ティティ探偵の興味津々(パート2) -36ページ目

ティティ探偵の興味津々(パート2)

ブログの説明を入力します。

 

このシリーズの最終回は「勝どき」です。

 

勝どき(一丁目~四丁目)

勝どき一丁目~四丁目は「東京湾澪浚(みおさらい)計画」の

月島2号埋立地として明治27年(1894造成された島です。

 

もう一度整理すると、月島1号埋立地が月島、月島2号埋立地が

勝どき一丁目~四丁目、月島3号が勝どき五丁目~六丁目です。

このシリーズでは勝どき一丁目~四丁目を歩きます。

 

 

勝鬨橋

勝鬨橋は明治38年(1905)、日露戦争勝利を記念して

「勝鬨の渡し」が設置されましたが、この地域の重工業化で増大する水陸の交通量に対応するため3,000トン級の船舶の航行が可能な可動橋(跳開橋)として昭和15年

1940)に完成しました。

訪れた時は橋の塗装工事中?のようでした。

 

 

2015年、史跡めぐりで築地を訪れた時の勝鬨橋です。

 

 

勝どき・豊海歴史資料展示館

月島第二児童公園内にある展示館で氏神である住吉神社の

祭に使用される獅子頭、大中小の神輿、山車、纏が展示

されています。神輿や山車は室町時代から続く名門神輿師

14代浅子周慶(あさこしゅうけい)の作です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東陽院(十返舎一九の墓)

大正15年(1926)浅草永住町より移転して来た日蓮宗の

お寺で十返舎一九の墓があるので有名です。十返舎一九は

江戸後期の戯作者で多くの黄表紙・洒落本・滑稽本などを

書きました。中でも滑稽本「東海道中膝栗毛」が大当たり

をし式亭三馬と共に「滑稽本の二大作家」と称されました

 

 

十返舎一九墓所碑

お寺の角地に設置されています。

 
 

本堂

 
 

十返舎一九のお墓

お墓は本堂裏の墓地式納骨堂にあるというので、

お願いして入れてもらいました。

本堂左手の玄関から入り靴を脱いで廊下を進み

納骨堂に着きます。ここでスリッパを履き納骨堂に

入るとすぐ左手にお墓があります。

よく知られた辞世の句が刻んでありました。

 

「此の世をば どりやお暇(いとま)に 線香の

煙とともに 灰さようなら」

 

十返舎一九の筆名は、名香「黄熟香(おうじゅくこう)」

が十度焚いても香を失わないことから「十返しの香」と

呼ばれることから、「一九」は幼名の「市九」から

来ていることを思うと単なる洒落ではなく、意味深い

辞世の句です。

 

「黄熟香」の雅名が「蘭奢待(らんじゃたい)」と

呼ばれるのは漢字の中に正倉院のある「東」「大」「寺」

が隠れているからです。

お墓の写真は禁止でした。

 
 

住吉神社・御旅所(おたびしょ)

明治34年に2号埋立地に造られ昭和59年に現在地に

移転してきました。

住吉神社本祭2日目には各町会の神輿が獅子頭の先導

もと御旅所までやってきます。これが「連合渡御」です。

御旅所と言われるのは3日目に住吉神社の宮神輿(八角

神輿)が氏子地域を回る途中、ここに仮に奉安し一泊する

ことからです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これで「佃・月島・勝どきを歩く」シリーズは終りです。

長い間お付き合いいただきありがとうございました。

おわり