弁護士・木ひろし先生との会い 1

 

おはようございます。今朝も古い話をします。

ぼくはそのころ、「センス」というグラフ雑誌の記者をしていました。

ぼくは法律にまったくくわしくありませんが、昭和43年、雑誌「センス」の取材で、弁護士・正木ひろし氏に会ったことがあります。

そこで奇妙なことに、正木先生に法律というものを教わったのです。教わるつもりがなくても、法律にあまりに無知なぼくを見て、先生は黙っていられなかったのでしょう。

ぼくは当時、正木ひろしという弁護士は、そんなに偉い人だとは知りませんでした。平凡社の百科事典にも名前が載る、恐るべき弁護士先生でした。

ぼくは、法医学の高島博博士(元日大教授)の紹介で、正木ひろし氏と会うことができました。これもまた、奇妙な縁です。

日大とはまったく無縁なぼくが、高島博士の勤務先に毎週のように通っていました。おもしろい先生だったからです。

「先生、アリバイの原稿を書いてくださる先生を、どなたかご紹介いただけませんか?」といったのです。すると、先生は正木ひろし氏を紹介してくださったのです。そしてぼくは、大きなつくりの、四谷にある正木ひろし法律事務所を訪ねました。

「アリバイについての原稿ご執筆の依頼で参りました」といいました。

「ほう」といって、高島博士の書かれた紹介状に目を落とされ、

「どうぞ。……」といって、ぼくを2階の執務室に招き入れました。

2階に上がると、廊下や突き当りの執務室の壁に、模造紙で殺人事件の犯行現場を再現したような大きな絵がところ狭しと貼られています。その絵はとてもリアルで、殺人現場のようすを克明に再現した、画家が書いたような迫力のある絵でした。素人が描いた絵とはとてもおもえませんでした。

佳境に入る刑事事件を扱う弁護士先生の奇態な現場シーンを見るおもいがしたものです。広い執務室には、だれもいなくて、正木ひろしさんは留守なのかもしれないとおもっていたら、小柄な男が、デスクの引き出しの中から名刺入れを取り出し、「正木です」といって自分に差し出したのです。

「先生ですか、たいへん失礼をいたしました」といって、ぼくは頭を深々と下げました。すると、

「ぼくはいま忙しいんですよ。ご覧のように八海事件を担当しておりましてね、……あなたはこの事件のことを何か知っていますか?」と尋ねられました。

「いいえ、……」

「ぼくは、最高裁でこの事件の弁護をしなければならないので、多忙なんです。高島先生のご紹介ですから、お断りはしません。引き受けましょう。ですが、あなた、どうでしょうか、原稿を手伝っていただけるなら、引き受けましょう」といわれたのです。ウムをいわさぬ凄みがありました。

「はい」とぼくは承知してしまったのです。

「それじゃあ、……」といって、先生は立ち上がり、そして別室に隠れます。

ぼくはしばらく執務室のようすをながめていました。

先生の大きなデスクの上に、絵筆が乗っています。絵の具もあります。全紙大の模造紙の後ろは書棚になっていたけれど、なかにある本は、お堅い本ばかりです。デスクの上にはタイプで打ったような資料がいろいろ置いてありました。

やがて先生があらわれ、3冊の本をポンとデスクの上に置きました。そして、いろいろページを繰って付箋で印をつけていき、3冊とも閉じると、

「この付箋のついたページに、アリバイについての記事が載っています。これをよく読んで、換骨奪胎、まとめてくれませんか。それで、どうですか? 3冊ともぼくが書いた本です」といわれました。ぼくは面食らいました。

正木ひろし弁護士事務所を訪れて、手ぶらで帰ってくるよりはましだとおもい、ぼくは引き受けることにしました。しかし、ぼくには法律の知識はまるでない。自分の書いた記事に、正木ひろしという著名な弁護士先生の名前がつく。

