「乾燥が続く生活の中での不十分な支援」

シリアとレバノン、ヨルダン、イラクに影響を与えている干ばつがさらに悪化することにより、シリアとその周辺地域における総合的な状況もさらに悪化している。

シリアでは現在のところ、例年の半分より少ない、1959年以来最少の降水量が確認されている。 


20144月に、シリアでは例年の農業生産量よりも少なくなったこと、そしてこれは人々の所得形成と食糧入手に悪影響を与える見通しだということを、国連食糧農業機関が確認した。 

公式に発表されたシリアの前回の干ばつ(20072009年)は、アル=ハサカやアル=ラッカ、アレッポ、デリゾールへの厳しい打撃とともに、実に100万人を超える人々に影響を与えた。 

今年3月までに、この状況は危急を告げるものとして評された。



280万人にもおよぶ避難民の窮乏に対して奮闘しているシリアの西部および中央部では今年、この水不足の打撃は大変厳しいものになると予想されている。 

もしも状況がさらに悪化すれば、充分な物資を得るためにさらに多くの市民が故郷を離れることを強いられるだろうという懸念がある。 

同時に、水資源は既に大変ひっ迫した状況下にある。 

具体的には、地下水位はどんどん下がっており(海水面から700メートル以上掘り進まないと地下水にたどり着けない場所もある)、泉や井戸は干上がっており、水道事業が停止したときに水の最も重要な供給元となる河川では、高濃度の汚染が起きそうな状態である。

ヨルダンでは、ダムの貯水率が、前年の同時期が53パーセントだったのに、現在はわずか42パーセントでしかない。 

例年のわずか31パーセントの降水量しかない2014年は、2008年以来最も乾燥した年となっている。 

地下水位はここ20年間にわたって、死海で52メートル、アズラックで17メートル、そしてアンマンやザルカでは30メートルにまで落ち込んでいる。

地元住民でも13週間に1度しか水を入手できない北部地域では特に、これまでにも既に水の配給が強く求められている。 

依然として下水処理網から切り離されたままの家庭が増えて続けており、また既存の汚水処理施設が今も最大限の能力で稼働しているにもかかわらず、水の供給についての対策は現在、北部地域のあらゆる場所で定期的に中断されている。 

あとで加わった北部の50万人の難民(彼らの半数はマフラックとイルビドに避難している)にとって、既に非常に限られている資源の上にあるその精神的緊張は今年、より厳しいものになると予想される。

シリアとヨルダンのように、レバノンもまた、過去100年で最も乾燥した冬のうちの1つを現在、経験している。 

この国が供給する水の約80パーセントを占める地上の水は、乾燥した夏に備えて冬の間に蓄えられた雨に依存している。 

しかし今年は、貯水池が干上がっている状況が続いている。 


400,000人近くの難民を受け入れているザーレでは、例年の降水量が520mmであるのに対して、2014年の降水量は220mmしかなく、地下水位に悪影響を与えている。

上下水道局の局長は、ダマスカスでも他の地域で観測された減少とよく似た状態で、(地下水位が?)11メートルまで下がったと言う。 

水源地では水の流出量が40パーセントにまで減少し、沿岸部の町では井戸の塩分濃度が高くなっている。 

既にシリア人難民は1日・1人あたり15リットルの水しか手に入れられないという苦しい生活をしている。 

その上、避難世帯の40パーセントは充分な(屋外の土を掘った)臨時トイレや石鹸、その他衛生用品を入手できずにいる。


イラクでは今年、降水量減少と乾燥状態が予測されている。 

この状況は、現在のところ不完全な保守整備状態の水道設備によりなんとか維持されている水の喪失につながる。 

これは確実に水の利用に打撃を加えるだろうし、その水の40パーセントはイラク外にある地上の水資源から来ている。 

さらに、泉のうちの40パーセント(これらは地中から供給されて、そこに溜まる水の大部分を占める)は、前回の干ばつで枯渇しきっている。

Drying up: The growing water crisis facing Syria and the region


↑ 英語版のリポートをPDFでダウンロード出来ます。
その日本語版を見つけられなかったので、途中まで自分で訳してみました。
つづきはまた後日、がんばってみます。
地名等のカタカナ表記については不確かなことも多く、また不自然な翻訳になっている個所も多いかと思いますが、皆さんの参考にしていただければ幸いです。



