■恩師・渡辺晋一先生へのLetter。――
「星として輝かねばならぬ」
熱海のMOA美術館にて
先日はお忙しいのに、またお便りをいただきました。ありがとうございます。
先生のお便りは、りっぱなお便りで、もしかしたら、封筒もご自分でつくられたのではないでしょうか。
透かし絵の趣きがあって、おもて面からほんのりと裏の絵が透けて写り込み、仄(ほの)見えます。ワインでいえば「グラン・クリュ」の一級品といった感じで、先生の思いが滴(したた)る味わい深い封書です。惧(おそ)れ多くも手に取れば、封書それ自体がデザイニングされていて、ぼくにはアート作品になって見えます。
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また今回のお便りには、ぼくのことが書かれていて、分にあまるお褒めのことばが書かれています。たいへんありがたいことで、あらためまして渡辺晋一先生のおことばを拳々服膺(けんけんふくよう)し、年のことなど考えず、邁進(まいしん)するつもりです。といいましても、この年ですから、水が低きに流れるように、何事もさからわずに生きていこうと考えております。
で、ぼくはいま、自分のライフワークとして、ぜひとも書き残しておきたいことに邁進しております。書き残しておきたいことは、あまたありますが、欲張らず、目標をフォーカスして、地平の果てを見つめるかのように、遥かかなたの完成を目指しているところです。気後れするほどの事業ですが、そうやって完成に漕ぎつけた先人はいくらでもおります。
で、作家でもないぼくが、小説を書こうなんて、なんていう無鉄砲なことを考えるのか、とおもう向きもありましょうが、書かずにはおられないのです。――イギリスのサミュエル・ジョンソンという辞書編纂事業に生涯をかけた人物のことを想い出します。彼は1755年に、「英語辞典」を出して有名になった人物で、多くの人は「ドクター・ジョンソン」の異名で知られ、イギリスの英語学者として知られた人物です。
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「一将功なりて万骨(ばんこつ)枯る」ということばがございます。
――野望を成就させて巨万の富を得る。そして社会的な地位や名誉を得る。ビジネスマンとして最高の地位を築く。
しかし、ひとりの将軍(あるいは企業のトップ)の下には、その縁の下の力持ちになった何1000、何万という部下たちがいることを、忘れてならないこれまた真実といえるのではないでしょうか。その真実は、両刃の剣でふたつに断ち斬られてしまうために、いつの時代にも、表には都合のいい面しか現れてくれません。
しかしながら、だれもが「成功」を目指し、「失敗」の轍(てつ)を踏まないよう気をつけます。最初から「失敗」を目指す人などおりません。決して失敗させようなどとは思わず、なんとか成功させようと思いつづけます。望んだとおりに「成功」に近づけば近づくほど、他方は「失敗」に近づいていくわけです。「成功」は「失敗」でもあるとする表裏一体説は、一面では真実を衝いているでしょう。
で、そこでぼくは、この「成功」と「失敗」という構造に立ち入るまえに、人間の実人生における「失敗」の意味をあらためて問い直してみたいとおもいました。実人生において、ここでいう「失敗」というものがほんとうにあるのだろうか、そういう疑念を抱かずにはおれないからです。
人生は「選択の哲学」であると説いた哲学者がいました。高橋里美博士です。実存哲学の近代を築いたサルトルやハイデッガーなどによって、提唱された考え方に与(くみ)されています。選択行為には人間の意思がかならず働いているというのです。
書物を選ぶ。音楽を聴く。人と会う。どこかへ出かける。一日じゅう何もしない。日常生活を営む上でも、かぎりなく意思を働かせていろいろな物事を選択しております。
きょうは人と会いたくない、というのも自由意思に基づいたひとつの選択であり、この時間を何に使うかというのも選択です。連綿とつづく日常の選択行為を結んでいった線が、その人の人生であるという考えです。
「失敗」とは、目標どおりの成果を上げることができなかった事実に基づく「事実認識」ですが、人生においては時に「美的価値観」の現れともなるでしょう。「失敗」に「価値」が付与されるというわけです。
これまで多くの学者たちによって論じられてきた事実認識の捉え方や価値観は、その人の意思によって選ばれたものでありました。
たとえば「薔薇は赤い」は事実認識ですが、「薔薇は美しい」は美的認識です。
価値観に繋がる美的認識ですが、人生を豊かにしてくれるのは、その双方でしょう。人生において「失敗」は、どんな意味を持つのでしょうか。
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数学者ガウスは、一生涯をかけて円周率の解を求めつづけ、失敗しました。
