「とろりとしたタック、レッシュな酸……」

㈱タナック社長のころ(2000年)

 

 

 

きょうは金曜日。小雨の降る中、静かな一日がはじまった。

朝の勤行は、そのときどきの発声の調子で、その日の元気度を表現するようだ。

コーヒーも飲まずに、「伝説になった女たち」(山崎洋子、講談社、1990年)という本を読み、芸術家をトリコにした世紀末ウィーンでの、アルマ・マーラーの話がおもしろいとおもった。

もとより、オーストリアは、ロマンの香りただよう国である。しかし現実の世界は、夢物語のようにはいかない。それはウィーンとて例外ではない。

このオーストリアの都は、産業革命の高い代償を払って成し得た都である。ウィーンの西駅のあたりは、ぼくの見た1960年代でも、風通しの悪い灰色のアパートが並び、黒々とした輪郭を浮かびあがらせる大きな家屋が建ちならんでいた。

アルマ・マーラーの立ち居振る舞いは、そのときどきの灰色の朝の街の背景のなかで、男たちの視線を惹きつけた。

きのうは近所の青年がやってきて、少しおしゃべりをし、じぶんの写真を撮ってもらった。さいきんは、写真なんか撮ることもなかったのだが、なんとなく、記念にワンカット撮ってもらった。

彼がイギリス映画が好きだというので、きょうは彼の映画の話を聞くことになった。

そういえば、イギリス映画を見ていて、こんなセリフを聴いたことがある。

「まだ氷はじゅうぶんにあるか?」と主人がきく。

「20ポンドほど残っています、ご主人さま」

そして、彼女は「I find it very difficult to keep ice cool」と付け加えた。

「ちょっと、もちそうにありません」というほどの英語なのだが、これを聴いたご主人は、いきなり顔を真っ赤にして怒り出した。

「I find it very difficultだと! おまえは、英語の辞典を丸呑みしたのか。そんなときは、can't keeping ice coolといえ! おまえたちが、小生意気な英語をしゃべるのを聞くぐらい腹立たしいことはない!」というのである。

動詞も冠詞もない、ピジン・イングリツシュ(pidgin language)をしゃべっていればいいのだというわけである。まあ、かんたんにいえば、中国人が使う日本語みたいなもので、ちゃんとしたことばじゃなく、実用本位の言語なのだ。

しかしこれは笑える話じゃなく、れっきとしたイギリス社会を象徴している話であり、階級意識が歴然としてあるわけだ。身分の卑しい者が、これを超えて話すと叱られるのだ。

「はい、ご主人さま、申し訳ございません。教養がないばかりに、気がつきませんでした」と応じなければならない。

まして、白人社会に生まれた黒人たちは、イギリスでもアメリカでも、生きてゆくには、流暢な英語をしゃべることは、決していい結果を生まない。

スタインベックの「エデンの東(East of Eden)」には、憎々しく書かれている。

舞台は、サンフランシスコの少し南で、いまはワインの産地として知られているけれど、そこには多くの黒人がぶどう畑で働いている。

旧約聖書の創世記におけるカインとアベルの確執や、カインがエデンの東へ逃亡する物語を下敷きに、父親からの愛を切望する息子の葛藤、反発、和解などを描いた名作である。「エデンの東」は、スタインベック渾身の力作だったが、ノーベル文学賞は「二十日鼠と人間」に与えられた。

先日、品のあるご婦人が、草加のマンションの玄関ホールで、おしゃべりしているのを偶然耳にした。

「このおりんごは、どちらで?」

「パリでございます」

「このサクランボは?」

「パリでございます」

「あらそう。……」

――奇妙な会話だった。「この、なら漬けは?」ときいたら、何と応えるだろう。

「なら漬け」には、「お」をつけてはいけない。――くだらない話だけれど、かたわらで聴いていておかしかった。そのころの日本は新型コロナウイルスまみれになっていたが、平和だった。平民が何をしゃべっても、――もう「平民」ということばも死後になったが、――だれも文句をいわない。

 むかし、「週刊現代」のコラム「葡酔亭日乗」に菅野なうさんが、いろいろワインについての薀蓄を述べておられた。その切り抜きがある。その記事を読みたくて、ぼくはこの週刊誌を読んでいるようなものだった。

