以前、訪問した鳴沢温泉について調べてみた。
 
鳴沢温泉について、ネットで調べてもこれだという情報が得られなかった。
そこで、6月4日(金)に一関図書館に行き、鳴沢温泉で書籍類を検索すると「須川・本寺風土記」という本がヒットした。
 
あいにく貸し出し中だったので、館員に「この本は何時ごろ返却予定ですか」と尋ねると、パソコンで調べて「もう返却日を過ぎているので、連絡して返却してもらいます」という。
 
これは、たぶん相当返却が遅れていて、借りた本人も忘れているパターンだなと感じ「直ぐに返却してもらえそうな感じですかね」と聞く。
 
そうすると、館員も何かを感じたようで「そうですね。室根図書館にもあるようなのでそちらから取り寄せます」ということになった。
 
なんでも、明日土曜日に定期便があるので来週には来るだろうということで、来たらTELをするとのこと。
 
6月7日(月)は図書館の休館日。
6月8日(火)は夜勤明け。TELは来ていないが、土曜日の定期便に乗っていれば来てるはず、と帰りに図書館に寄ってみる。
 
館員に来てるか確認すると、「まだ、室根図書館で定期便に乗せる準備中です」という答え。
 「いつ頃、来るんでしょうか」と聞くと「定期便に乗ってくるので、いつになるか分からない」との答え。
 
『はい?定期便なのにいつ来るかわからないって、それは定期便と言わないだろう』と心に思ったが「分かりました」と、ここは引きさがった。
この辺の対応が、民間とズレているなあと思ったりする。
 
ああ、ガッカリだよ。と、思ったその時にひらめいたのが、平泉図書館にあるのではないかということ。
 
早速、平泉図書館に行って探してみると、カギの掛かった書棚にあった。
館員にカギを開けてもらい、ついにご対面。
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   「須川・本寺風土記」
  この本は、昭和52年(1977年)3月18日に一関市立本寺中学校が発行したもの。
  一関市 本寺地区とその周辺の、主に昔のことについてまとめられている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その中身を見るとあった!鳴沢温泉跡という項目。
たった4行だけだが確かに書かれている。
原文をそのまま載せる。
 
「この温泉の三代目湯守熊谷寿松さんは、大正四年、営林署より国有地四町歩を借り受け、鳴沢(山王掘伝説」参照)の三ヶ所の湯の湧き口からポンプで湯を吸い上げ(当時の湯温は二五.六度)、それを沸かして温泉を作った。
その当時、近郷の農民たちはもとより、遠くは長島、舞川からも湯治にきたという。
しかし、湯の温度は次第に下がり始め、昭和四十五年廃湯となった。」
 
なるほど、大正4年から昭和45年までは、湯治場として温泉があったということか。
だから、地図にもその名残で「鳴沢温泉」と残っているということだ。
 
しかし、あんな山の中に湯治場があったとは驚きだ。
湯治場ということだから宿泊できる建物などもあったのだろうが、そんな痕跡は見当たらなかった。
きっと薮の中に隠れてしまっているのかもしれない。
 
また、湯の湧口が3ヶ所あってポンプで吸い上げていたということだが、発見したのは自噴していた1ヶ所。
まあ、自噴している源泉もあったのだろう。
 
 
この「須川・本寺風土記」には、他にも「目っこの湯」というのが記載されていて、「半目館」の崖下にあるという。
ちょっと調べてみたが、どうやら矢びつダム付近にある、現在の瑞泉閣の源泉ではないかと思われる。
 
追記
瑞泉閣の源泉では無さそう。