように私は気を使い彼と並んで無事渡った。さあ、いよいよ未来、つまづかないようにと気を付けたのに> 三つ目の橋で君が 転びそうになった時> 初めて君の手に触れた 僕の指彼は、あわてて手を引っ込めてしまった。もっと強く握ってくれればよかったけど、初めて彼の手に触れたので思わずにっこりしてしまった。> 手を合わせた後で 君は御籤を引いて> 大吉が出までと もう一度引き直したね昨晩は、何着ていこう、何しようとウキウキしていたのにおとうさんから急に  「再来月の4月から地方に転勤だ。転校の準備をしておいて」と言われて・・・・。だから、御籤に懸けたのに  「小吉、転居:新しい気持ちで出直せば吉、   恋人:しばらく待てば新しい人が現れる」なんてあんまり。彼には「大吉が出るまで」と言いつくろって引き直したが  「転居:東に転居すれば吉」違うよ南に移動するんだってと落ち込んでしまった。-----> あなたがもしも遠くへ行ってしまったら> 私も一夜で飛んでゆくと云った 気を取り直して、ご本殿前の飛梅で 「あなたがもしも遠くへ行ってしまったら  私も一夜で飛んでゆく」と彼に問いかけた。お願い『僕も飛んでいくよ』と言ってと祈ったが、 「大丈夫、僕は福岡の大学に行くけん」> 忘れたのかい 飛梅あ~あ、本当にがっかりしたの憶えているよ。------> 登り詰めたらあとは下るしかないと> 下るしかないと気付かなかった> 天神様の細道最初のデートが最後とはさびしすぎるよ。-----> 時間という樹の 想い出という落葉を> 拾い集めるのに 夢中だったね君こうなれば、今日は楽しもうと決めた。いや、少し無理をした。----- photo by https://ameblo.jp/kenshirou9/entry-12547767193.html> 裏庭を抜けてお石の茶屋へ寄ってはしゃぎすぎて、すこし疲れたのでお話しようと一番奥にあって静かなお石の茶屋へ誘った。> 君がひとつ 僕が半分> 梅ヶ枝餅を食べた「甘いものは苦手なんだ」と、彼はカッコつけて梅ヶ枝餅を半分残した。すかさず、「間接キッス」と、それを食べたら、彼は目を丸くし二人で笑ってしまった。> 来年も二人で 来れるといいのにねと> 僕の声に君は答えられなかった「来年も二人で来れるといいのにね」無邪気な彼と私の心のすれ違い何も言えなかった。-----> 或の日と同じ様に 今鳩が舞う  > 東風吹けば 東風(こち)吹かば君は> 何処かで想いおこしてくれるだろうか> 大宰府は春 いずれにしても春私は、すぐに立ち直って元気になりました。あれから数年経ち風の便りもなくなったが、彼はどうしているだろう。----------------------------------------追伸)あれから5年たった1982年春松田聖子「赤いスイートピー」の歌詞『何故 知りあった日から 半年過ぎても あなって手も握らない』を聞いて、あなたを思い出しています。

  • 18Nov
    • さだまさしの【まほろば】と【晩鐘】を同時に楽しむ

      さだまさし作詩【まほろば】の続きが【晩鐘】だと思いませんか。中秋の満月の夜、奈良で別れの予感に迷っていた二人。初冬の銀杏が舞い散る交差点で別れ、僕の時間は止まってしまった。そして、数年が流れ『時の流れは まどうことなく うたかたの夢 押し流してゆく』おかげで、哀しかった別れは、きれいな想い出になっていた。エピローグである【晩鐘】を暗示するフレーズが【まほろば】に沢山あります。『君は待つと 黒髪に霜のふる迄』→『風花が ひとひら ふたひら 君の髪に舞い降りて』 ※風花は青空からちらちらと舞う粉雪なので、  どちらも白く冷たいものが髪に降りている『時の流れは まどうことなく うたかたの夢 押し流してゆく』→『まるで流れる水の様に 自然な振りして冬支度』『結ぶ手と手』→『僕の指にからんだ 最後のぬくもり』『結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った 別れ道』→『眩暈の後の虚ろさに 似つかわしい幕切れ』『遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と』→『君は信号が待ち切れなかっただけ』『うたかたの夢』→『まるで長い夢』『振り向けば』(振り返ると同じとすると)→『想い出と出会った』『移ろい去って』→『心変わり』 『向う岸に向かって駆けてゆく』『鐘の声ひとつ』→『晩鐘』曲のリリースは【晩鐘】の方が2年ほど昔ですが、関連あると想像します。