ときには居がかったリフをいって

 

いま、世界には書くべきものがいっぱいあるようにおもえる。

ヨーコが外出してしばらくしてから、ぼくはベランダの一角に太陽が差し込んでくる風景を漫然と眺めていた。……1900年の太陽も、おなじようにロンドンの巷(ちまた)を照らし、多弁時代の幕開けを告げたのだろうか。さいきんの本を読んでも、なんとなくおもしろくなくて、つまらない。むかしの小説や詩のほうがえらくおもしろくおもえた。

なぜなのだろう。

ドレークやマジェランのような存在はもちろん、シンドバッドやイアソンのような、無類におもしろい話を見失ってしまって、あの大航海時代のクックを最後に幕を閉じてしまった感がある。

おもしろさにおいては、彼らの半分も成し遂げていないように見えて――。

ぼくが歴史にこだわるのは、おもしろいからである。

吉田松陰の話は実におもしろい。

歴史に名もない主役たちを登場させ、神話的に、暗喩させることに一所懸命な大江健三郎ではないけれど、ぼくには「歴史(history)」ではなくて、その親戚みたいな「芝居がかり(histrionics)」とでもいえるような、……つまり、「演劇」としての歴史、家族の物語でもいい、そんなふうに見えてしかたない。

「歴史(history)」自体に、そもそも「演劇」という意味があるのだけれど、ここでいう「歴史」は、もっとペルソナリッヒなというか、個人的なもの。――ぼくは、それにハタと気づいた。

「歴史」はデスクの上にちょこんと置いてあるようなものじゃない。われわれとまるで無関係に、存在するものじゃないっていうことを。ときには評論家たちの論評を読むこともある。しかし、それらにはマユツバものが多い。時代をミスリードしているように見えるからだ。

「(読者が)子宮みたいに、空っぽの何かを満たしたいと期待すれば、うぬぼれガスで腹が膨れあがった作家の想像力が、屁をペン先から出すようにして綴られた産物のように見えて、じつは恐ろしく冗漫な自然誌(ナチュラル・ヒストリー)なのだ」という意味のことばを残した偉大なサミュエル・ジョンソンのことをおもい出す。

ちょっと例が卑猥だけれど、――「空っぽ」の部分は今のことばでいえば「子宮」となっていて、もともと古英語では子宮は「空っぽ」という意味であったことを知る。

東洋のわれわれには、馴染みのないことばではあるけれど、いいえて妙なこのことば。

――小説家っていうのは、「空っぽ」を満たす仕事をする。やがてイメージが育ち、子宮が膨らんでくる。

膨らんではくるけれど、生まれる前は、まだ胎児のまんま。人間として認知されていない。名前もまだない。その状態を「妊娠」といい、中国では「糸車」に譬えて、糸が巻かれて大きく膨らんで成長する期間のことを、「コンセプション(conception)」といい、「まだ生まれないもの」、「やがて月満ちて生まれるはずのもの」、「受胎」、「妊娠」という意味を持ついっぽうで、近代になって、転じて「概念」という意味も具わるようになった。

小説家は、この「コンセプション」を「子宮」ではなくて、「頭」のなかで、想像力だけでつくりあげるのである。――いわれなくても分かる? 

まちがっていたら、お詫びするしかないのだが、ぼくはそうおもっている。

日本は近代になって、西洋の人びとといろいろ軋轢を起こした。何かがちがっていたからだった。「生麦事件」、「哲学館事件」など。――こんどはその話をしてみたいとおもった。

日本人同士だってよく論争を引き起こしている。芥川龍之介と谷崎潤一郎との論争、「風俗小説論争」、「異邦人論争」などなど。そうやって日本の作家たちは、論争し合って日本近代文学のベクトルを示していった、とおもう。

Mさんがやってきた。

「寒いの、暑いの」といいながらやってきた。ぼくの事務所のドアに、看板が出している。外出するときはこれを窓のフレームに引っ掛けておく。用のある人は、そこに書いてある電話をかけてくるようにと。

