中国の武漢で発生したコロナウィルスで全世界が大騒ぎと
なっていますが、江戸時代でも現在のインフルエンザにあたる
「はやり風邪」で騒ぎとなっています。
ただ、江戸時代の人はこれに「〇〇風」と当時話題の人の
名前を付けて呼んだそうです。
お駒風
安永5年(1776)頃に流行った風邪で当時評判の人形浄瑠璃
「恋娘昔八丈:こいむすめむかしはちじょう」の妖婦「お駒」
の名前を付けて呼びました。
浄瑠璃のモデルとなったのは享保11年(1726)に起こった
「白子屋事件」です。
日本橋新材木町の材木問屋の長女・お熊(劇中はお駒)が
夫の又四郎を殺そうとした事件です。
南町奉行の大岡忠相が裁きを行い、「大岡政談」にも採り上げ
られました。
判決は市中引き回しの上獄門で、日本橋でも評判の美人で
あったお熊を見ようと沿道には大勢の人が押し寄せました。
裸馬に乗せられたお熊は人々の期待に応える?ように高価な
黄八丈の小袖を羽織り、水晶の数珠を首に掛けた派手な姿で
堂々としていたそうです。
谷風
もともとは天明4年(1784)のはやり風邪のことを「谷風」と
呼びました。この風邪の強さのことを谷風が「土俵上でわしを
倒すことはできない。倒れているところを見たいなら、わしが
風邪にかかったときに来い」と言ったからです。
ところが、寛政7年(1795)のはやり風邪でその谷風が現役の
横綱のまま亡くなってしまいました。この風邪は「御猪狩風:
おいかりかぜ」と呼ばれていたのですが、次第に先の風邪と
混同してこちらを「谷風」と呼ぶようになりました。
ちなみに、谷風の亡くなった1月9日は現在「風邪の日」に
定められています。
お七風
享和2年(1802)頃流行った風邪で、この頃「八百屋お七」
を題材とした小唄が流行していたことに因みます。
「武江年表」
“享和二年二月より四月に至り、風邪流行、賤民へ
御救米銭を下し賜ふ、俗にお七風と云ふ、八百屋お七の
小唄はやりし故なり“
江戸本郷の八百屋の娘・お七は、天和2年(1683)の大火の時、
避難先のお寺で出会った寺小姓の庄之助に恋焦がれ、火事に
なれば庄之助に会えると自宅に火をつけ放火の罪で火あぶりに
されました。
火事そのものは小火(ぼや)でしたが、当時放火は重罪で
市中引き回しの上、火あぶりで処刑することになっていました。
取り調べの時、若い娘なので不憫に思い減刑しようと15歳で
あろうと尋ねましたが16歳であると言い切ったので火あぶり
の刑になりました。(15歳以下だと減刑された)
小火であったのを天和の大火と書きましたが、井原西鶴が
「好色五人女」に採り上げてオーバーに脚色したことに
よります。寺小姓も「吉三郎」という名前になっています。
「松竹梅湯嶋掛額(八百屋お七)」 月岡芳年
お染風
もともと江戸時代には「はやり風邪」のことを「お染風」と
呼ぶことがあったそうです。岡本綺堂の「綺堂むかし語り」では
「恋の病」からお染が久松に惚れたように「すぐにうつる」
という粋な謎かけであると書かれています。
「お染久松」とは豪商の娘・お染と丁稚の久松とが恋に落ち、
身分の違いから叶わず心中するという宝永7年(1710)、
実際に起きた悲恋を題材とした歌舞伎・浄瑠璃の演目です。
鶴屋南北の「お染久松色読販(うきなのよみうり)」が江戸の
森田座で文化10年(1813)に初演されてからその人気は
現在までも続いています。
明治23年(1890)のはやり風邪も「お染風」と呼ばれ
ましたが歌舞伎・浄瑠璃での人気も相俟ってその呼び名も
大々的に広まりました。このとき、家の入口に「久松留守」
と書いた紙を貼っておくとお染さん(風邪)が来ても家の中に
入ってこないという洒落たおまじないになりました。
昨年5月に史跡めぐりクラブで浅草を訪れた時、仲見世の
裏戸に「久松留守」の張り紙を見つけ嬉しくなりました。

アマビヱ
このおまじないに類するものがコロナウィルスの感染で
大変になっている現在、話題になっています。
弘化3年(1848)4月中旬の日付のかわら版で、要約すると
“肥後国(現在の熊本県)の海中に毎夜光るものが現れると
いうので役人が見に行くと図のようなものが現れ、私は
海中に住むアマビヱと申す者なり。当年より6ヶ年は諸国
豊作で疫病も流行する。私を写して人々に見せなさいと
申して海中に去りました。役人より江戸に申し来る写し
なり“ と書かれ「アマビヱ」の写しが描かれています。

このかわら版がアマビヱに関する唯一の資料なのでどのような
効果があるのかはわかりませんが、疫病から守るという同様の
絵が描かれている資料は多くあります。
それには「海彦(アマビコ)」と書かれています。
「越前国主記」

研究者の間では、かわら版の「アマビヱ」は「アマビコ」の
「コ」を「ヱ」と読み違えて書いたのではないかと言われて
います。
いずれにしても治療薬の開発されていない疫病に対しては
祈るしかないのでしょうか。
早く収束することを願います。
おわり










