馬防柵

愛知県新城市大宮清水1−9

勝敗の決め手となったのは馬防柵でした。設楽原の中央を流れる連吾川沿いに全長2キロメートル、三重で作られていました。この材料である丸太を岐阜や岡崎から連合軍の兵一人一人が1本ずつ運んできたと伝えられています。

柳田前激戦地

愛知県新城市八束穂字天王

長篠・設楽原の戦いで、生き残った武田軍の各隊が合流して最後の突撃を行った場所です。

土屋右衛門尉昌次公の墓

〒441-1318 愛知県新城市八束穂951−3
 

 

 

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