その看板があったので、彼は、きょうもいないのかとおもったようだった。

「――あっ、いたいた。ああ、ここは暑いねぇ。夏温度だねぇ」といって入ってくる。彼の顔は日に焼けて真っ黒だ。

57歳。もうじき58歳になる。

「エアコンに当たって、けっこうここは夏温度ですね。コーヒーは、やっぱりホットを飲みたくなりますよ」といっている。コーヒーを飲みたくなってやってきたようだった。彼は、きょうもいつものホットコーヒーを催促する。

「じゃあ、これ飲むかい?」といって、さっきのお客さんからいただいたDrip pack coffeeというのを手で持ち上げた。

「ほー、DOUTOR? ……いいねぇ。いただきますよ。これ、どうしたの?」ときいてきた。

「なーに、友人の奥さまからさっきいただいたんですよ」

「奥さま? ……だれですか?」

「だれでもいいでしょ。妙齢な、貴婦人みたいな奥さまですよ、伊藤梅子みたいな」

「だれですか、伊藤梅子って?」

「ぼくも知りませんよ。会ったことがないんだから、……」

「会ったことがない? ふーん」

「そりゃあそうですよ。伊藤博文さんの奥さまなんですから」

「伊藤博文? どこかで聴いたこと、ありますよ。たぶん、自分も知っていますよ」といっている。

「だれかと勘違いしていませんか? 明治になって新政府ができて、初代の総理になられた人。その奥さまですよ」

「えーっ? なんでまた。……」

「伊藤博文って好色な男でしてね、ほかにも数々の女がいた。なんか、明治天皇から注意されたそうですよ。それも稀代の処女喰いでね。ははははっ、だれかとそっくり! 男は処女がお好き」

「だれだってそうですよ」

「Mさんもそうですか?」

「むかしはそうでしたね。いまは、そうじゃなく、若奥さまに魅力を感じておりますよ」

「むかしは、二夫にまみえずといって、女は再婚しないものでしたね。たったひとりの夫に連れ添う。そういう人は少なくなりましたか」

「田中さんと話すと、いつも明治時代の話になる。……まあ、おもしろいけどね」といっている。

「――髪の毛にも肌にも色素はなく、眉も睫毛(まつげ)も、体毛と呼ばれるものすべてが白い。肌の色はミルクのごとき、べったりとした透明感のない白さである。全身、白い絵の具を塗りたくられた人形のようなのだが、……」と、ぼくはある文章を読みあげた。

「……なんだい、それは? 田中さんの小説かい?」という。

「いいや、小池眞理子さんの作品ですよ。《イノセント》という小説」

「ほう、そう。……小池眞理子? 聞いたことないな」といいながらトイレから出てくる。

「田中さんらしいな、ははははっ。……」といっている。

「ぼくには書けませんよ、こんな文章は」

「いつも書いてるくせに。……そうじゃない?」

「――体毛と呼ばれるものすべてが白い。肌の色はミルクのごとき、べったりとした透明感のない白さである、……なんて書けないですよ。この人の文章は、こういう文章でなかなかいいですね。昭和30年代から40年代にかけて、こういう文章が書ける直木賞作家はいませんでしたからね」

「彼女は直木賞をとったのかい?」

「取りましたよ。……もう20年まえになるかなあ。それ以来、ときどき読むことがありますよ」

「ところで、田中さんの書こうとする小説は、どんな傾向の小説? 松本清張のような推理ものを読んでるらしいけど、書くのは推理ものじゃないよね」

「もちろん。……まあ、翻訳ものではレイモンド・カーヴァーみたいな小説で、ヘミングウェイのような小説にあこがれます。これはあこがれているだけで、書けない」

Mさんには、2杯目のコーヒーをつくってあげた。

先日は「カプッチーノ」の話をしたんだっけ! とおもう。

「外国の小説は読まないので分からないけど、……まあ、なんとなく分かるよ。なんだっけ? キリマンジャロだっけ? ミケランジェロだっけ? あれには参ったな」とMさんはいう。彼はむかしのことをおもい出したのだ。

