枚の真 (Ⅱ)

 

作品「ふたりの女」には、にっこり笑って姉に話しかける少女が、愛らしい姿でそこに写っている。が、少女の着ている毛糸編みのセーターの肩のところに、引っかいたようなほころびがあった。

最初に見たときには気づかなかった発見だった。

そのセーターはモノクロだから色はわからない。おてんばな女の子だったのかもしれない。けれども少女の笑みがひじょうに明るい。

お座りをしている和服の娘は帯が少し派手なくらいで平凡に見えた。だが、やや正面を見つめているその目は6、7度ほど斜視だった。

きりっとむすんだ唇はやや受け口をしている。

顔にうっすらと雀斑(そばかす)が浮いている。膝のうえにきちんとおかれた手に一本の鉛筆がにぎられている。広間の奥まったところに小さな座り机がおいてあり、小窓からこぼれる明かりが、その小さな机を立体的に写しこんでいる。

娘はそこで手紙でも書いていたのだろうか。

「ふたりの女」とは何だろう。

わたしはもういちど写真をながめた。

写真家の意図のなかに「姉妹」という発想がもしもなかったとしたら、それは何だろう。姉妹を撮って「姉妹」と表題するなげやりな発想は陳腐だろう。

「それじゃ、あれは姉妹じゃないというのね?」と、キャサリンはいった。

「そう思うんだ、ぼくは」

「じゃ、だれなんですか?」

キャサリンがコーヒーカップを持ちあげたとき、指のリングがきらりと光った。

「ふたりが似ていると思いますか? 顔がちがうでしょう? 最初は姉妹だと思ったけれど、ぼくはちがうと思うんだ」

このふたりの関係は、もう作者の意図をはなれている。

それを見るものの勝手な空想のなかで一枚の写真として成就する。

わたしは、これは姉妹ではないと思った。かりに娘が18歳であるとして、年のはなれた妹のまえで、このようにスキのない動作をたもつことができるだろうか。ふたりの会話にははずんだところがない。ふんわりとしたやり場のない空気が写っている。

それに、少女の横顔は年上の娘とまったく似ていない。

「でも、いい写真だったわ。少女の笑っている顔が、よかったわね」

「横顔だから、よくはわからないけど、ここでは、少女の存在が、写真をよくしているね」

キャサリンの明るい感じの和服が、店内の一部の空気をひときわ華やいだものにしている。わたしの真うしろの壁がミラー貼りになっている。

キャサリンはときどきわたしの肩越しにミラーに写っている自分の姿を見ているらしい。

「キャサリン、眼鏡、取ってみて」と、わたしはいった。

「そんなにいうんでしら、コンタクト、してくればよかったかしら」といった。

「ほんとうね。この眼鏡、合わないみたいですね」と、ミラーを見ながらいった。

「昆布茶ですけれど、どうぞ」といって、ウエイトレスがテーブルにお茶を運んできた。そして、キャサリンのほうを見て、召しあがれというふうに、にこっと笑った。

「ありがとう」と、わたしはいった。

眼鏡をはずしたキャサリンの顔を見ながら、わたしはさっきの写真のことを思い出していた。

――作品「ふたりの女」は、人物を写真の中央に配しながら、その周囲の説明的な、ムダと思われる空間をじゅうぶんに撮りこんでいる。トリミングの鋏を拒絶しているのである。

敷居、かもい、柱、たたみ、縁側の板の目――いずれも長短の線で構成され、写真はそれを正面から描いたものだ。

屋根瓦が太陽の反射をうけて黒っぽく光っている。

そのずっとむこうの風景までパンフォーカスにしっかりと撮られている。夏はまだその盛りにあり、娘ざかりのそれのように、激しすぎる陽光のなかにある。

しかし娘には生き生きとした喜びの表情はどこにもない。そのぼんやりとした膨らみのある白い顔が病人のようにさえ見える。カメラレンズのするどい描写のまえには、余計な誤謬(ごびゅう)を差しはさむものは何もない。しかし、見れば見るほど、写真家のフォトジェニックな計算がそこにひそんでいるように見えた。

むかしの会場のシーンがよみがえってきた。

「チィちゃん、チィちゃん……」

ブロンドヘアの髪をした女性の声が聞こえた。

それは会場のBGMの甘い音にまじって、セリフのように聞こえる。

「チィちゃん、サッポロです。サッポロへきましたよ。……」

小さな、うるんだような声で、そういっている。

「サッポロ」というその声が、わたしをべつの記憶へといざなった。わたしはそのとき汽車に乗っていた。汽車が札幌へ到着するころ、眠っていた幼いわたしは、その人に起こされたのだ。わたしの耳が聞いたのは、その声だった。

ブロンドヘアの女性はそのとき、名刺くらいの小さな写真を取りだし、「ふたりの女」と対面させている。彼女のうしろ姿は、骨肉の絆を絶たれた哀しみ、あるいは再会の喜びに打ちふるえているように見えた。

