サイエンスもいいけど、ナギの生活も知りたい

 

ニュートン

 

サイエンスに関する本を読んでいて、読了まぎわにいつも感じることは、それはぼくらが途方もない幸運のおかけで、いまここに生きているということだ。素粒子物理学を考えるまえに、ぼくはこの途方もない幸運ということを、どうしても考えてしまう。

途方もない「幸運」。――

何らかの生命体としてこの宇宙に登場するというだけでも、途方もない話であるという事実を知るにおよんで、それはしかし、いつも容易でない生き方を強いられてきたという自然博物誌的なストーリーから解き明かしてくれる科学に、とてつもない興味を抱く。

 

田中幸光

 

質量のあるニュートリノ発見は、質量誕生、生命誕生という謎をじょうずに解き明かしてはくれないだろうか、とおもったりする。

ぼくら地球人は、信じられないほど短期間でいまの卓越した地位を築きあげてきた。その時間は、地球の全歴史のなかでは、0・0001パーセントに過ぎない――とビル・ブライソンはいっている。

それはこれからもそれがつづく。

というよりも、これからすべてがはじまろうとしている。やがて終焉に向かっていき、すべてはなくなるかもしれない。

だが、なんという、ぼくには数えきれないほどの幸運の連鎖であったろうか、と思わずにはいられない。

ノーマン・マイヤースの「沈みゆく箱舟」では、人間の活動によって地球上の生物が毎週2種ずつの割合で絶滅していると説かれた。

アメリカでは2万年前から1万年前にかけて、人類の進出とともに大型動物が30属も、あっという間に姿を消した。

南北アメリカに生息していた大型動物の数は、その1万年間で4分の3が絶滅した。

モーリシャス島に生息していたドードー鳥は、人間と出会って、たった70年間に絶滅したのだ。エドワード・О・ウィルソンの「生命の多様性」という本のなかでいっているように、「惑星は1個、実験は1回」ということを肝に銘じるべきかもしれない。

 

ビル・ブライソン

ビル・ブライソン(William "Bill" McGuire Bryson、1951年- 73歳)は、アメリカ合衆国アイオワ州デモイン出身のノンフィクション作家である。

ぼくは、彼の書く本を、格別注意深く読んできた。彼はもともとは旅行作家といわれていたが、「ビル・ブライソンのイギリス見て歩き」とか、「ビル・ブライソンの究極のアウトドア体験――北米アパラチア自然歩道を行く」とか、あるいは、「ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー」というおもしろい本も書いていて、涙を流すほど愉快な抱腹絶倒のユーモアを描いている。

だから、彼の本のなかで、サイエンス・ブックの本を見ても、笑いのタネになるおもしろい科学の話が書かれているのだろうと、ぼくは大きな勘違いをしてしまった。

ブライソン本人は、「出不精の旅人」といっているくらい、ふつうの旅人ではないらしい。

そのブライソンが、何をおもったのかとつぜん勇躍し、科学の世界へと探検旅行をはじめたのだ。

だが、この種の本は世にゴマンとある。

最初は手に取ってページを繰ったものの、ぼくはその本を書店の棚にそっと戻してしまった。科学旅行者の本などに興味がなかったからだった。

ところがある日、新越谷の喫茶店で学生とおぼしき青年が、その本を広げてしきりに蛍光ペンで棒線を引っ張っているシーンに出会った。

彼を夢中にしている本にぼくは興味を持った。そんなにおもしろいのか? と考えた。

味覚としての科学。

快楽としての科学。

無知と未知が混然一体になっているぼくの脳裏を刺激した。

古今東西の豪勢な知のオデッセイなどといっても、しょせん読む先々で大きな疑問が解き明かされることはなく、「この先はわからない」のだという未知の壁に突き当たる。

だがそのときは、違った。

そしてぼくは、コーヒーを飲み乾すと、一目散に書店に向かった。それが「人類が知っていることすべての短い歴史」(楡井浩一訳、新潮文庫、上下2巻、2015年)という本を手に入れる瞬間だった。

その上下2巻の文庫本は、じつにおもしろく、既知の科学への途方もない旅が描かれている。それを読んでぼくはすっかり堪能した。

上巻は青年の興味を引き、ぜひ読んでみろ! といって彼の手に握らせた。

「年内に読み終えるかどうか、自信がない」といった。

「来年になってもいいよ。だが、本は汚さないでね」と、それだけは念を押した。

ちょうどいい大きさの太陽。

地球を甘やかしてくれる月。

原子社会のセックスアニマル炭素。

防護用コンクリートほどに頼もしい大気。

無尽蔵のマグマ。――地球万歳、ここは生物たちのパラダイスだ!

まあ、そんなことが書かれている。――

「ちょうどいい大きさの太陽? おもしろいですね。……ところで、これから、うな重でも食べにいきませんか?」と相棒がとっぜんいった。

「ウナギ、好き?」

「ええ、好きです。田中さんはウナギに関心ありませんか?」と彼はいった。

そういわれても、ぼくはウナギについて一度も関心を持ったことがない。食べればうまい。食卓のウナギにしか目がない。そのウナギについて調べた人がいた。1949年、ロンドン生まれのグレアム・スウィフト(Graham Swift)という、ブッカー賞を受賞した作家の「ウォーターランド(Waterland)」(新潮社、2002年)という小説だった。

この本に書かれていることを信用すれば、だいたい、こんなふうなことが書かれている。

ウナギのことはエジプト人も知っていた。ギリシャ人も、ローマ人も知っていた。ローマ人は知っていただけではなくて、その身を珍重した。――そういえば、ダンテの叙事詩「神曲」のなかにも、ちゃんと書かれているね。煉獄で亡霊となり、暴食の罪を償わせるという物語だ。