「きょうは田中さんと喫茶店に行きたかったんだけど、きょうはえらく天気が悪いな、いまに降ってくるぞ。……あれ? もう降ってきたかな、……」といって背伸びをして外をのぞく。外の景色がきゅうに暗くなったようだ。

「またちょっと、降ってきたようだな。……きょうは、6時ごろから降るっていってたけど、雨脚が早まったようだな」という。

「どうしようかな、困ったな」と、またいっている。

「何が困ったの?」

「きょうは、新規営業することになってて、それさえやれば、大雨が降るので、きょうは早仕舞いしていいという話なんだけど、これじゃあ、ダメだな。……営業ができない」という。

「カッパ貸そうか? Mさんにもらった読売新聞のカッパだけど」というと、

「それはいいな、貸してくれる?」というので貸してあげた。カッパのズボンを履いたところで、Sさんが姿をあらわした。「おう、ちょうどいいところに帰ってきたんだね」というと、

「危なかった。……大雨に降られるところだったよ」といって、事務所に入ってきた。

けたたましい雷鳴がとどろいた。近くに爆弾が落ちたような音がして、マンションの館内に大きく反響した。ものすごい音だった。

「降ってくるぞ! ……これからカッパ着て、仕事かい?」とSさんがいっている。

「仕事もクソもないよ。ははははっ、……こうなったら破れかぶれだ」

「こんなに慌てて、どこへ行くんだい?」とSさんがきく。

「営業ですよ、これから1本あげなくちゃ! ……参ったな」といっている。

「事務所で取ってあげようか? 会社の名義でさ」というと、

「ははははっ、そういう手があったか。そうしてくれる? たすかったよ」といって、彼はカッパを着たまま椅子にふたたび腰かけた。

「まあ、……コーヒーでもいれるかい?」

「じゃ、もう1杯もらおうかな」という。ぼくはふたり分のコーヒーをつくり、差し出した。

「きょうは参ったな」とMさんはいっている。また雷鳴がする。こんどは町のほうだ。すると、たちまち大きな雨が降ってきた。外はどこも大雨になって景色が変わった。その風景を見ているだけで、寒々しい感じがした。

「降ってきやがったか。……Sさんは、いいときに帰ってきたねぇ」とMさんがいう。

「おれは、まずいと思ったから、用事があるといって、夜勤は外して、早々にきり上げてきましたよ」Sさんは、現場で警備の仕事をしている。

「それは正解だな。……きょうは、どこまで行ったの?」

「足立区だよ。西新井のさ、……」といってたばこをぷーっと吹かしている。その顔が藤沢周平の小説に出てくる紙問屋の亭主みたいな顔になって見えた。髭(ひげ)づらで、それがある日、きれいに剃りあげて、いそいそと町に出るのである。女房は亭主の異変に気づき、ひそかに夫のあとを追う。追われているとは知らないで、女のところに出かける。

女は、身持ちの悪い浮気女で、いつの間にやら男とできてしまっている。

おなじ紙問屋の神さんで、彼女は亭主にすっかり愛想をつかしている。その女の愚痴を聞いているうちに、できてしまうという話である。

「《海鳴り》という藤沢周平の小説、おもしろいね、上巻はもうじき読み終わる」というと、

「あれは、なんていうこともない小説ですが、男女のからみがおもしろいですなあ」という。

「酔いつぶれた見知らぬ女を介抱してやって、連れ込んだところが逢引専門の宿。そこで女を楽にしてやろうと思って、男は女の帯を解く、そこがいいなあ」というと、Mさんがいっている。

「田中さんは、そういう文章を書けばいいとおもうよ。書けるとおもうよ。もっとリアルに書けるはずですよ」

「それはそうだね、ははははっ!」といって笑ったのは、Sさんだった。

藤沢周平の小説は、しっとりとくる小説で、江戸町人の気質をうまく書いている。大雨が降りつづいている。また雷鳴が鳴った。……きゅうにヨーコのことをおもい出した。この雨じゃ、ヨーコは帰れないかもしれない。

