弁護士・木ひろし先生との会い 2

 

正木ひろし弁護士が当時、最高裁で弁護を担当していたのは、八海事件だった。その話をすこし書いてみたい。

 

八海(やかい)事件。――あれは、昭和26年1月25日の朝9時過ぎだった。早川惣兵衛の甥の母親が、その妻ヒサから借りた重箱を返しに早川宅を訪れたときだった。

だが、家は戸締りされていて、戸をたたいても返事がない。

早川夫婦は、いつも朝が早いのに、まだ起きていないらしい。

だが不審におもい、惣兵衛のカワラ工場で働いている彼の甥、早川正一を連れてきた。表玄関のガラス戸のすき間をのぞいた正一が、ふいに声をあげた。

「首吊りだーっ!」

なかには電灯がともり、ヒサが目のまえで首を吊って死んでいる。

寝巻きが濡れ、おしっこらしきものが床に流れていた。袖には、血のあとがついている。

 

 

ここは山口県東部、瀬戸内海に面した小さな集落「八海(やかい)」――現在の田布施町。――まもなく、近くにある警察・熊尾地区平生暑の捜査員が駆けつけ、家に入ったのは10時過ぎだった。

現場は凄惨をきわめていた。

母屋の和室4室があつまった西側にある6畳間が、当時ふたり暮らしの早川夫婦の寝室だった。北を枕にした惣兵衛が頭部、前額部などに多数の傷を負い、血の海となったふとんの上に仰向けに倒れていた。

左手が、すぐそばの丸火鉢のなかへ突っ込んでいる。

断末魔の彼が火鉢の灰をかきまわして撒き散らしたらしく、いちめんに灰が散り、ふとんのそばの畳の上に、ひとつのはっきりとした人の足跡が残っている。

枕の上のふすま、壁面には、幅約1メートルの血のしぶきが扇状に飛び散っている。死体の頭に近い敷居のそばに、薪を割る長い柄のついた斧が置かれている。電灯を点滅させるヒモの端が畳の下に食い込み、電源のコードは斜めに引っ張られて、100ワットの電球がついたままになっている。

ヒモが畳のあいだに食い込んでいるのは、惣兵衛の死体の下の畳が、いちど持ち上げられたことを物語っていた。ならんで敷かれたヒサのふとんは、南を枕にしてカラだった。

ヒサが首を吊っていたのは、寝室の北側にある4畳半と6畳のさかいにある鴨居だった。

二重のロープを首にまわした不自然なかっこうで、身長150センチのヒサの脚は畳について「く」の字におれ曲がっている。寝巻き姿のヒサのからだや、足元にも血がこびりついている。

足の近くに刃渡り15センチあまりの出刃包丁が置かれ、刀身部や柄に広範囲に血痕が付着している。

捜査員たちはすさまじい現場のありさまに圧倒され、息をのんだが、一見した印象では、夫婦げんかのすえ、妻が寝ている夫を殺し、自分も首吊り自殺したという状況に見えた。

しかし、その後の現場検証や鑑定などにより、べつの見解が生まれた。

 

 ①惣兵衛の傷は、頭頂部3ヶ所、前額部3ヶ所、下顎2ヶ所の合計8ヶ所。凶器は薪割り用の

 長斧と見られ、死因は出血多量。

 ②ヒサの死因は手で喉を絞められた扼殺。

 その後、首吊りに見せかけるため、ロープで吊られた模様だが、擬装方法はすぐばれる程度

   の粗雑なもの。

 ③あちこちが物色され、タンスの引き出し、畳の下から現金が盗まれた形跡がある。

 

これらのことから、警察では犯人が外部から侵入して夫婦を殺害し、金をうばって逃げた強盗殺人事件と断定した。

25日、聞き込みの刑事が平生町中本自動車店で「24日夜12時ごろ(事件当夜)八海の吉岡晃が《柳井にいる兄が急病だからすぐ車を出してくれ》といってきた」という情報を得た。せまい土地のことである。情報はすぐ入った。吉岡晃(22歳)は無職、大酒飲みで酒癖がわるく、窃盗クセがある。

