くらは小鳥のようにけ取っている

 

先日のことです。電話がかかってきて、

「どう? 元気にしてる? たまには歌いませんか」っていうんです。

午後1時になったばかりで、ぼくは書斎で石原慎太郎さんの「《私》という男の生涯」を読んでいるときでした。

「歌ですか。たまには歌いたくなりますね。スカイラークも空を飛びながら歌いますからね」

「スカイラークって、歌うんですか」

「ええ、歌いますよ。聞いたこと、ない? だっていうじゃないですか、'thrill'って! だれだっけ、その詩人、そうP・B・シェリーって男ですよ、おもい出しましたよ。この話は、夏目漱石の《草枕》にも出てきますね」

「あんたは文学青年だったからね。《草枕》? 自分も読みましたよ、むかしは。でも、よくおぼえていないんだ」

「ぼくもそうだよ。80を過ぎると、どんどん忘れていく。でも、シェリーってやつは、好きになれないな」

 

 

青葉市子「いきのこり・ぼくら」

 

 

「は? どうして」

「だって、妻にするはずの女をうっちゃって、メアリーっていう女といっしょになっちまうんですよ。だから、恋人だったハリエットは自殺するんですよ。自殺した女は、墓地になんか埋葬されない、イギリスではね」

「どこに埋葬されるの?」

「道端に埋葬されちゃうんですよ。ほら、《林檎の木》を書いて、ノーベル文学賞を受賞したジョン・ゴールズワージーって男、彼が書いたむかしの恋人は、ロンドンにいっちまった男に忘れられたって、自分をあわれんで、川に身を投げて自殺しちゃうんですよ。すると、その川に沿った道端に埋葬されるんです。イギリスでは、自殺者は男も女も、墓地なんかには埋葬されない」

「ふーん、そうかい。――ところでスカイラークっていうレストラン、見かけないけど」

「Skylarkって、ひばりだけど、……北海道にもスカイラークはいましたね。でも、skylarkって無造作にしゃべっちまうと、イギリス人に誤解されますよ」とぼくはいった。

「え? どうして?」

「ほら、skylarkって叫ぶと、ふざけるな! って聴こえちゃいますからね、……」

ひばりのことを「スカイラーク」というけれど、英語ではskylarkと書く。ところが「skylark」といって叫んだら、「ふざけるな」、「バカ騒ぎする」という意味にもなってしまう。レストランに「すかいらーく」っていう店があったのですが、ひばりのほうがいいのに、とおもっていましたよ。

日本語ではひばりのことを「雲雀」と書きます。

雲という字があるのは、雲間からその鳴き声が聞こえることから名づけられたと本には書かれているとおもいます。これには「告天子(こくてんし)」という別名があるらしい。

もっとむかしの本には、「日晴(ひばり)」と書かれているとおもいます。

鳥たちは自然のめぐみを受けて生きています。自然によって生かされている、そうもいえるでしょうね。だれが養うわけでもなく、ひばりたちも食糧をもとめて活動しています。彼らは、みんな自分とおなじだ、とおもいます。ぼくはいま、食べ物をつくっていません。ひばりのように、人さまのつくった食糧を買ってきてありがたく食べているわけです。

「そりゃあ、そうですね」と彼はいいます。

「そのパソコンだって、そうでしょ? コーヒーだって、……」

――すでにご存じとおもいますが、私たちは自分たちの食べる物のほとんどをつくっていませんね。私たちは他人のつくった服を着て、他人のつくったことばをしゃべり、他人が創造した数学を使って生きています。

ひばりのことばがわからないだけです。彼らだって、自分たちでは何もつくらない。つくらないのにちゃんと生きている。生きられるんですよ。

何がいいたいかというと私たちは常に何かを受け取っているということです。そして、その人の経験と知識の泉に何かをお返しができるようなものをつくりたくなるのは、すばらしい気分ですね。生きるって、ひばりの心境みたいになることかなあとひとり考えたりします。

「その考え、いいとおもいますよ」と彼はいいます。

彼は民生委員をやっていて、人さまの手助けをしています。ぼくにはできないことです。

「こんどの日曜日は、どうかな、新宿で会いませんか?」といいます。

「ええ、新宿の、このあいだ会った場所で、会いましょうか」

「1時でどう? だったら、午後1時に。――西條八十の歌、聞きたいね」といっています。それも、かなりふるい歌だ。

「《窓を開ければ、港が見える》っていう歌も、もういちど歌ってみたいな」といっています。

「歌ってよ、いま」

「いま? じゃ歌うよ」といって、彼は「窓を開ければ、港が見える」ってやつを歌いはじめました。

 

 窓をあければ 港が見える

 メリケン波止場の 灯が見える

 夜風汐風 恋風乗せて

 今日の出船は 何処(どこ)へ行く

 むせぶ心よ はかない恋よ

 踊るブルースの 切なさよ

 

そして、電話を切ってから、ぼくはまた本を読みました。こんどはジョン・レノンの本です。読みながらジョン・レノンの「Imagine」を聴いてみました。

 

 Imagine there's no Heaven

 It's easy if you try

 No Hell below us

 Above us only sky

 Imagine all the people

 Living for today...

 想像してごらん 天国なんて無いんだと

 ほら、簡単でしょう?

 地面の下に地獄なんて無いし

 僕たちの上には ただ空があるだけ

 さあ想像してごらん みんなが

 ただ今を生きているって……