「オンディーヌ」についての記事がおもしろい。緑がかった明るい蒸栗色(むしくりいろ)で、ネクター、カイザー梨、アカシアなどのフローラルなブーケ、……と書かれていて、「とろりとしたアタックと、フレッシュな酸、余韻がさーっと波のように引いていくのは温度がやや低いからでしょうか」と書かれていて、おもわず、目を見張った。

ワインスクールでの話である。

ぼくなんか、ちょっと抵抗を感じるのは、こういう文章である。

いっていることはだいたい分かるのだけれど、「とろりとしたアタック」といわれてしまうと、こっちが引いてしまいそうだ。わが国にも、こういうおしゃれな(?)会話を楽しむ人びとがいらっしゃる、というわけである。

19世紀のイギリスやアメリカで生まれなくて、よかったとおもう。

ヨーコは、上で呼んでいる。

「お父さん、きょうの夕食、外で食べない?」ときいている。

「いいとも! ……」

「マルイの8階? それとも、例のところ? どっち?」ときいてきた。

「マルイ、マルイ」

「わかったわ」といってヨーコは部屋に引っ込んでいった。――絵本画家のモーリス・ゼンダックさんは、亡くなったんだっけ? 

ヨーコにきいても、わからないか。あとで調べようとおもっていたら、そのうちにわすれてしまった。「かいじゅうたちのいるところ」(冨山房)。これは名作で2000万部も売れたそうだ。

きのう、某出版社の編集部から電話がきた。

「オオカミになりたい」、どうなりましたか? すすんでいますか? という質問だ。

ボルゾイ犬の絵がまだ描けなくて、困っていた。

「一行を読めば、一行におどろく」ということばがあるが、児童文学とはいっても、手はぬきたくない。ぼくの小説は、モーリス・ゼンダックさんとはくらべようもなく見劣りする。でも、一冊ぐらいは、じぶんの好きな本を出したいものである。

 

外交評論家・加瀬英明氏

 

先日、ある美術評論家の文章を読んでいて、「死んだ自然」ということばに目が止まった。西洋画におけるひとつのジャンルとして確立したもののなかに、静物画というのがある。ものごとの静止性を取り上げたことから「still life」とも呼ばれる。

つまり、「動かざる生命」と、その人はいった。

生の歓喜とその永続性をねがって描きあげるわけだけれど、ボルゾイ犬は、どうやっても、生きているような生命感が描けないのだ。死んでいるかのような絵になってしまう。

ぼくの失敗の原因は、それだ。四脚動物が走っているとき、4本の脚は、どうなっているか?

犬の腹の下で、4本とも、Ⅴ字形になる。馬もそうだ。これをちゃんと描きたいのだけれど、どうもバランスがよくない。

じっさいに走っているシーンの写真を見て思ったことは、人物描写のときに使うデッサンスケールというものを使えば、もう少しうまく描けるのではないか、そうおもった。「デスケル」という透かしフレームを使っても、いいかもしれない。

絵の技法のなかに、「ストリーミング分析」とか、光と影を分ける「ヴァリュー分析」という技法があるようだが、それらは静止画向きで、立体的な動きのあるものには、「ムーブメント分析」というものがあって、こっちはまだ試したことはない。

そういうわけで、絵のほうはもう少し、待ってもらうことにした。

午後6時。ヨーコは仮眠から起きて、何かしている。花を活けている。ヨーコは植物が大好きで、部屋じゅう植物だらけにしている。

「もうお仕事、おわったの?」

「おわった」

「……何か、変わったことありました?」こういう質問が毎日かならずある。もしもあるといったら、くわしく聴きたがる。

ヨーコは記憶力がよくて、一度も会ったことがない人でも、ぼくの話を聴いているだけで、その人物を脳裏にちゃんと記録していく。たいした女だなあとおもっている。

その人の好物は何か、ビールは飲むか、たばこは吸うか、メロンは好きか、嫌いなものは何か、どうでもいいことをちゃんと覚えている。

ぼくも初対面で名刺交換したときは、いただいた名刺の裏に、会った日付、好物などをあとで書き込んだりする。そうすると、いろいろ便利なことがある。これをヨーコは、脳みそに記録するわけである。