よろしかたら、2つの歌を解説しながらつないだ私の物語を読んで下さい。 なお、【まほろば】の舞台となった『春日山から飛火野辺り』は今は遊歩道が整備されたようですが、歌が作られた当時は『足元のぬかるみ』にあるように獣道のようだったと聞いた事があります。 『馬酔の枝に引き結ぶ 行方知れずの懸想文』 は、2つの意味があり、一つは、「獣道の道しるべのために枝に巻いた赤いテープを、神社のおみくじのように枝に結んだ恋文(懸想文)と喩えた。」もう一つは、「昔の人も恋について色々語ってきたが、時間とともに誰に向かって言ったのか判らなくなった。僕たちの今日の語らいも、将来、きっと同じ事になるだろう。」とここでは解釈しています。 また、ご存じとは思いますが、『哀れ蚊』とは、秋まで生き残ってしまった、弱々しくて人を刺す力もない蚊です。------------------------------------------------------------------【晩鐘】 『風花が ひとひら ふたひら 君の髪に舞い降りて』…青い空から粉雪が、ひとひら ふたひら 君の黒い髪に舞い降りて 少しの間だけ冬日をあびて輝いている。------------------------------------------------【晩鐘】 『そして紅い唇沿いに 秋の終わりを白く縁取る』…寒さと僕を傷つけずにうまく伝えられるだろうかという不安と緊張で君の頬はますます白くなり、紅い唇が引き立っている。それは、まるで最後の言葉を際立たせようとしているようだ。------------------------------------------------【まほろば】 『移ろい』【晩鐘】 『心変わり告げる 君が痛々しくて 思わず言葉を遮った僕』 『別れる約束の次の 交差点向けて』 『僕の指にからんだ 最後のぬくもり』…ついに君は心変わりを告げはじめたが、それが痛々しくて思わず君の言葉を遮り「もう、いいいよ、あの交差点で別れよう」との僕の言葉に君は小さくうなづき、手をつないで黙って歩いた。------------------------------------------------【まほろば】 『青丹よし平城山の空に満月』 『結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った 別れ道』 『馬酔木の森の馬酔木に』【晩鐘】 『秋の終わり』…ほんの少し前の中秋の満月の夜だったけど、奈良の馬酔木の森の時も同じ光景だった。あの時は、今後どうするかなど迷いながらいろいろ話をしたが、最後はお互い黙って歩いたよね。------------------------------------------------【まほろば】 『馬酔の枝に引き結ぶ 行方知れずの懸想文』 『川の流れは よどむことなく うたかたの時 押し流してゆく』 『帰り道』…最初は君と出会った頃や楽しかった事を話していたが、暗くなるにつれて、色々な迷い、切なさ、今後の事などを話し最後は黙ったまま馬酔木の小道を帰ったよね。この時の言葉は、流されて消えてしまった。本当に暗くなり道に迷ったけど、だれかが枝に結んだ細くきれいな布を頼りになんとか帰ったよね。いや、そうやって歩いたのは別な所だったかも。------------------------------------------------【まほろば】 『君を捨てるか僕が消えるか いっそ二人で落ちようか』 『例えば此処で死ねると 叫んだ君の言葉は  必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない』…僕は別れ方も考えていた。しかし、君は色々な思いを口にしたけど、自分から別れる事は考えてなかったと思う。そういえば「此処で死ねる。貴方はどうなの」と君は感情が高まったて叫んだよね。