こののすべてはきっとでしょうね?  

 

さいきんある本を読んでいたら、「よく生きるということはどういうことか」とあり、そこでいう「よく生きる」というのは主体で、いうまでもなく「自分自身」である、と書かれていた。主体はほかのだれでもない、この「自分」なのだという。それが「実存」するわたしなのだと書かれている。

「ははーん、……」

さて、この「実存」ということばは、戦後に生まれたことばである。そんなことばはむかしはなかった。

そうかといって、むかしからほんとうになかったかといえば、そうではなく、それらしいことばがあった。それはエッセンティア(essentia)ということばである。

しかし、このことばは、いまでは「本質」という概念に置き換えられている。

本質が先にあるというのは、ちょっと妙な話である。実体が本質より先にあるという意味で、戦後、「実存」ということばがつくられたのではないだろうか。すなわち、エクシステンティア(existentia)ということばである。

――そんなことを考えていると、Sさんがやってきて、コーヒーを振る舞おうとすると、

「こんどは、なに、考えているんですかい?」と彼はきいた。

「考えてなんか、いませんよ」といって、パソコン画面を切り替えた。

「投企っていう字が見えましたな。投企って、なんですかな?」という。そして彼はたばこの煙をぷーっと吹き出した。

「ぼくにもわかりませんよ。哲学者のいうことは。……」

「ぼくは、哲学に興味ありますねぇ、……」とSさんはいった。

「先日は、オープンソースの話を聞きましたが、こんどは投企ですか?」という。

「さっき、ぼくは北海道の北竜町の話を書いていて、投企は、人間という集団にもある、とおもいましたね。21戸の移民団には、星雲の志というものがあって、みんなひとつなんですよ」

「その話ですか?」

「いえ、そうじゃないけれど、たいてい投企といえば、小むずかしいハイデッガーの哲学の副産物のようにいいますが、可能性に立ち向かっていく、アゲインストの風を切る志っていうのは、みんなでひとつの主体になるんじゃないですか、……。そりゃあ、いまのわれわれには想像もつきませんけれどね」といった。

Sさんは黙って聞いていた。

「想像って、何でしょうな?」

「想像? ……はーて、そうきましたか?」ぼくはちょっと頭を抱えた。

「ちょっとわかりませんよね? わかったふうに考えるんだけど、わからない。むかし、……ずいぶんむかしのことですよ。ナーガールジュナっていう男がおりましてね、深く考えたんですね」

「ナーガールジュナ?」

「龍樹っていえばいいかな。……」

「龍樹? 彼は自殺したんだっけ?」

「それはウソ。自殺なんかしませんよ」

ビートルズじゃないけれど、「想像してごらん」というわけだ。想像力はけっしてまやかしではない。想像は非現実的な遊びだ。その遊びのなかで、やがて確かな現実を捉えていくことになる。こんなことをいう哲学者も科学者もいない。非現実が、現実になる、ということなのだろうか? 

まさか!

ひょっとすると、そのまさかが起きるかも知れないぞ、とおもった。ぼくはやがて、仏教の教えに触れることになった。

――「人生は空・仮・中である」。そういった人物がいる。

天台の智顗(ちぎ)の「一念三千」の教説とならんで、智顗の代表的な教説のひとつに「三諦円融」というのがある。三諦円融というのは、3つのさとりが溶けこんでいる状態。3つのさとりとは、人生は空(くう)であり、人生は仮()であり、人生は中(ちゅう)であるというさとりである。

ある日、ひとりの男が、舎衛城に仮門(けもん)という美しい女がいるという噂を耳にする。男はこころに喜びを感じ、夜、寝て彼女の夢を見る。女と事をおこなったという夢を見る。朝になって男が目覚めてみると、それは夢だった。――女がやってきたわけでもなく、男が女のところに出かけて行ったわけでもない。たんなる夢だった。

ところが、この喜びのときめきは、どうしたわけなのだろう、とおもう。ときめきはじっさいにあった。男は考えつづける。快楽の記憶はたしかに残っており、その喜びは実在したかのようである。

