恵解山(いげのやま)古墳

京都府長岡京市勝竜寺30

山崎の合戦で明智光秀が本陣をおいたとされる御坊塚は境野1号墳ではなく、恵解山古墳とする説が最新の学説となっています。恵解山古墳から天王山側の前面にかけて、大規模な深い濠が巡らされているのが見つかり、さらに、前方後円墳のくびれ部から火縄銃の弾、墳丘西側から火縄銃の鉛弾が多数出土し、陣城遺構でないかと思われるものが発見されたそうです。以上のことから、恵解山古墳が御坊塚の可能性が出てきました。まだ決定打となる物証までは出ておらずどちらが、御坊塚の光秀本陣だったかは不明で、さらなる研究結果が待たれます。

恵解山古墳は、古墳時代中期に築造された乙訓地域で最大の前方後円墳です。桂川右岸の標高わずか16メートルの台地端につくられており、全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、高さ10.4メートル、前方部の幅約 78.6メートル、高さ約7.6メートルと推定されています。周囲に幅約30メートルの周濠があり、周濠を含めた古墳の全長は約180メートルに及びます。