この極端な思いさえ、少しは心にあったので嘘ではない。けれど、自分の本心が判らないから、すべての言葉は絶対本心とは言えなかった。------------------------------------------------【まほろば】 『川の流れは よどむことなく うたかたの時 押し流してゆく』 『日は昇り 日は沈み振り向けば 何もかも移ろい去って  青丹よし平城山の空に満月』【晩鐘】 『秋の終わり』 『別れる約束の次の 交差点向けて』 『まるで流れる水の様に 自然な振りして 冬支度』…人が恋し、悩んで、そして別れを悲しんでも、人生自体がうたかたであり、自然や川は淡々と時を刻んでそれを押し流してゆく。今、自然の摂理により、冬の寒さに備えて木々は紅葉と別れている。ぼくらも別れを向かえようとしている。いや、みんな違う。そういう振りをしているだけだ。別れたくない。------------------------------------------------【晩鐘】 『哀しみが ひとひら ふたひら 僕の掌に残る  時を失くした哀れ蚊の様に 散りそびれた木犀みたいに』 『風花が ひとひら ふたひら 君の髪に舞い降りて』…後悔と哀しみが1つ2つと残ってしまった。そう、僕は自から決断し君に告げる時を逸してしまった哀れ蚊だ。せめて、銀木犀のように花びら散らし風花になって君の黒髪に舞い降りたかった。------------------------------------------------【まほろば】 『時の流れは まどうことなく うたかたの夢 押し流してゆく』【晩鐘】 『眩暈の後の虚ろさに 似つかわしい幕切れ   まるで長い夢をみてた ふとそんな気がしないでもない』…ほんとうに君と過ごした楽しかったこと苦しかったこと悩んだことなどは、幻だったかもしれない。------------------------------------------------【まほろば】 『移ろい去って』【晩鐘】 『僕の指にからんだ 最後のぬくもりを 覚えていたくて つい立ち止まる  君は信号が待ち切れない様に 向う岸に向かって駆けてゆく  銀杏黄葉の舞い散る交差点で たった今 風が止まった』…交差点に近づくと、青信号が点滅し始めた。「良かった、もう少し一緒にいられる」と思った時、不意に君は手を放し、さよならも言わずに駆けてゆく。浅黄色(あさぎいろ)の肩掛けを羽織った君は風に吹かれた銀杏黄葉に溶けて私の手の届かない所に行ってしまった。それは、もうこれ以上僕と一緒にいられない、いたたまれない気持ちの表れの様だった。僕は、驚いて離された手をもう一方の手で胸の前で包み、指に残るぬくもりを少しでも永く感じていたくて、つい立ち止まった。その時、僕の時間が止まった。------------------------------------------------【まほろば】 『例えば君は待つと 黒髪に霜のふる迄  待てると云ったがそれは まるで宛て名のない手紙』【晩鐘】 『風花が ひとひら ふたひら 君の髪に舞い降りて』…もしあの時、二人が遠く離れていたら、思いを一気に手紙にしたためるが、宛名を書く段になって、やはり違うと新たな手紙を書き始める事を繰り返していたに違いない。だから、さっき言った事と今言っている事は必ず違っていた。あの時君は、「黒髪に白いものが混じるまで待つ」と言ってくれたが、どうするか迷っていた中の1つの思いで、答えでは無いし、次に話す言葉がもちろん違うものになると頭では判っていた。でも、この言葉に僕は望みを掛けてしまった。そして、図らずも、今日まで君は待っていてくれたのかもしれない。------------------------------------------------【まほろば】 『遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と』…想えば、僕は一浪して21歳の大学生で研究や旅に没頭し大学院まで行くつもり。そして君は2つ上。就職して1年後に結婚するとしたら5年後になるので君はもう28歳になってしまう。付き合い始めた時はこんなこと気にもしなかったのに、君のふるさとの奈良に行ってからおかしくなったよね。