智顗は、この「三諦円融」を説明するのに、この話を譬喩として使っている。

これは比喩だけれど、男なら夢精する。夢精は現実。夢は非現実。夢のなかの快楽は空しい。それはまさに仮のものだったからである、と智顗は考えたようだ。

この非現実の夢みたいなもの、――たとえば人間の記憶、それがいかに人体に悪い影響をもたらすか、現在では証明されていることだけれど、当時はわからなかった。で、この空、この仮にもかかわらず、この喜びはそのまま残っているのだ。人生においても、まさにそうであるかもしれないと彼はおもった。

この人生は空しいもの、仮のものであるとしても、この人生を離れてどこへいけばよいのだろうか。この人生を離れたどこかに、べつの世界があるとでもいうのだろうか。そうおもうのは、大きな間違いではないのか。人生を空と知りつつ、人生を仮と知りつつ、しかもこの人生を真剣に生きよ。――それが中のさとりなのだと智顗は考えたのである。

ぼくは、この話を読んで、ニヒリズムのふちを危なっかしく綱渡りする人間の現世というものをおもい知らされた気分だった。

空・仮の人生であっても、この人生を否定する愚を避けよ。この人生をつよく生きよ。人生を空しいと知ってその人生に安住することはいけない。たえずこの人生の空と仮とを観ぜよ。この人生にふたたび帰ってこい。――そういっているようにおもえるのである。

智顗はそこで、ひとつの諦(たい)に偏してはいけないと説いた。三諦でなければならないと説くのである。

三諦、――すなわち空・仮・中の三諦である。この3つを、この人生にしっかりと足をつけて生きたらどうだ、そういっているようにおもえた。

天台智顗の「摩訶止観」はあまりにも有名だが、ブッダの瞑想・禅定を教判の対象とせず、ブッダの教説のみを取り上げて、小乗と断定してしまったところに智顗の最大のあやまりがある。

ナーガールジュナは、相対論を持ちだして、すべて「空(くう)」であるとしたこと。

世界ではじめて相対論を持ち出した人物である。

でもほんとうはブッダが教えたものである。――一般的に「お経」というと、経蔵と律蔵までをいう。論蔵はお経ではない。――で、ここで、ついでだが、ナーガールジュナの話を少し書いてみたい。

大乗の人びとには、律蔵がまるで必要でなかったかというと、そうではない。

律というのは教団の規則をいうのだが、紀元1世紀をすぎるころまでは、初期仏教の律蔵を典拠として教団の規律維持につとめていたようである。以降、インドでは出家者による初期仏教よりも、在家者による大乗仏教のほうがだんだん勢いをつよめていく。

そして、在家者による一大ムーブメントが起こり、大乗時代をつくっていく。まあ、紀元3世紀以降には、大乗独自の「戒」ができる。だんだん律を奉じることは少なくなっていった。その時代には、在家者が奉じたのは「戒」のほうで、初期仏教のような「律(規律)」ではなかった。

「そりゃあそうでしょうな」とSさんはいう。

なぜなら初期の律蔵には、たとえば「妻を娶(めと)ってはならない」などと書かれていたりするからだ。それは出家者にはいえても、在家の人びとにはいえなかった。

そのような理由から、大乗の人びとは、初期仏教の律蔵の一部を借りて、これを教団の「戒」とし、教団運営の維持につとめていったらしい。いわゆる小乗教団の律の一部を奉じていた、ということになる。

ここでいう小乗仏教の論典は、毘曇部(びどんぶ)と呼ばれていた。「毘曇」というのは、「阿毘達磨(あびだるま)」、――つまり「アビダルマ」のことで、法(教え)の研究というほどの意味である。大乗の(釈経論をのぞく)論典でもっとも有名なのは、中観(ちゅうがん)、瑜迦(ゆが)、論集の3部だろう。