「水資源も、その供給も枯渇している」

シリア周辺地域で増大している「水の危機」

アンマン、2014年6月6日

警告:3年にわたる紛争による上下水道への深刻な被害の影響で、増え続ける疾病の危険に何百万人ものシリアの子供たちがさらされている。深刻な水不足 ― そして干ばつの脅威 ― によって、状況はさらに悪くなっている。シリア国内およびその周辺諸国では現在、3百万人の難民を保護している。

子供たちのために一致団結しよう unicef



概略
シリアの内戦は既に4年目に入り、一般市民への衝撃はさらに破壊的になっている。
清潔な水や下水道、衛生環境を入手する方法は悪化し続けており、それがシリアとその周辺の何百万人もの人々の健康に対する深刻な脅威を引き起こしている。
現在もなお続いている膨大な人口移動、そして基本的設備やインフラストラクチャーの破壊に連動した暴力の増加は、この危機をその只中にいる子供たちにとっての人道的大惨事にしている。
さらに状況を悪化させているものは、シリアとその周辺諸国に干ばつの危機が迫っていることだ。

シリア
現在のシリア国内において、安全な水を入手できる割合は危機以前の水準の3分の1にまで落ち込んでいる。
内戦により960万人を超えるシリア国民が影響を受け、そのうちの46パーセントは子供たちである。
トイレやシャワーを利用することが非常に限られた、大変混雑した避難所で多くの人々が生活している。
ここ18か月間で避難所の数は2倍近い977となり、25パーセントの人口増加が6大都市で確認されている(6大都市:アレッポ、ダマスカス、ホムス、イドリブ、デリゾール、ハマー。国連難民高等弁務官事務所レバノンに登録されている統計による)。
現在、アレッポの人口だけでも、危機以前の2倍、250万人となっている。
シリア国内のあらゆる地域は、この半世紀以上の間で最も降雨量の少ない状況を経験している。
2014年は今までのところ、国内のほとんどの地域で、この時期の平均降雨量の半分しか享受しておらず、それは真夏を前にしてもなお、地下水面および帯水層に重大な問題を与えている。
3週間に1度しか水を入手できないような、水の通常供給を維持することが困難な地域もある。
最近、1日あたり1億2500万リットルの水を供給するアレッポの中心的な配水施設は計画的に業務を停止したことがあった。
アレッポとその周辺地域の少なくとも250万人が、少なくとも10日間、清潔な上下水道設備なしという状況に置かれた。
内戦は下水施設や配水施設、その他の水に関連したインフラストラクチャーにも深刻な被害を与えている。
特にダマスカス、イドリブ、デリゾール、ホムス、アレッポ、そしてアル=ラッカ周辺地域のように、高いレベルでの交戦状態が見受けられる地域では、頻繁に起こる停電や燃料不足、水道設備の維持管理不足により、状況はさらに悪くなっている。

ヨルダン
既に世界で4番目に水が不足している国であり、水資源を含む公的サービスにおいて、国境を越えて流入した数十万人ものシリア難民はさらなる緊張下にある。
ザータリはアラブ世界で一番大きな難民キャンプで、少なくとも99,000人を保護しており、そこで現在必要とされているものをそろえようと、各援助機関は奮闘している。
真夏の間中、北方地域において水を入手できるのは3週間に1度未満という状態にまでなっている。

レバノン
レバノンは100万人を超える難民を受け入れている。
彼らの多くはレバノンのあちらこちらに散らばっており、非公式なテントで生活している難民は、ベッカー高原を越えた地域に34パーセント、北方地域に27パーセント存在する。
現在、この国の総人口の正に5分の1強をシリアの人々が占めるまでになっている。
この膨大な人口流入は、上下水設備の存続に対する圧力を増加させている。
レバノン国内の難民受容地域においては、しっかりとした受容能力が大きく失われつつある。
既に不安定になっている社会的・経済的・政治的環境の中で、受け容れる側と難民側の両共同体間の安全な飲料水と汚水処理への要求の競り合いは緊迫の度合いを増している。
多くの場合は飲用に適さないような水を集めるため、成人女性や少女たちは特に、頻繁に長距離を歩くことを強いられている。