とんでもないものを引き受けることになったとおもっていました。

ぼくは24歳、結婚したばかりでした。

「先生、ぼくは法律を知りません」といってしまった。すると、

「それはさっき聞きました。……きみが、文章が書けるかどうかです。1週間後、原稿を持ってきてほしい。ぼくが校閲します」といわれた。そして、さいきん先生が出されたという「裁判官」という本をいただきました。身が引き締まるおもいがしました。

オフィスに戻ると、それからは、3冊の本と格闘しました。ご著書の文意の流れを正確に理解するために、付箋が付されたページだけでなく、全ページ通読しました。すばらしい本でした。

これをグラフ雑誌の記事にするのです。

ページの写真構成はもう決まっていました。

当時、警察官友の会の会長をしておられた柳家金五郎さんとの企画で、両手に手錠を嵌められた人物の写真を載せることになっていました。顔写真は柳家金五郎さんのしかめっ面。そういうイメージ写真を想定していました。

手錠を嵌めたスーツの袖に、白いフォーマルのワイシャツの袖口を出し、ある紳士がある日、とつぜん緊急逮捕されるというイメージを訴求しました。その大きな写真の両脇と、3ページ目が記事のページになっています。

400字詰めの原稿用紙で12枚の分量。

「現実をフォトジェニックに」というのがこのグラフ雑誌のコンセプトでした。

書いた原稿の中身はもう忘れましたが、それを持って1週間後に先生の事務所を訪れたときの記憶が、ありありといまも脳裏に浮かびます。

正木ひろしさんは、この20枚の原稿を色鉛筆で真っ赤になるほど修正なさった。しかし、文章の骨格はいじらなかったのです。やおら2時間か、2時間半の時間を費やし、正確さにおいて比類ない文章に直されました。

直されたところは、法律用語でした。法律用語を使って書かれた箇所は、すべて直されました。正木ひろし氏がぼくに書いてほしいと期待したものは、法律用語をまったく知らない、ごくふつうの読者が読んでも分かる文章に書きなおしてほしいということだったのかも知れません。

そして、すべてが終わったとき、ぼくはえらく恥じ入った気分になりました。

正木ひろし先生は、おっしゃいました。そのときのことをおもい出して、以下、先生のいわれる法律の話を、ちょっとご紹介してみたいとおもいます。

「きみは、法律をどうおもうかね? きみは法律を知らないといったが、知らないではすまされない。その話をしたい」と先生はおっしゃり、「カルディアネスの板」の話をされました。

古代ギリシャのカルディアネスでの出来事です。

難破船から海に投げ出された船員は、漂流する1枚の船板につかまります。ひとりがつかまっているうちは沈まないけれど、ふたりがつかまると沈んでしまうという船板です。ふたりがつかまると、板は沈んでしまうので、ふたりの人間は、はからずも争いになり、ひとりは、まちがいなく殺されます。

「――だが、こういう殺人は、事件として罪には問われません。分かりますか? 刑事訴訟法の緊急避難にあたり、現行の国際法でも無罪とされます。人が人を殺しても、罪には問われない。そういう法律もあるのですよ。むろん、そのぎゃくもある。ふつうは、人を殺せば罪に問われます。――法律とは、何か? それを知ることですよ」と先生はいわれました。

そして、法律の解釈には7つあり、それをすべて知れば、大学の法科を出たと同等の知識が身につくともおっしゃいました。で、7つの解釈法なるものを教わったというわけです。

ぼくにとって、正木ひろしという弁護士は、偉大な人でした。

くわしいことは忘れましたが、先生はある裁判で、ある男を真犯人であると名指しし、それが間違っていたために、弁護士資格の停止処分を受けられました。こんな弁護士はほかに知りません。

のちに松本清張の「カルディアネスの舟板」という小説が出版され、緊急避難を想定した故意の殺人事件をあつかい、犯人は、そのトリックを見破られて、破滅していくという物語が書かれました。

ふるい小説ですが、松本清張さんの本を読んでいたら、弁護士が出てきたので、正木ひろし弁護士先生(1896-1975年)のことをおもい出したのです。