「――嗣相続って、いたことあります?」

秋ごろのことである。10階建てマンションのエレベーターのなかで、屋上からエレベーターに乗って1階に降りるとき、ぼくはいった。

「これって、思考実験ですよ」

「……」上背のある彼は、エレベーターの天井を見て、防犯カメラが盗まれたケーブルの切断面をじっと見ていた。

「人が手にしたボールが手を離しても、エレベーターが落ちる速さとおなじ速さで人も落ちているときって、ボールが手から離れないように見えるっていうことさ」

エレベーターが落ちる加速度と、重力が釣り合ったとき、エレベーター庫内にある重力の場が消え、人の重力も消えてしまったのだと考える。

ぼくは、そんな話をするものだから、彼は嫌な顔をした。

おなじ話を、エレベーターのなかで、元パーサーの50代の女性に話すと、「田中さんとわたしの、ふたりの重力も消えるかしら?」といった。

おもしろい表現だ。

 

 

カルダーノ 波乱万丈の人生」

 

「ためしてみますか」というと、彼女は笑っていたが、ためしたいとはいわなかった。

元パーサーは、国際線であちこちの遠い空の上を飛行していたといった。重力と慣性力が等しい価値をもつという話は、そのとき、彼女にはぼく以上に関心を強く惹きつけたらしい。

「……男女にも、引きつけ合う引力があります」といったら、彼女は「そうなの?」と、まじめにきいてきた。「同時に、突っぱねる斥力(せきりょく)もあるんですよ」といったら、変な顔をされたっけ。

そのときはもう1階に到着していた。

そしてぼくは、1階のロビーで椅子に座って、自販機から買ってきたばかりの温かいコーヒーを振る舞った。

「きょうは、もう完全に冬よね」と彼女はぽつりといった。外は冷たい雨が降っている。温度計は気温12度を指している。

そのとき彼女は、

「――限嗣相続って、聞いたことあります?」とぼくにたずねた。

もちろんありますとぼくはいった。

相続の方法を限定する制度のことだ。親族内で相続の順位をさだめ、不動産などの財産が売却や贈与で分割されることを防ぐ。

「わたしには姉がひとりいますが、寿命が尽きようとしているの。だけど親は、地所を売って、姉の入院費に用立てようとしているのよ。それをやめてほしいとおもってるの」といった。

地所を切り売りする話らしい。

 

 

 

 

これは、不動産を分散しないでひとりがすべてを相続するという制度だ。一族の屋敷と地所を抵当にして、自分の財産を修復する計画があるらしい。彼女は、どうも、その話で頭がいっぱいのようだ。

その美貌は、幾人かの男性をとりこにしたらしいが、結婚に発展したことはないという。彼女の引力で世の男たちを引きつけたが、彼女の突っぱねる斥力のほうが、男たちよりまさっていたということか。

いつだったか、彼女の部屋のドアノブが、変にくっついていて、ロック状態でドアが開けられるようにようになっていた。それをなおしてあげた日、ぼくはアインシュタインのことばをおもい出した。

アインシュタインはこれを「等価原理」といった。重力と慣性力が等しい価値をもつことを。

そこからアインシュタインは有名な一般相対性理論の構築へと歩をすすめたのだ。彼女が、なおったドアノブをのぞきこんだとき、彼女のヘアがぼくの頬をなでた。そのときおもった。男女にも、引きつけ合う引力があるのだと。

きょうは雨天だが、空の半分はもう冬の空だ。

ちょうどマンションを出たところの道は、少し坂をくだる。そこで自転車に乗った人がひっくり返る。そこで人とぶつかるのだ。街中で人と人が触れ合う。そっと触れ合う、ひょっとしたら、それはいい光景かもしれない。

男女2人が触れ合うと、そこで引力と斥力が作用して、巨大なパワーが発生する。そういうことを計算した男がいる。

ふたりが抱擁し合ったとき、もっと大きなパワーが発生するらしいという。電子間に働く斥力は、太陽をめぐる地球に働くパワーにも匹敵するともいわれている。

その力は、地球を数秒間停止させられるほどのパワーが働くらしい。

これは信じがたい話だけれど、斥力は、大ざっぱに見積もると、「4×1027ニュートン」にもなり、何兆の何兆倍ものニュートンが働くという計算になるらしい。

物体同士の抱擁は、じつのところ、絶妙に均衡のとれた行為とされ、引きつける磁力と、突っぱねる斥力が幸いにもおなじなため、われわれはそれを、まったく感知することがない。