しかしガウスの人生は「失敗」だったと、いえるでしょうか。彼の「失敗」には彼自身の強い意思がつねに働いていました。
「おれの人生は、失敗だった」と思ったことがあっても、失敗するかも知れない研究に挑戦せずにはいられなかったでしょう。やり遂げたいとおもって、途中で投げ出すことのほうが、彼には「失敗」におもえたに違いありません。「失敗を怖れずに挑戦しなければ……」などと軽々によくいわれたりします。
ぼくが問題にしたい点は、人生において「失敗」がほんとうにあるとすれば、それはどんなものなのか、もう一度考え直してみたいということです。
ビジネスマンとしての「失敗」のモデルは、世にゴマンとあります。ビジネスマンとしての「成功」のモデルも、世にゴマンとあります。ぼくはそれをいうのではありません。
ビジネスマンの仕事上の失敗は、実人生の失敗の価値に直結しないからです。
短絡的に直結させて考える人が誠に多いのですが、けれども、それはまったく違うとぼくはおもいます。
例をあげますと、多くの若者が世界大戦時代に戦場に駆り出され、戦死しています。あるいは若くして闘病生活を強いられ、晩年になるまでまったく働くことができなかった人びとがいます。あるいは、自分の並外れた才能に押しつぶされて自分の人生を棒に振った多くの芸術家たちがいます。
いずれも彼らの人生において、はたして失敗者といえるのだろうか、という疑問です。
五体満足で、ふつうの人びとが、とんでもない才能を突然開花させる場合があれば、五体不満足で、病臥の人でありながら、たいへんな才能を発揮した人もいます。
別のことばでいえば、地球上に生きている人間たちは、おしなべてそれぞれ自分にふさわしい役まわりを演じながら生きている、というわけです。
みずからの意思によって選択された条件によるか、それとも不可避的条件によるかの違いがあるだけです。戦場に駆り出され、不幸にして戦死を遂げた人びとは、彼の人生において「失敗」の烙印を押していいのだろうか、ということ。
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両棲動物が、はじめて陸にあがったとき、面食らうばかりか、卒倒し、即死したことでしょう。あまりにも過酷な世界だったからです。哺乳動物が誕生したとき、恐竜がわがもの顔でのし歩いていました。
恐竜だけでも何1000という種が生まれ、われわれの小さな祖先は、自分の人生を精いっぱいに生き、激しく揺れうごく恐竜時代の荒波を掻いくぐって、毎日絶え間なく挑戦しながら懸命に生きて命を繋いできたのだとおもいます。
恐竜はともかく、現代にあっても、戦争のために、戦後は生ける屍のようになって、惰性とうつろな時の流れに押し流され、棒切れのように周囲の記憶からも消し去られていったとしても、彼の人生は、はたして「失敗」と位置づけることはできるでしょうか。
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ひるがえって、松下幸之助さんの「成功の法則」は、ビジネスマンとしての条件に照らしていう「成功譚」のひとつのモデルであって、彼の実人生を担保しているわけではありません。ビジネスマンにとって松下幸之助さんは巨大な存在ですが、ここでいう人間にとって、はたして、どのように評価してよいのでしょうか。
ビジネスマンには必要なことではあっても、人間として――ことばを替えていえば、――親として、子供として、夫として、兄弟として、友人・知人として、社会人として、あるいは納税者としてというように、松下幸之助さん取り巻くヒューマン・ネットワーク社会にあって、はたしてモデルたり得る輝かしい「成功者」であったかどうか、それは分かりません。
ビジネスマンとして常にベストを尽くしたであろうことは知られているとおりですが、親として、夫としては、はたしてどうであったのでしょうか。何が最も重要なのかと尋ねられると、ぼくはまず「人間」としての松下幸之助さんはどうであったのかにたいへん興味があります。
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「星として、輝かねばならぬ」
ぼくがときどき思い出すフレーズです。
《もしもこの大空に投げ出されるなら、星として輝かねばならぬ》
これは、シェイクスピアの「アントニーとクレオパトラ」に出てくるアントニーのセリフです。
野心大望を抱くアントニーは、たとえ死んであの世にいっても、今夜ながめる星のように夜空の果てで輝いていたいという意味を込めたセリフです。いや、「星として輝かねばならない」といっています。
