太田左近像

和歌山県和歌山市太田1丁目15-3

和歌山駅東口近くにあるこの像は、備中高松城、武州忍城と並び「日本三大水攻め」に数えられる豊臣秀吉の水攻めにより陥落を余儀なくされた太田城の城主・太田左近の像です。この戦いで、秀吉軍は高さ約4~6m、総延長約7kmにも及ぶ壮大な堤防を築造したと言われ、約1か月間の攻防により物心両面で精根尽き果てた太田一族は遂に城を明け渡すことになりました。このとき、降伏の条件として太田城の指導者であった太田左近をはじめとする53名が自刃したと言われています。

 

 

 

中野城跡

和歌山県和歌山市中野21

中野城は雑賀衆の支城として、孝子峠越えと大川峠越えの道が交差する要衝に築かれた城です。1577年(天正5年)の織田信長による雑賀攻め(第一次紀州征伐)では織田勢を迎え撃つための前線基地となりましたが落城し、織田信忠がここに本陣を構えました。現在の貴志南小学校の南側、スーパーとの間に案内板があります。