イラク
シリアからの20万人を超える難民たちは10か所のキャンプ地に住んでおり、それは主にイラクの北方のクルド人居留地区である。
難民の多くは水道水を入手しているにもかかわらず、その水の信頼性は50~75パーセントの間で変動している。
難民流入よりも、70パーセントの水が喪失していることこそが問題だと示すスレイマニヤを含めて、難民危機は水道システムにさらなるストレスをかけている。
汚水の処理と管理にも心配な点があり、この地域では下水処理施設の不足が原因で、現在のところは適切に処理されていない汚水を垂れ流しているのだ。
コレラや腸チフスの発生、さらに最近ではポリオ(せき髄性小児まひ)の再発生というイラクが持つ過去の経験もあり、この国における状況は全く油断ならないものである。
この15年以上にわたって、イラクでは2~3年ごとに伝染病が広く流行している。
最近のコレラの発生は2012年9月にスレイマニヤで起こった。
全ての難民キャンプにおいて、ひどい下痢は依然として大規模かつ共通して報告されている病気である。
その社会秩序の中にあるさらなる緊張は、問題の多いアンバール州を逃れ、エルビルへと移住した3,214家族と、スレイマニヤへと移住した3,338家族の移動に起因している。

僕は人を褒めることが好きだ。





しかし先日、


「もしかしたら僕は、確固たる理由があるわけでもないのに、出鱈目に人を褒めてはいないか?」

と、随分と心配になった1日があった。





加えて、数年前に僕は、

「自分には人を見る目がない!」


と、言い切っていた。




結論を先に書くと、これらはどちらも杞憂(心配しなくてもよいことをくよくよと心配する、余計な取り越し苦労のこと)であった。





「僕には人を見る目がある」

と、今は自信を持って言える。



ただ、現在に至るまでに生涯を共にするパートナーを見つけていないという、それだけのことだ。

全く別の問題であった。





「僕が人を褒めるからには、確固たる理由がある」

と、今は自信を持って言える。


随分といい加減に生きている僕かもしれないが、決して出鱈目ではない。


人と接する中で、その人から何かを感じ取る力。


これはみんなに、そして僕にも、充分に備わっている。

感じ取った何かが褒め言葉になる。


それで大丈夫なのだ。




感じ取った何かによっては、それがその人を愚弄し罵倒する言葉になってしまったことも数多くある。


それが僕の欠点であることには疑いの余地はない。


その欠点を出来るだけ抑えながら生きていくことが、近年、少しずつ少しずつ出来るようになってきたように思う。





以前の僕であれば愚弄し罵倒していただろう人達。

彼らの中にも「褒めることの出来る、素晴らしい何か」があると信じ、それを探していくのは良い生き方だと思う。



僕はきっと大丈夫だ。










"Whose hero (or heroine) will I be able to be?"

「私は誰のヒーロー(またはヒロイン)になれるのだろうか。」


"Where should I be during the rest of my lifetime?"

「残りの人生において、私が存在するべき場所は何処なのだろうか。」


Perhaps aren't most people looking for the answers to these questions?

おそらく多くの人々は、これらの問いに対する答えを探しているのではないでしょうか。

After listening to a song written in English last night, I thought so this morning.

昨夜、ある英語の歌を聴いた後、今朝私はそう思いました。


If you need me, call me, no matter where you are, no matter how far


If you're ever in trouble, I’ll be there on the double just as fast as I can


No winters cold can stop me


There ain’t no river wide enough to keep me from getting to you


(The excerpt from ‘Ain’t No Mountain High Enough’)

もしもあなたが私を必要ならば、何処にいても、どんなに離れていてもいいから、私を呼び出して


もしも君が困っていたら、僕は直ちに君のもとへ行こう


とにかく、出来る限り早く


どんな冬の寒さでも私を止めることはできない


僕が君のもとへたどり着けなくするような広い河はないんだ


(「Ain't No Mountain High Enough」からの引用)


This is not only a love song but also a righteous song.

これはただのラヴ・ソングというだけでなく、正義の歌でもある。

(Continued from the previous article)


I went through Ojiya city by Route 17, and got to Myoken Earthquake Memorial Park.

I stopped my bike, walked to the monument and joined my palms together in prayer for the victims of the Chuetsu Earthquake.


Then I had riceballs and pickles which the landlady & landlord of the hotel gave to me that morning.


I made a little move toward the Myoken Zeki Dam after lunch, and took a rest there.





The weeping willow in the sun’s light was so beautiful.




In Nagaoka city did I take a picture of the standpipe which I had long been interested in.

Since I felt it was hotter that day than the day before, I frequently took rests at different places.


In the silent precinct of this Shinto shrine did I feel comfortable.

This is the route I passed through during those two days.

http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=96fed668e907fc89759477e28aa83f9c

(Continued from the previous article.)


That night, the landlady said to me, “you may be able to see some flying squirrels.”


I had a good sleep.


And next morning, I got up earlier than usual.