サルトル、ボーヴォワール、カミュ、あるいは時代を遡ってキルケゴール、ニーチェ、ハイデッガー、ヤスパース、あるいはパスカルの「レ・パンセ」に描かれているところの「考える葦」に代表される実存哲学の流れを、たったひとこと、ことばをもちいて譬(たと)えるならば、シェイクスピアの書いたこのセリフ「星として輝かねばならぬ」がぴったりなのです。そして、たいへんな苦難のなかでも、輝きつづけたひとりの辞書編纂者をおもい出します。
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それは、イギリスのサミュエル・ジョンソンという文人です。
辞書編纂という大事業を成し遂げた人物です。ジョンソンの辞書は、文学界に大きな影響をおよぼし、当時辞書といえばジョンソンの辞書を指すといわれたくらいです。このジョンソンが資金がなくて、清貧のどん底にいたとき、ある伯爵のもとに日参し、資金の提供を求めたのですが、門前払い。
それからずっとたって、伯爵の記憶からすっかりこのことが消えてしまったある日、彼はとうとう辞書を完成させます。完成が間近かにせまったとき、噂を聞きつけた当の伯爵は、資金を提供しようといってきます。その申し出に対してジョンソンは、丁重な断りの手紙をつづっています。
「人よりふと勧められて、はじめて閣下をお訪ね申し上げたとき、世人と同じように、閣下から親しくお言葉を掛けられる光栄に浴し、感激の極みでございました。しかし、私めが閣下にお仕えしたにも拘わらず顧みられませんでしたので、誇りからも謙遜の気持ちからも、お仕えしつづけることはなりませんでした。かつて人前で閣下にお近づき致しました折り、宮廷にツテのない学者の持てるすべての技を用いました。能う限りのことを致しました。しかし、何人といえども、自分のいい分をすべて無視されるのは決して快いものではございません。
閣下、控えの間にてお待ち致し、あるいは門前払いを食わされてより七年がたちました。以来、小生は困難を排して作業をつづけ、何の援助も、何の激励の言葉も、何の好意の笑顔も受けぬまま、このほど遂に上梓の寸前にまで漕ぎつけました。
閣下、後援者(パトロン patron)とは、人が水に落ちて必至にもがいているときは素知らぬふりをし、いったん陸にたどりつくと、お節介にも助けてやろうとするような人間ではございませんでしょうか。
閣下が私めの苦労を早くお認め下さいましたならば、それはご親切というものでしょう。しかし、そのご親切も証文の出し遅れとなってしまい、小生は関心もなく、それをお受けするわけには参りませぬ。今となっては小生妻を失って一人ぼっち、そのご好意を欲しいとも思いませぬ。何の恩恵も蒙りませぬので、謝意を申し述べなくとも、また、私めが後援者の援助を受けたと世人が考えるのを快しとしなくとも、さして辛辣な嫌味と受け取られることもあるまいと存じます」(忍足欣四郎訳)
こころに残る断り状です。
ことばを収集し、吟味に吟味をかさねたことばの解説記事を書く。
気後れするくらい一生涯を賭けた大事業。サミュエル・ジョンソン博士は晩年に至るまでこれを休まずつづけました。「汗牛充棟」という語がありますが、まさにそれです。膨大なことばの洪水のなかで、孤独な作業をこつこつとつづけたわけですが、伯爵の友情なき拒絶に遭ってこそ、彼の人生は輝きました。
引用が少し長くなってしまいましたが、このような挑戦は、人を奮い立たせます。30年間とひと口にいいましても、途中で何があるか分からない人生です。事業をまっとうさせる担保は何もないのですから。――
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そんなわけで、些末な雑事のあいだに書きとめたじぶんの文章を整理し、物語のストーリーをつくっているところです。何年かかるかわからないものに、ぼくはふたたびスタートを切りました。100メートルを10秒で走るアスリートの夢は絶たれても、はたまたヴァイオリニストへの夢を絶たれても、なんともおもいませんが、物語への情熱はいっこうに消し難く、嵐の夜に吹きすさぶ風に耳をすますと、「書け!」といわれているかのようです。いままた、渡辺晋一先生からの励ましをことばを受け、書かずにはおられなくなりました。ありがとうございます。
ついでながら、ぼくの書いた短編2編と、エッセイその他をお送りいたします。おヒマなおりに、読んでいただければとおもいます。かつての事業家としてのぼくは、すでに足を洗っておりまして、いまは、青年たちに少しばかりのアイデアを提供している身分ですが、人と会うのが大好きなぼくは、若い人たちとのおしゃべりを楽しんでおります。
呱々の叫びを物したいという情熱が、80年の時を得て、ようやくたどりついた今年、悪路への発進をスタートさせました。すでに年の瀬です。カズオ・イシグロの「充たされざる者」を読み終え、大いに触発されました。
先生もお元気で、あたらしい年をお迎えください。では、また書くことといたします。
2022年12月20日 頓首再拝