大晦日
明治になるまでの旧暦では月の満ち欠けを基準とした太陰暦に
太陽の動きで修正を加えた太陰太陽暦を使用していました。
月の満ち欠けの周期は29.5日ですからひと月を29日
とする「小の月」と30日とする「大の月」を作って
0.5日を調整しました。
また、29.5×12=354ですから地球の公転周期の
365日には11日足りません。そこで約3年に一度、
閏月を設け一年を13月にして調整しました。
月の満ち欠けを基準とすることから月の見え方(月相)にも
名前をつけました。
1日:朔(さく)、新月
2日:既朔(きさく)
3日:三日月
7/8日:上弦の月
13日:十三夜
14日:小望月(こもちづき)
15日:望(ぼう)、望月(もちづき)、満月
16日:十六夜(いざよい)
17日:立待月(たちまちづき)
18日:居待月(いまちづき)
19日:寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)
20日:更待月(ふけまちづき)
22/23日:下弦の月
29/30日:晦日(みそか)、三十日
29/30日:晦(つごもり)、月陰り(つきごもり)
と呼んでいます。
月の出るのが毎日約50分(48.8分)ずつ遅れてくること
から17日以降は立って待つ、座って待つ、臥して待つ・・・
と呼び方が面白いですね。
さて、大晦日ですが、毎月の終りの日を晦日と呼び、
一年の終りの晦日を大晦日、大晦(おおつごもり)と呼びます。
除夜の鐘
「除」とは「ものを割る」という意味に加えて「古いものを
捨てて新しいものに移る」という意味があり、一年を割って
新しい年に移る最後の日である大晦日は「除日(じょじつ)」
と呼ばれており、除日の夜を「除夜」といいます。
そして除夜から新年にかけて撞くのが「除夜の鐘」です。
鎌倉時代に中国の宋から伝わったと言われていますが、
江戸時代の「東都歳時記」には記述がなく、浮世絵や図絵にも
取り上げられていないことから、定かではありません。
鐘を108回撞くというのにも諸説あります。
● 人には108つの煩悩があり、その煩悩を祓うために
旧年から新年にまたがって108回撞く
● 一年の12ケ月、24の節気、72の候を乗り越えて
新しい年を迎えるために撞く
12+24+72=108
● 四苦八苦を祓い乗り越えるために撞く
4×9=36、8×9=72、36+72=108
だんだんと怪しくなります・・・・・・?
鐘の撞き方は、旧年中に107回撞き、新年になってから
108回目を撞くそうです。
年越しそば
江戸中期頃から商家では最も忙しい月末(晦日)に蕎麦を
食べる慣習がありました。これを晦日(三十日)そばと
呼び大晦日に食べる蕎麦は正月に一つ歳を取る(数え歳)
ことから「年取りそば」とも呼ばれ、これが年越しそばの
起源とされています。「年越しそば」と呼ぶようになった
のは明治に入ってからです。
また、季節を分ける節分の日に厄落としとして食べる蕎麦を
「節分そば」と言い、旧暦では正月から春になり新年となる
ことから特に大晦日に食べる蕎麦が「年越しそば」と言われる
ようになったとも伝えられています。
王子の狐火
王子には、千年もの昔から大晦日に関東一円の稲荷神社からの
お使いである狐が大きなゑの木の下に集まり、装束を整えて
関東稲荷総司の王子稲荷神社に詣でたという伝承があり
ゑの木の傍には「装束稲荷神社」が祀られました。
近在の農家では、狐の灯す狐火の量で新年の豊凶を占いました。
この様子は浮世絵や図絵の題材にもなっています。
「名所江戸百景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」 歌川広重
遠くには狐火の列が描かれています。
「江戸名所図会 装束畠衣装榎」 長谷川雪旦
現在でも毎年、大晦日から元日にかけての深夜に狐のお面を
かぶった袴姿の人々が装束稲荷神社から王子稲荷神社まで
お囃子と一緒に練り歩き参拝します。
2015年12月6日 子供の狐の行列
おわり