I opened the shojis (sliding paper doors), and saw the outside from behind the window.


After a while, I could see a few flying squirrels gliding among the Japanese cedars!


That was so impressive for me.



After having breakfast in an expansive mood, the landlady and landlord gave me some riceballs and some pickles when I checked out of the hotel.


Although those must not have been included in the price, they said to me “have these for lunch on your way home.”


I was most grateful to them for their hospitality.


After saying good-bye, I left the hotel for home.


It goes without saying that Imogawa hot spring was tremendously comfortable for me.


(To be continued)

(Continued from the previous article.)


Most remaining distance of that day was downhill.


When I left home, I expected the arrival time would be about 17:00.


Since there was some minutes before sunset, I took a rest at a convenience store near the destination for a while.


Finally, I got to the hotel "Imogawa Onsen Yumoto Mannen-So" at 17:50.


The average speed of that day was about 20㎞/h (13㎞/h included rest time).


By kindness of the hotel owner's was I able to put my bike in the hall.


I took a bath after having a smoke.


And the dinner!







Every single dish was so delicious!


(To be continued.)

(This is continued from the previous article. )


On September 28, 2013, I left from Niigata city for Uonuma city by bicycle at about 10 o'clock.


The destination of this overnight trip was a Japanese-style hotel, 芋川温泉 湯元 まんねん荘 (Imogawa Onsen Yumoto Mannen-So.




The distance between home and the hotel was about 100km, but I had not ridden bike over 80km a day for a few years.


Because I was anxious about what is going to happen during the trip, I prepared the bag for my bicycle in a train the day before.




I went through Sanjo city and Tochio area (Route 289,290), and had a deep-fried bean curd set lunch around 14 o'clock.


On my way to the day's highest point, I found a nice view, so I stopped my bike, and enjoyed seeing the view for a while.



↑ The altitude of the day's highest point was 356 meters.


(To be continued.)







I'm waiting for the start of this bicycle season now, and going to start riding the bike about two weeks later.




Before it, I would like to look back my bicycle life of last season.


From the latter part of April to the beginning of September, I had ridden it only in Niigata city and its surrounding area.




On September 8, I competed in the race, Niigata Hill Climb DAIRO CHALLENGE 2013, in the rain.







My time for the race was 34 minutes 12 seconds, it was more than twice as long as the winner's one.


(To be continued)

この国・この土地で暮らしていて、「なんて不自由なんだ!」と感じている人もいるだろう。


一方で、同じ国・同じ土地で暮らしていて、「この社会に存在するある一定の約束事から大きく逸脱さえしなければ、何かを学ぶにも、働くにも、遊ぶにも、自分は今、自由なんだ。」と感じている人もいるだろう。


両者の違いは何なのだろうか。


「収入や財産が多ければ多いほど、また学歴が高ければ高いほど、『前者のような不満』を抱かない傾向にあるはずだ」と考える人々は今の時代、おそらく少数であろうと私は思う。


「一心に学べる・働ける・遊べる、そういう場所を懸命に探して見つけて、またはぶらぶらしている間に偶然見つけて(その場所を見つける手段などは不問なのだ)、そこに身を置き、興味が湧く物事に取り組む」ことさえ出来ていれば、その人は『前者のような不満』をほとんど抱かないのではないだろうか。






義務教育を終えたとき、本人がなお一層学びたければ、間を空けずに高等学校へ、その後もなお一層学びたければ、研究したければ、間を空けずに大学・各種学校へ進学することも勿論良いだろう。


しかし、なお一層学びたくなるときは、義務教育を終えるのと同時であるとは限らない。

それは多くの大人達が体験していることではないだろうか。






義務教育を終えてから、「もっと学びたい!」と思うまでにどれほどの間が空くかは人それぞれだろう。


そういう尊い気持ちを充分に受け入れられる国であってほしいし、充分に受け入れられる土地・学校・企業が多くなってほしい。


また、そういう気持ちを充分に受け入れられる人間でありたいと私は思う。






いずれにしても、良い大学に入るための『予備校』として高等学校へ進学したり、良い企業に就職するための『予備校』として大学へ進学するという考え方はいかがなものか。


そういう考え方にばかり縛られていると、時にその人自身の将来の選択肢を狭めてしまう結果にも繋がりかねない。






進学に際しては「もっと学びたい!研究したい!」という尊い気持ちを伴なっていてほしい。


そして誰にでも、見方・考え方次第で、将来の選択肢なんていうものは無限にあるのだと、私は思う。