前回の「端午の節句」で5月は午の月と書きましたが十二支の
順で数えると午は7番目です。
「子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥」
7番目なのですから7月では・・・・?
この疑問に答えるには暦を作る作業がどのように始まったか
を知る必要があります。
それは「冬至」の月を探すことから始まります。
古来中国では「北斗七星」の柄(おおぐま座の尻尾)の指す
方向を毎日、同じ時刻(日付の変わる午前零時)に測ると
季節によって変わっていくことを知っており、これで季節を
決めていました。すなわち、冬至の頃は真下(天空では北)、
春分の頃は真横(東の方向)、夏至の頃には真上(南の方向)、
秋分の頃には真横(西の方向)を指します。
こうして月を決めることを「月建(げっけん)」と呼びます。
「建」とは「おざす」と読み、「尾指す」の意味です。
尾が「子」(北)の方向を指す月を「建子月(けんしげつ)」、
「丑」の方向を指す月を「建丑月(けんちゅうげつ)」、
「寅」の方向を指す月は「建寅月(けんいんげつ)」と
順次呼び月の別名にもなっています。
ここまでは問題ないのですが、正月をどの月にするかは
王朝によって異なっていました。
中国最古の王朝と言われる「夏(か)」は建寅月を、
次の「殷(いん)」は建丑月を、更に次の「周(しゅう)」は
建子月を正月としたのです。
更に次の「秦(しん)」は建亥月とするなど様々でしたが、
前漢の武帝の時代の「太初(たいしょ)の改暦」で正月を
建寅月に決めて以降、今日まで2000年以上にわたって
続いています。
すなわち、冬至を含む旧暦の11月が建子月、正月(1月)が
建寅月となることから、5月が干支の7番目の「午」の
月になっているのです。
ややこしい話ですね!
おわり