じつは、男女間にも、磁力と斥力が計り知れないほどあるという学説があるのだ。そのときぼくは、ジロラモ・カルダーノの人生を知るために、本を手に入れたばかりだった。

彼はルネサンス時代の数学者で、占星術師でもあった。ダ・ヴィンチに敗けないぐらいのルネサンス期の天才といっていいだろう。

「カルダーノ? 知らないわね」と、彼女はいった。

カルダーノは「わが人生の書」という本のなかで、偶然の確率について論じている。その話をすると、彼女は、「偶然の確率? へええ、それって、椅子にすわったわたしたちのことかしら?」といっていたのをおもい出す。

彼はチェスとサイコロ遊びに没頭し、このために、せっかくの才能をすり減らし、財産と人生の大半の時間を失った。

カルダーノの研究家は、「数学はギャンブルからはじまった」といい、「カルダーノがいて、近代数学ができた。その逆ではない」といっている。

森毅さんは「森毅の学問のススメ」という本のなかで、カルダーノは明らかにスキゾであると指摘したうえで、つぎのように語っている。

「それで、医者、占い師で、賭博打ちというわけでしょ。その3つがなんかものすごくうまくミックスしているわけね。世俗的にはちょっと具合が悪いと言うとるけど、賭博打ちとして名前が広がることと、医者として名前が広がることとが、生活上しばしばぶち当たるというわけ」

「だから、占いとギャンブルの能力、それから、失敗したときには何とかかんとかもっともらしい理屈をつけて、ごまかさんといかんので、そのためのもったいぶったやり方、そういうのが混然一体となっとるわけでしょ? その上に三次方程式も解けるとかいう(笑)……」

こういう話は、カルダーノにかぎった話じゃなさそうだ。

天才はギャンブルが好きだ。そして天才はみんな不幸である。

インドのラマヌジャンは大天才で、生涯に2000ほどの定理を発見したらしいのだが、彼の人生はけっして輝かしいものではなかった。

むしろ不幸だった。

数学の歴史に大きな第一歩を築いたのは、16世紀の巨人カルダーノなのだが、その生涯は、あまりにも悲惨だ。すばらしい才能を持っていたからといって、幸福になれるとは限らない。

むしろ、その才能のせいで人生が狂ってしまうことのほうが大きいかもしれない。

「田中さんて、いつもそんなこと考えているんですか?」と彼女にきかれた。

「ぼくはね、人間の利害関係というのが嫌いでね、一家眷属(けんぞく)の利害は、札幌に置いてきましたよ」といった。

何かあると、札幌にいる息子がやってくれる。親らしい務めをしないで、じぶんはいつもそう思うことにしている。

親が死ねば、財産のほとんどは未亡人に遺され、未亡人が死ねば、家族の絆をみとめる唯一のしるしとして、どこかに信託して、残された財産のすべてのものは、そのときの家長の財産管理下にもどる。家長の役まわりを放棄したぼくは、息子にすべてを託している。

「ああ、だから田中さんは、いつもさばさばしているのね? わたしとは大違い」と彼女はいった。

じぶんは、財産のことより、男女の引力と斥力の物理学的興味のほうがずーっと大きいのだ。

「あなたのお父さんの、ほら、遺言状は?」ときいてみた。

「そういうのはありません。父は、ふたりの姉妹にまかせるっていうの。その姉がね、……」といってから、彼女は自分の姉の病状に触れた。彼女が急に忙しくなったのは、姉の病気のことが原因しているらしい。

――限嗣相続かあ、……じぶんには、物理学よりずっとむずかしい問題だ。さっき書いたレジナルド・ヒルのことば「死は万病を癒す薬だ」なんていうと、蹴飛ばされそうだ。

もちろんイギリスには「限嗣相続制」という法律はないけれども、これは遺言状とおなじなのだ。遺言状にそのようにしたためればよい。