親戚から結婚について言われたのだろうね。------------------------------------------------【晩鐘】 『君は信号が待ち切れなかっただけ 例えば心変わりひとつにしても  一番驚いているのはきっと 君の方だと思う』【まほろば】 『遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と』…そう、君は遠い先にある結婚への青信号が待てなかっただけなんだ。そして、他に好きな人が出来て僕に別れを告げるなんて、ついこないだまで思いもしなかった。この心変わりひとつだけでも僕以上に君は驚いていることだと思う。------------------------------------------------【晩鐘】 『秋の終わり』 『流れに巻かれた浮浪雲 桐一葉』【まほろば】 『青丹よし平城山の空に満月』…僕は、風に吹きちぎられ、はぐれ雲になってしまった。「はぐれ雲」といえば、「君の事を聞かれたら 一人旅だと笑います」という歌があったが今は笑えないし好きな旅も出来ない。本当に、「一人きり」になってしまった。おや、大きな落ち葉が舞い上がっている。そうだ「一人きり」より「桐一葉」の方が情景にあう。「浮浪雲 桐一葉」響きも語感も良いし。桐は他の木より早く散ると言われるが 僕達の桐一葉は、何時だったのだろう。秋の奈良の時は次の夜から欠ける満月で、すでに僕達にとって大きなものが崩れ始めていた。「線香花火」いやそれは同級生の・・・・。------------------------------------------------【まほろば】 『鐘の声ひとつ』【晩鐘】 (曲名)…え! 奈良では鐘の音を聞いたが、まだ、青空の昼下がりのはず。なぜ鐘の音が。そうか、今日は空が紅色(くれないいろ)に染まっている。 ------------------------------------------------【晩鐘】 『銀杏黄葉の舞い散る交差点で たった今 想い出と出会った』【まほろば】 『時の流れは まどうことなく うたかたの夢 押し流してゆく』…銀杏黄葉の舞い散る交差点で、あんなに哀しい別れを想い出し浸っていた事に、晩鐘のおかげで、たった今気が付いた。あの時は出来なかった、奈良の想い出を手繰り寄せ、さらに「桐一葉」を連想するなんて、時の流れのおかげでほんとうに良い想い出になっているんだな。僕たちは、「まほろば」というすばらしいい世界に生きているのを実感するよ。君もどこかで幸せに暮らしていれば嬉しいよ。

  • 17Nov
    • さだまさし「まほろば」の歌詩「宛て名のない手紙」の意味-その2

      さだまさし「まほろば」の歌詩にある 『例えば君は待つと  黒髪に霜のふる迄  待てると云ったがそれは  まるで宛て名のない手紙』の『宛て名のない手紙』の意味について前回、私の解釈を記載しましたが、調べたり考えたものを掲載します。なお、この歌詩の解釈は下記の②のリンクがお勧めです。①「待つ」や「ここで死ねる」と色々な事を言ったように、自分の本当の気持ちはこれだと手紙にしたためるが、宛名を書く前にやはり違うと別な思いの手紙を書き始める。つまり、自分の本心が判らない迷っている状況。 代表例 私の前回の投稿 https://ameblo.jp/ttl-nikomat/entry-12546112574.html②今は私への言葉だが、将来、私以外の人に言うかもしれない誰に対しても使える普遍的な恋文。 代表例 http://www008.upp.so-net.ne.jp/ichishu/sada/mahoroba.htm③昔、誰かが誰かに言った言葉を引用しても、私には届かない。あるいは、だれに対しても使える言葉だ。 「云う」は他人の言葉を引いて述べる際に使われる事が多いことから。④さめた男が「そんな事言われても、人の心は変わっていくものだし、別れるしかない」と考える、男の心に届かない手紙。 代表例、下記の回答 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13207464843⑤時間が経てば誰に宛てた言葉か判らなくなり、歌詩にある「行方知れずの懸想文」となってしまうこと。