「過ぎし日のセレナーデ」 JR兵庫駅(追加調査結果)
久しぶりに「過ぎし日のセレナーデ」の話題です。ロケ地がJR兵庫駅となっているシーン。高速大開駅への改札口なので兵庫駅の北西側に間違いありません。(薬丸裕英さんと、水沢螢さん)しかし、現在の兵庫駅でロケ地点付近と思われるところですが、現在の兵庫駅には道路に面した改札がありません。そして、薬丸さんが階段を駆け上がった先は中二階に違いありません。しかし、現在の中2階の奥には大きな窓はなく、左に和田岬線の自動改札、右にトイレがあります。 これらについて、@muramotominoruさんが詳しく解説しています #過ぎし日のセレナーデ#過ぎし日のセレナーデロケ地#田村正和 #薬丸裕英 #水沢螢#兵庫駅 #和田岬線 過ぎし日の兵庫駅 ふたたび pic.twitter.com/39v2XyDxMR— #過ぎし日のセレナーデ Archive (@muramotominoru) May 9, 2023 #過ぎし日のセレナーデ#過ぎし日のセレナーデロケ地#田村正和 #薬丸裕英 #水沢螢#兵庫駅 #和田岬線 ※記事に誤りがあった為、訂正し再投稿しました。 pic.twitter.com/6LqgbgLX8e— #過ぎし日のセレナーデ Archive (@muramotominoru) May 18, 2023私も、独自調査によって検証して見ました。まず、入手出来た少し前の兵庫駅構内図(掲示板の設置位置を番号で示している)です。これに1990年ごろ階段だったと私が推定する部分を青色で記入しました。1.大きな窓について、古い和田岬線の動画を見ると現在の和田岬線の自動改札とトイレには大きな窓があったようです。昭和62年(1987年) ホームに入る前、左上が中2階の窓と思われる。上記画面の1秒後、ホームの橋が見える2.いつ和田岬線のホームは中2階に移ったのか?昔は、下の写真のように1階に和田岬線のホームがありました。 神戸の150年-樹林舎より現在は中2階にあります。上記の青色列車は2023年3月18日(土)で引退、下記の列車に変わりました。地図データを調べると過ぎし日のセレナーデが放送された1990年の地図、和田岬線のホームは1階にあります。(線路の下を地下道があったようです)※和田岬線のホームと思われるものを黄色、目標物を水色で示します。1993年の地図では貨物駅がなくなっていますが、和田岬線のホームは1階にあります。1995年の地図も同様です。1996年の地図で和田岬線のホームは中2階に変わっています。どうもこの頃に移動したようです。なお、和田岬線は2001年ごろ電化されましたが、過ぎし日のセレナーデ第4話には電化前のディーゼル機関車が登場しています。※1990年9月30日まで客車列車は、2両のDE10形ディーゼル機関車が編成前後に連結されるプッシュプル運転が基本であり、ラッシュ時に機回しをすることなくピストン運行を行っており、当時の和田岬線列車は「トンボ」という通称を持っていたそうです。(過ぎし日のセレナーデの最終回は1990年3月22日)現在の兵庫駅南東側の状況(貨物駅が広場になってます)3.昔は、どこから和田岬線のホームに渡ったのか?多分、前述の構内図の27番 つまり下記の看板部分だと推定します。4.薬師丸さんが曲がった方向に何があるのか?現在、中2階にあがってすぐ左に1階に行くエレベータがあります。先ほどの構内図にエレベータはないので、1990年にもなかったと思います。薬師丸さんは中2階に登ったあと、数歩駆け抜けて左に曲がっています。そこには、1階の中央改札口に降りる階段か階段前の踊り場があったと思われます。なお、現在、撤去され改札からエレベータへの通路になっている可能性があります。なお、@muramotominoruさんご指摘のとおり次のシーンの場所に行くためには右に曲がってホームに上がる必要があるのですが、なぜ左にしたのでしょうかね。再度、見直したら、9歩くらい走ったところで右斜め方向に曲り、合計14歩目くらいまで走っています。ただし、映像は、曲がり角、あるいは壁の手前までです。新しい壁は石膏ボードなので壁を叩けば判るとのアドバイスを受けたので調査しました。すると上記図で、中央右の壁は昔からあるコンクリート製のようです。つまり、1階に降りる階段はなかったかもしれません。また、14歩で20mは走れないと思います。とにかく、全速力で走って下り階段に行くと非常に危険なのでどうやって撮影したのだろう。しかし、左に曲がると1階へ降りてしまい、次のシーンである摩耶ケーブルには行けません。5.薬丸さんがのぼった階段は残っているか?改札は、現在の吉野家とうどん屋に掛けてあったようです。先ほどの構内図の店舗と中2階の間が青色で書いた部分が階段と推定されます。そこで吉野家で食事をして調査しました。写真は、客席から奥にある厨房を写したものです。ごらんのように吉野家の奥行きは、柱一間半分あります。だから、階段の半分はなくなっている可能性が高いです。ただ、2022年の夏ごろ吉野家は改装工事していたので、改装前は、まだあったかもしれません。ほとんど、@muramotominoruさんの追確認になりました。1990年の構内地図がほしいですね。