このうち、中観部というのは、2~3世紀に活躍した大乗仏教の「空」の教理を確立したナーガールジュナ(龍樹150~200年ごろ)の教えを受けついだ人びとで、中観派の論師――つまり哲学者たちの著作である。

つぎの瑜迦部は、4~5世紀ごろアーサンガ(無著)や、バースバンドゥ(世親)らによって確立されていった唯識説にかんする著作。その人びとが瑜迦行者と呼ばれたことに由来している。中観派と瑜迦派は、6世紀以降のインド大乗仏教の2大仏教学派として、たがいに論争し合っていた。

この大乗経典に説かれている教理をまとめ、祖述して宣布した最初の人物がナーガールジュナだったのである。

ナーガールジュナの主著「中論」は、「中道を観ずる」という意味から、のちに中国に伝えられて漢訳されると、「中観」といわれるようになった。そこでいう実体のない状態とは、どのようなものなのか、それをのべたものである。漢訳経典では、これを「自性が無ない」というようにパラフレーズしている。

この「空(くう)」の教えは、これまでの教団(出家者たちの小乗)のなかで、仏説の「無我」と解釈するのに、人間存在()は五蘊(ごうん)のあつまりにすぎないので、実体はないけれど、それを構成する要素()としての五蘊は実在すると説いた。ナーガールジュナは、それを批判して説かれたものである。

これを小乗仏教では「我空法有」といっているのにたいして、大乗仏教では「我法の二空」、あるいは「人法二空」の教えと説いている。

――我と法。

べつのことばでいえば、われ、わがものということで、われわれ凡人は、真実には存在しないわれに執着し、他の存在をすべて、わがものとしたいと欲望するところに迷いが生じ、これらの執着を断ち切るところにさとりがあり、ニルヴァーナがあると説いている。

これが、仏教が一貫して説いてきた教えである。

ナーガールジュナの主張したこの論点は、我・法の現象としてはあるけれど、じっさいには存在しないものだと説いた点が特長である。それでは、その真実に存在しないものをどうして存在するように考えるのか、そのように考える当体はいったい何なのか、といったような問題に拡張していったのが、ナーガールジュナ以後の論師たちだった。

この課題を追求していったのが、ヨーガーチャーラと呼ばれる一派である。

我・法、――それは要するに、釈迦の仮構による所産、――つまり、観念にすぎない。事実としてそこにあるのは意識だけである(唯識)。まあ、そんなふうに主張する人びとがあらわれた。この考えがしだいに体系化され、組織化されて唯識説の誕生となっていく。

唯識説では、「華厳経」に見られる「三界唯心」がその典拠とされているが、ヨーガーチャーラというのは「ヨーガ」、すなわち、「禅定(ぜんじょう)の実践者」というほどの意味なのだが、漢訳では「瑜迦師」と訳されている。この、「瑜迦師」といえば、一般的には「ヨーガ派」と見分けがつかなくなるので、混同をさけるために「瑜迦行派」といわれている。

この唯識説の最初に確立したのが、さきにも名をあげたアーサンガ(無著)である。アーサンガは、実弟のバースバンドゥ(世親)にこれを伝え、兄弟で唯識の教説を確立していく。

瑜迦行派の唯識説は、ナーガールジュナが「すべて空である」といったのにたいし、「すべては観念にすぎない」と解釈した点が特長だ。

「すべては観念にすぎない。すべては空である。どちらもいいですなあ」とSさんはいう。

「空ですよ、この世は」という。

まさに「空の空にして、これ空の空なるかな(Vanity of vanities, all is vanity.)」の世界であって、赤ん坊のゆりかごでもあり、べつの生へと生まれ変わるまえの褥(しとね)でもあるだろう。

「たとえば、夢って、空じゃありませんか?」

「空だね。たしかに実体はないよね」

「だって、夢にあらわたれ女性、その顔はおぼえていなくても、彼女のからだを見て、自分のからだが反応しているっていうこと、ありますよね? これも、彼女の実体を見たわけじゃない」

「自分は、真っ昼間でも、女性をいつも想像して見てますよ」とSさんはいう。