僕は2010年1月に交通事故に遭って中途障害者になった。

事故る前までの人生を振り返ると、生まれは横浜らしい。

2歳までそこで育ったそう。

それから今まで東京郊外の実家で暮らしている。

アベプラでも話したけど、僕は事故に遭う前は、身体を動かすことが好きで、小・中・高・大とそれぞれ違うスポーツを経験していた。

小中高と公立の学校に進み、周囲の友達と同じように大学受験をして、いわゆる進学校に合格することだけを目標に受験勉強に励んでいた。

晴れて、無事に大学進学は「合格」することができた。

そこで、止まってた。

大学に受かってからは「夜遊び」に明け暮れていた。

それか、バイトするか。

あ、フットサルのサークルも入ってたけど、それは楽しかったな。

 

2010年1月初頭、事故に遭って、2〜3ヶ月、意識が戻らず、ぼんやりと意識回復後に、初めてやった書字練習のノートは手の震えがひどすぎて、こんな字しか書けなかった。

医療業界では「失調症」っていう後遺症らしい。

 

それから「文字を書く練習」をひたすらやった。

最初は小学校一年生向けのドリル、

次に四、五、六年生のドリル、

漢字を書くのがなんとなく好きだったこともあって、

漢字検定二級の勉強をやり、

それから漢字=中国語という安易な発想で中国語の勉強も始めた。

(中国語は発音が難しいと聞いてたので、言語リハにもなるかなぁ〜、と思ったのもあって)

 

 

今でもまだ「字を書く」ことは苦手だけど、ノート一行に収まるぐらいには回復した。

 

大学の講義で聴いた「“当たり前”の造られ方」っていう話が強く頭に残っている。

それは、「小さい子どもの頃、人は自転車に上手く乗ることができない。けど、親などと一緒に自転車に乗る練習を繰り返していくうちに、次第に“当たり前”に自転車に乗れるようになる。」という話が強く印象に残ってる。

「“当たり前”に自転車に乗れるようになってからでは、もう“当たり前”に乗れなかった頃のことを思い返せない」ともお聞きした。

 

僕もそれを感じてる。「字を書く」ことも同じ。

当時は失調症がひどくて手の震えがあって、字を書くことがままならなかった。

けど、今ではノート一行に収まるようになった。

今となっては、震えでぐちゃぐちゃなあの字は逆に書けない。

「今、“当たり前”になっている欲求は過去には想像もできなかったものである(デザインドリアリティ)」

 

デザインドリアリティについてはまた書きたいと思います✌️😁

 

自宅をバリアフリーに改築工事をしてしいる間に入所していたとあるホームで書道をやる機会があった。

その時にできた作品「濃く生きる」が大学で書道の作品展を開催するきっかけになった。

 

デザインドリアリティについてはまた書こうと思います。

よろしければご覧ください!

では、この辺で!