父と兄が経木製造の家内工業で暮らしを立てている。もうひとりの兄が、6キロほど東の柳井町で飲食店を営んでいるなどの事情は、知れわたっていた。

兄の急病ならしかたないとおもい、中本店では岡田運転手を自宅から呼んで、車に吉岡を乗せ、柳井へ向わせた。

ところが岡田の話では、中本店を出てから約20分後の午前1時すこしまえ、吉岡が車を停めさせたのは兄の家ではなく、当時は公認されていた石原遊郭のちかくだったという。

これらの聞き込みにより、刑事たちは、10数軒ある妓楼をかたっぱしから調べ、「寿楼」でまだそこにいた吉岡を発見、逮捕した。

そのとき吉岡は客用の浴衣を着ていたが、まつ毛や腿、足の裏、ズボンなどいたるところに多量の血が付着し、発見された本人も、観念したようすだった。

1月26日、吉岡は平生署で、単独犯行を認める自白をした。犯行の動機から、実行まで、「第1回供述書」のあらましは、つぎのようなものである。

 

阿藤周平ら5人を逮捕。――今年1月15日ごろ、知り合いの阿藤周平ら5人と焼酎を飲んだあと、歩いていたとき、県道に停まっていた馬車の荷台上にあった土箱を、自分が悪い気を出して道の真ん中に交通妨害になるよう落とした。それが馬車の持ち主に知れ、詫びとして8人に酒を飲ませた。

その酒肴代の支払いを迫られて困っていた。

1月24日午後3時ごろ、知り合いの新庄鮮魚店へ行き、そこで焼酎2合を買って飲んだ。

いちど帰宅したが、午後5時ごろ、新庄家の子供たちに餅を届けるつもりで再びそちらへ出向く途中、近所の早川惣兵衛さん宅のことをおもい出した。現在は老人のふたり暮らしで、現金を持っている。

以前友だちがいたので、たびたびそこに出入りし、現金などは枕元付近に置いてあるとおもった。新庄宅に着き、そこの主人と午後5時半ごろから、ふたりで焼酎を1升ちかく飲んだ。帰りがけ、焼酎2合をビンに入れてもらって出てきた。

早川宅のまえに着き、焼酎を全部ラッパ飲みした。母屋と離れ部屋のあいだのガラス障子が開いたので、素足でそこから土間、炊事場へと入った。月明かりもあったが、持参の懐中電灯をつけて、台所から座敷へとあがった。

早川夫婦は裏手奥の6畳間に寝ていることを以前から知っていたので、境のふすまを1枚開けて入ろうとした。

すると、夫婦のどちらかが豆電球をともしたので、びっくりして台所へ駆けおりた。だが、顔を見られたので、これはまずいとおもい、台所の土間にあった斧を取り上げ、ふたたび夫婦の寝室へ駆け込んだ。

ヒサは起きあがったが、惣兵衛は寝たままだったので、惣兵衛の首から上に最初3回くらい、斧のどちらかは記憶しないが、殴打した。

最後に一撃するとコツンと音がした。

ヒサは「強盗じゃーっ!」と叫んだ。

ヒサも斧で襲おうとしたが、惣兵衛の返り血が自分の目に当たったことをおもい、立っているヒサに近づき、口元を手でふさいだ。ふたりでいっしょに布団の上に倒れ、もつれ合っていたが、両手でヒサの首を押さえつけた。2分間くらいでヒサはだいぶ弱ってきたように見えたので、手を離した。

ヒサの首を、自分の両手を交互に重ねて絞めた。

ヒサは無言で倒れた。

が、綱を持ってきてつないでおかないとどこまでもついてくるとおもって、台所にかかっていたロープを取りに行き、起き上がるヒサの顎の下から首にロープを二重にまわし、ひとくくりした。

するとヒサが立ち上がってきたので、その瞬間にロープの端を鴨居にわたし、鴨居の下側で何回かまわし、とどめに2回締めておいた。

その後、侵入した出入り口のガラス障子を閉め、ネジ込み錠をした。

自分の出口に困ったあげく、台所の床下を這い、月の光りが流れこむ裏山方向の板戸を押して外に出た。

それは午後11時ごろであったとおもう。

石段に置いてあったゲタを履き、八海橋の付近まで行き、30分ほど、悪いことをしたと考えていた(のちに、当夜11時すぎごろ、犯行時に使用した手ぬぐい、ぞうきん、紙片を丸めて八海川ぞいに下り、堤から川下へ投げ捨てたことを供述した)。その足で、平生町の中本自動車屋の自動車で柳井町の石原遊郭へ行き、盗んだ金を遊興費についやした。