きょうも、何の変化もない一日がはじまろうとしている。年だけ365分の1日を経過するだけだが、頭のなかでは、読み切れないほどの、壮大な物語が進行している。

ときには「失われた時を求めて」みたいに、――プルーストの書いた長大な物語みたいに、克明に濃密な一日をあれこれ記録していく。

ときどき「ピープスの日記」みたいに、浮気・政治・金銭・わいろを「日記」に克明に記録していく。――その本の文中に出てくる「デブ」というのは、ピープスが雇った小間使いの女の子の愛称で、デボラ・ウィレットといった。

かねてより、

「わたしはこの娘の処女を頂戴しようと願っている。いっしょにいられる時間が稼げたら、必ずやそうなるであろう」と書いている。そして、デブが馬車に乗って家を出て行った日の夜、ピープス夫婦は、ふたり仲良くベッドをともにし、

「ここで忘れずに書いておかなければならないが、この夫婦喧嘩がはじまって以来、この一年間になかったほどたびたび、わたしは妻とともに寝た――そして妻には、思うにこれまでの結婚生活のどの時期よりも、より大きな快楽があったようだ」

と書くのである。

勝手にしろ! といいたくなる。

「ピープスの日記」は、ちょっとえげつないが、亭主の記録文学っていうイメージが思い浮かんでくる。アナイス・ニンみたいな、べたべたした粘着性のある記録じゃなくて、観察の鋭い日々のドキュメンタリーとしての記録である。サミュエル・ピープスは、一日の光と影の両方を描いた作家で、おもしろいと思いながら、全10巻のうち、5巻ほど読んだ。

――では、ここにじっさいに起こった、笑うに笑えない歴史的な出来事をあげてみよう。

アメリカの航空母艦がカナダ沖を走行していたら、前方に灯りが見えた。そのまま進めば衝突する。

艦長は無線でこういった。

「貴艦は当艦の進路上にあり、ただちに進路を変更されたし」

ところが、相手からは「そちらが進路を変更するを妥当と認む」という回答がきた。ナマイキなやつというので、ふたたび打電。

「貴艦の進路変更を重ねて要求する。こちらはアメリカ海軍の航空母艦インディペンデンスである」

ふたたび回答。

「貴艦が進路を変えるほうが賢明かと推察する。こちらはニューファウンドラン島の灯台である」

ナイジェリアの某将軍が国賓としてロンドンを訪れ、ヴィクトリア駅までエリザベス女王が馬車で出迎えたときの話である。いっしょに宮殿へ向かう途中の出来事だった。

ふりたが馬車に乗っていると、2頭のうち、1頭の馬が尾っぽを高くあげ、国賓目がけて大きなおならをぶっ放した。女王は、将軍のほうに向かってこういった。

「まあ、ほんとに、申しわけありません。いらして早々、こんな粗相をいたしまして、……」

「いや、どうも。……お気になさらないでください」といい、

「――わたしは、てっきり馬がしたのだと思っていましたから、……」と。

女王陛下は、これには何も弁解されなかったらしい。にがにがしい顔をして、「わたしじゃなく、馬が、……」といわなかった理由を知りたいとおもった。それはいいのだが、それから嗅いだこともない、強烈な臭いが充満したそうだ。

こんな話、ニュースにもならないけれど、だれかが、かげ口でささやき、ひろまったものかもしれない。やがて、加瀬英明さんの耳にも達したのだとしたら、なかば、公然たる話といえる。

彼の父は、外交官の加瀬俊一さんで、母・寿満子さんは、元日本興業銀行総裁小野英二郎氏の娘で、加瀬英明さんは、どのようないきさつでこのエピソードを聴くことになったか、それはわからない。日本外交のれっきとした本のなかに、この加瀬英明さんの話が出てくるのである。

だからマルセル・パニョールの劇よりおもしろいのだ。

事実は小説より奇なり、である。――最初にそのように書いた文献は、イギリスの詩人バイロンだった。彼の「ドン・ジュアン」という本のなかに「奇妙なことだが、しかし真実である。なぜなら、真実はつねに奇妙なるもの、まさに小説よりも奇なのである。But true; for truth is always strange: Stranger than Fiction.」とOEDには書かれおり、これが出典のもとになっているらしい。こういうことが、ぼくにはおもしろいのである。