「いま断食によりてボルセーナの鰻とヴェルナッチャを浄(きよ)む」などと書かれている。

生前、たらふく食べたウナギを断食で浄化した、というわけだ。「ヴェルナッチャ」というのは、ワインみたいな飲み物のようだ。13世紀に在位した教皇マルティヌス4世は、ウナギがとっても好きだったらしい。

さて、ウナギの生殖器官がどこにあるのか、ずーっと明らかにされなかった。信じられない話だが、これが分かったのは、20世紀になってからといわれている。ノール岬からナイル川にいたるヨーロッパウナギの生息地にも、成熟した白子をもつウナギが見つけられなかったからである、――と書かれている。

古代の哲学者アリストテレスもこれを調べたけれど、「ウナギは、じつは無性動物であって、その子供は自然発生によって泥の中から現れる」などと主張している。

ちょっと、おかしい。

「泥の中から現れる」だって? 

ほかの魚の鰓(えら)から出てくるという説や、水中に落ちた馬の毛から孵(かえ)るという説、5月の朝のひんやりとした甘い露の水滴から発生するという説など、……まあ、このような珍説がいろいろとあったようだ。

これが18世紀になると、偉大なリンネという学者が、「ウナギは胎生である」といいはじめる。その卵は、母胎のなかで受精し、子供がある程度育ってから産み落とされるのだと発表した。この話は、別の人によって否定されたが、リンネは終生この考えを変えなかった。

「つまり、子宮があるっていうこと?」

子宮なんて、いったいどこにあるというのだ!

ついに、ウナギの生殖器官の存在を突き止めたというわけである。ウナギには卵巣があったのである。1777年、イタリア人のパランツァーニという人がいっている。

「それじゃ、卵子はいったいどこにあるのか?」と。

こんなふうにして、すったもんだのあげく、ポーランドのマルティン・ラトケという人が、「Anguilla anguillaの雌性生殖器に関する報告」という決定版が公刊されるにいたったというわけである。

しかし、卵巣は分かったものの、精巣は依然として不明だった。ウナギの性生活が、ずーっと分かっていなかった。

世界の人びとが無知であったにもかかわらず、毎年、春になると、ウナギの稚魚が生まれ、ナイル、ドナウなど、川の河口部にあつまり、彼らは上流を目指して泳ぎはじめる。そして1874年、ポーランドのシモン・シュルスキという大学教授が遅まきながらウナギの精巣を発見する。発見者の名にちなんで、この精巣を「シュルスキの器官」と名付けられたらしい。

しかしおかしなことが起こった。

その後いくらウナギを捕獲しても、雄は1匹も獲れなかった。

この理由を考えた人がいる。雄がいなくても、ウナギは単為生殖によって、――つまり、人間でいえば「処女降誕」みたいなもので、――繁殖することができると結論づけた。そういうこともあるかもしれない。

けれども、卵巣と精巣があるとして、いったい、いつ、どこで、どのようにして、このふたつは協力して任務を果たすことができたというのだろうか? 

それにしてもふしぎだ。

ウナギの卵が孵化したばかりの幼生はおろか、卵で腹をふくらました雌1匹ヨーロッパの近海で発見した者はひとりもいなかったのである。

そこで、1904年、――日露戦争が勃発した年だが、――ヨハネス・シュミットという人が、北アフリカに向けて航海する。そこで彼はウナギの幼生なるものを発見する。

それは、ヨーロッパウナギの親戚であるアメリカウナギであることが識別された。その後、「うなぎの寝床」が発見された。

産卵場所は、北緯20度と30度のあいだ、西経50度と65度のあいだ、――サルガッソー海という名前のある海藻のただようふしぎな水域のなかだった。ウナギの幼生が3000、4000も、さらに5000マイルも海を泳いで川を遡り、親の生息地に達するという説が出てきた。

何年も淡水または汽水(きすい)の浅瀬で暮らしていたウナギの成魚が、死ぬまえに産卵するという目的のためだけに、ふたたびこの行程を逆方向にたどりつくという衝動をおぼえるというのは、信じられない。

ウナギをめぐる冒険の旅は、科学者も、漁民も、みんな真実を求めているのだけれど、ぼくらがこれほど多くの科学的な知識をもってしても、ウナギの生態はまるでわかっていないのだ。ぼくらの好奇心の多くは、ウナギの誕生と、ウナギの性生活に向けられてはいるが、依然としてこの謎を解けずにいる。

ウナギのことを考えたら、ぼくらの知識なんて、タカが知れていると思わないわけにはいかない。あらゆる知の元であるナチュラル・ヒストリー(自然誌)に、もっともっと関心を持ってもいいかもしれない。

「知らないことにぶち当たると、わくわくするよね?」というと、

「そうですか。ぼくは知らないことだらけなんで、わくわくなんかしません」と青年はいう。

「いま、ぼくは、アダム・スミスの《見えざる手》の比喩のおもしろさに感じ入っているところです」と彼はいった。

「ほう、アダム・スミスはニュートンと通じるところがあるんだよ」

「え? どんな……」

「ふたりとも、生涯独身だったし、出身大学の教授になったし、それも、あまりパッとしないぼんやりとした教授でね、ふたりとも父親の死後に生まれ、ふたりとも新しい科学の父になった。ふたりの業績には100年の開きがあるけれども、ニュートンが生まれて、ちょうど300年後の1942年に、つまり、ぼくが生まれたんですよ、北海道で!」

といって、ふたりで笑った。