⑥本心ではないから、宛名が書けない手紙。 代表例、下記の質問https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13207464843⑦「老婆になるまで待つ」なんて受け取った人が怖くなって離れてしまうのではないかと迷って出せない手紙。⑧この恋は意味のないものになってしまったという比喩  ペンネーム:くまたろうさんから頂いたコメントを要約  本来誰かに宛てるのが手紙の役割であり、肝心な宛名が抜けてしまっているので  不完全な手紙である。 このような、不完全で意味のない手紙を用いて、この恋が  如何に意味のないものになってしまったかを描写しようとした。⑨「たよりにならない」という洒落さだまさしが落語好きということから解釈ただし、投稿者自身がコメントで「もちろんジョークです」と書き込んでいる引用元)https://uumin3.hatenadiary.org/entries/2008/05/26他にどんな意見がありますか。 説の補強を含めて忌憚のないご意見をお待ちしています。

    • さだまさし「まほろば」の歌詩「宛て名のない手紙」の意味、解釈、解説

       mixiに登録していましたが、mixiでは会員しかコメントできない、また、私が修正できないのでこちらに引っ越してきました。   ※以下、歌詩からの引用は『・・・』で表しますさだまさし 「まほろば」 の歌詩にある 『例えば君は待つと  黒髪に霜のふる迄  待てると云ったがそれは  まるで宛て名のない手紙』の多くの説がある 『宛て名のない手紙』 の意味について考えます。なお、歌詩から考察に必要な所は引用しています。『馬酔木(まよいぎ)』にあるように【迷い】と、『うたかたの時 押し流してゆく』にあるように【時や自然の摂理】が「まほろば」 の歌の2大テーマだと思います。『君を捨てるか僕が消えるか僕が消えるか いっそ二人で落ちようか』において、 「『いっそ』とあるから、二人で落ちる気がなく、別れるしかないと男は考えている」 と捉える方もいますが、全くその気がなかったら『いっそ二人でおちようか』と考えないと私は思います。つまり、男性も迷っていると私は考えます。『宛て名のない手紙』部分は明らかに男性の思いの部分であり、自分自身が迷っている中で、さめた目で、「人の心は変わっていくものだ」 と達観したり、相手の言葉を 「時の摂理」 で理解したり、「最後は誰に宛てたか判らない『懸想文』になる」 とか、「君の言葉は僕に届かない」 など思わないと私は考えます。 次に、このフレーズの先頭にある『例えば』の使い方ですが、この歌では  「例をあげれば〇〇〇もそうだが、すべての君の言葉は●●●だ」と考えます。歌の中には『例えば』で始まる部分が2か所ありますから、 「すべての君の言葉は『宛て名のない手紙』であり、  かつ、『必ず嘘ではないけれど必ず本当でもない』」のです。この2つにある根源が同じ意味だったら、統一されたすばらしい美しい詩だと思いませんか。 そこで、まず、『必ず嘘ではないけれど必ず本当でもない』を考えます。かなり魅力が無くなりますが、これを単純に言えば 「嘘でも本当でもない」 となります。0と1しかない状態ならありえない話ですが、迷っている人にとっては、これが真実だと思います。 つまり、『宛て名のない手紙』の意味の根源が迷いだとしたら統一された美しさだと思います。『宛て名のない手紙』を迷って出せない手紙とすると、すぐに思いつくのは、「この手紙で告白すると嫌われてしまうのではないかと思い迷い渡せない」 事です。しかし、この歌の状況には合いません。歌詩の中で『待てる』と云ったり、『此処で死ねる』と叫んだように、「迷っている中でこれが本当の気持ちだと思い書き始めたが、宛名を書く前に別な思いが強くなり新たな手紙を書き始める。」 これが、『宛て名のない手紙』の意味ではないかと思います。これ以外の解釈は、「その2」をご参照下さい。

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