わたしは身を引いて、受付のほうまで戻った。

すると、ブロンドヘアの女性を中心に、コーナー全体が一枚の写真のように見えた。何があったのだろう。わたしがずっとむかしに聞いた、あのなつかしい声がそこにあった。

「わたしはね、チィちゃん、サッポロへとうとうきてしまいました。あなたに会いたい一心で。ええ、会えて、うれしいわよ。……とっても」

彼女は泣いているようだった。

「チィちゃん、聞いてる? わたしはね、チィちゃんに励まされて生きてきたのよ。歌がじょうずなチィちゃんだったわね。《この道》、また歌ってちょうだい」

ハンカチで少し目を押さえてから、ふたたび小さな写真を胸のあたりにもってきた。

「あのとき、……あのときは、生きて帰れるなんて思ってもみなかった。1000人もの人が海に沈んで、みんな、亡くなりました。あなたもそのひとりだったけれど、あなたのことは忘れないわ。……でも、チィちゃんを救えなかったこと、わたしは悲しい。それからの、わたしの人生、ほんと、たいへんだった……」

彼女は泣いている。

「チィちゃん。あなたの好きなサッポロよ。サッポロへ、いまきてるのよ」

何の話だろうと、わたしは思った。

――海、遭難、死者。

もしかしたら、昭和29年の青函連絡船洞爺丸沈没の話なのだろうか。

彼女は声をつまらせて、からだじゅうで泣いているようだった。――洞爺丸沈没? 台風15号による七重浜沖での座礁転覆。わが国最大の海難事故の記憶である。写真は何も語らないけれど、彼女だけがしっているのだ。チィちゃんというのはどっちの子なのだろう。わたしにはわからない。

はっきりした記憶があるわけではないけれど、わたしが3つのときに隣り村の写真館で子どもたち3人で撮影したという、もっとも古い一枚の写真がある。

わたしが籐の椅子にちょこんと座り、そのうしろでわたしの肩に片手をかけているブロンドヘアのロシア娘が写っている。

彼女の目も6、7度の斜視だった。

ロシア娘は浴衣を着ている。その左横に、わたしとおなじくらいの年ごろの、愛くるしい顔をしたおかっぱの女の子が立っている。女の子はわたしの手を握っている。わたしはおどろいたように、目を大きく見開いて写っている。

ロシア娘は、子守りとしてわたしの家に雇われ、ずっと住みついていた。

わたしの家は農家だった。彼女はいつも和服を着ていた。わたしは飛行機の絵がついた大きな3つボタンのある開襟シャツを着ている。

隣りの女の子は、半そでのセーターに短いフレアスカートをはいている。女の子の頭に大きなリボンが写っている。――ああ、あのときの小さな女の子は、「チィちゃん」といっていた! 

デニールシルクでつくったような記憶を写しだす巨大なスクリーンが、わたしの脳裏によみがえった。チィちゃんは歌がじょうずだった。わたしがはじめてヴァイオリンを弾いた曲も《この道》だった。

しかし、ここに立っているブロンドヘアの女性は、いったいだれなのだろう。

写真に写っている年上の娘なのだろうか。

しかし、写真のなかの彼女の髪はブロンドではない。ブロンドヘアの女性が取りだした名刺大の写真、それはいったいだれの写真だったのだろう。写真と写真を対面させているのだ。

「その写真、だれなんでしょうね。もしかしたら、あなたの写真?」と、キャサリンはきいた。

わたしの記憶は小刻みにゆれた。

記憶がカットバックするたびに女たちの姿が生気を取り戻し、急に動きはじめたように思われた。

わたしはキャサリンの顔をながめていた。そして、ギリシア神話にでてくるピュグマリオンの話を思い出した。ピュグマリオンは自分でつくった象牙の女性像に恋をし、アフロデーテのパワーで、象牙の像に命を吹きこんでもらうという話だ。

わたしは彼女たちのポートレート写真に、命を吹きこんでみたい。写真のなかの彼女たちを動かしてみたいと一瞬思った。

「ぼく? そう思いますか」

「じゃなかったら、何ですか?」と、キャサリンはきいた。あのときわたしは、きゅうに疲れた気分におそわれた。からだがぐったりして、思考の限界をおぼえ、目がくらくらしていたのを思い出した。

「あれを見たとき、ぼくはひじょうに疲れましたね。ショックが大きすぎたんですよ、きっと」

――「ふたりの女」を見てからわたしは出口のほうへと歩きだしていた。

そしてわたしはハッとして立ちどまった。

年上の娘は婚礼をひかえて、きっと髪を染めたのだ! きっとそうにちがいない。

わたしがはじめてブロンドヘアの彼女の姿を見たとき、なぜかなつかしい感じがした。

そのなつかしさは、彼女の目だった。年をとっても斜視の目は変わらない。わたしの人生のどこかで、その人と出会っていると直観した。

そんな感じがはじめからあった。

ブロンドヘアの彼女を見知っているばかりか、わたしの記憶のなかに、本能的に嗅ぎわける骨肉の匂いがあった。わたしの母がずっと病気だった幼いころは、彼女に育てられた。彼女が髪を染めたのは、日本人としての帰属、いや、おそらく夫や夫の家族にたいする絆を強めるためだったのかもしれない。

しかしそう考えると、ブロンドヘアの女性が手にしていた小さな写真、あれはもしかしたら、わたし自身が写っていたのではないだろうか、と思いはじめたのである。