本日から健康サポーターJAPANのメルマガがスタート | がんと共に生きる 健康サポーターメッシーの日常

がんと共に生きる 健康サポーターメッシーの日常

2度のがんを経験した私は、がんと共に生きています。
がんとの向き合い方で悩んでいる、
大切な人のがんのことで頭を抱えている、

「健康サポーターメッシー」は
あなたが自分らしく「健康」に生きることを信じ、本気で応援します。

本日から月一の健康サポーターJAPANのメルマガ「健康サポーター通信」がスタートしました!

メルマガでコラムを担当してくださった村本さんの記事をご紹介します。
がんの治療で声を失われた村本さんの体験がリアルに書かれています。

「新たなるいのちと共に」  

2009年4月、食道がんを宣告された。当時44歳、ビール会社の人事部門で課長だった。

年末からの喉を押される感じ。内科や耳鼻科で問題なしと言われ、消化器内科で内視鏡検査の予約をした。次第に物を飲込むとひっかかる感じもしてきた。その日、内視鏡を入れられた瞬間、「食道の入口に腫瘍がある」と言われた。初めての内視鏡検査の苦しさもあって、非常にショックだった。1週間後、正式に食道がんと言われた。縁遠いと思っていた病名が診断書に書いてある。現実感がなかった。

本格的に治療ができる病院での再検査。声帯の真裏に5cmのがん。手術すると、基本的に声帯も切除する。先生は少し考えて言った。「とりあえず放射線治療をやりましょう」。方針が出るまで不安だったが、腹は決まった。

4週間、会社を連日、私用外出しての治療。併行した週1回の抗がん剤は、3回目で気分が悪くなり中止したが、放射線は予想以上に効果を発揮し、さらに3週間弱、かけられる限界量まで続けた。秋の検査で、がんは消えていた。

不思議な気持ちだった。きっと生かされたのだ。仕事では、課題を先送りしてはいけないと強く思った。目の前の案件に今まで以上に全力で対処した。

2011年春、震災直後に人事部門の責任者に昇進した。慌ただしさが少しずつ落ち着く中、やりたいことはこれからだった。けれども、がんは甘くなかった。
(つづく)


ご興味がある方は下記サイトからメールアドレスをご登録ください。
http://kenko-supporter.com/mail-magazine

次回は6/1の配信予定です!