「生きていくためには、刑事訴訟法のひとつも読んでおかなくてはならない。とつぜん、ある女性に訴えられたら、Mさんなら、どうします?」というと、

「おれかい? おれはとぼけますよ」

とつぜん話題が変わった。

「とぼけたって、日本の裁判は通りませんよ。なにしろ、さっきもいったように、無実の罪で訴えられてしまうんだから」

「ふーん」

「……警察官は逮捕し、検察庁に送り、検察官は起訴するかどうか、容疑者にいろいろ尋問し、証言を取って裏づけを取る。間違いないという確信を得たら、そこで起訴に踏み切ります。そうなると裁判になります。警察官に逮捕されたからといって、起訴されるとはかぎりません。起訴するのは検察官です」

「検察官? ほう、そうなのかい」とMさん。

「そうですよ。……日本の検察官は、ひとりひとり全権を持っています。訴えるか、訴えないか、ひとりの検察官の判断で決めます。司法と行政が区分されているのは、そのためです。田中角栄は首相のまま、ロッキード事件でひとりの検察官によって起訴されました。検察庁でみんなで審議をして起訴するかどうかを決めるのではなくて、たったひとりの検察官が自分の考えだけで決めることができるんです。――これは、外国にはない制度かもしれませんね」

「起訴するのは警官かと思った」と彼はいう。

「違います。警察官は捕まえるだけです。それが彼らの仕事です。捕まえた先は、警察庁から検察庁へ書類が送られる。しかし、まれに戻されることがある。証拠が不十分の場合は、裁判には勝てないので差し戻されます。戻されると、容疑者は無罪放免となる」

「ほう、そうなのかい。検察官の仕事は、いったい何なのか、知らなかったよ」という。

「だから、検察官の心証を悪くすると、起訴されやすい。痴漢問題で起訴した結果、冤罪だと分かったとき、起訴した検察官は間違いなく左遷されますね。それでも、間違って起訴され、社会的な地位を失った被害者は、もう元にはもどれない。哀しいけれど、しかたがない。その保証も微々たるものだし、彼の人生は台無しになりますからね」

「おれはだいじょうぶだよ。……だって、電車なんかに乗らないからね」という。

「それは違うね。……街を歩いていてとつぜん痴漢で訴えられたら、どうします?」

「街を歩いていて?」

「そうです。電車内であろうと、駅のコンコースであろうと、デパート、映画館、ホテル、どこにいても痴漢に間違われる可能性がありますよ。デジカメ、鏡などを持ち歩くときは、要注意ですよ。あとで調べられてもいいように、バッグやカバンのなかは、きれいにしておくといいんじゃない?」

「それはそうだな」

「……ぼくは、このマンションに住んでいて、2階の鉄階段から降りてくる女性を仰ぎ見たとき、パンティが見えたんですよ。あのときは、ドキッとしましたね。《あなた、見たでしょ?》といわれたら、もうおしまいだからね。住人さんにはそういう悪意ある人はいませんが、《見たでしょ?》と訴えられたら、これもまた痴漢になりそうだ。見えちゃっても、痴漢といわれれば、痴漢行為になってしまいそうだな」といっている。

「パンティぐらいなら、よく見ますよ。おれなんか、巻きスカートでバイクに乗る女性とすれ違ったとき、バッチリ見えちゃって。風を切って走らせているんだから、スカートなんかめくれますよ。ちらっと見ただけだけどね、はははははっ」といっている。

「その、ちらっとがいけない! よく見えないから、バカな男は燃え上がるのさ。パンティぐらいどうということはないのに、当人にいわせれば、おじさんたちには見られたくないと思っているのか、いやらしいと思うだけで、やり過ごしてくれますがね、人の集まる場所ではかなりの要注意ですよ」

彼と話していると、いつも話が落ちてくる。

茹でた薩摩芋が、彼はもう1本食べた。コーヒーを飲んでいるので、小腹に入れるにはちょうどいいらしい。

ちょうどそこへ、8階の奥さまが、にゅーっと顔を出した。

「このあいだは、お電話いただいて、何かしら?」という。

Mさんは立ち上がると、薩摩芋を飲み込んで、あいさつしている。

「先日のぶどう、巨乳、うまかったです。それをいいたくて、……」といっている。

「はははははっ」と奥さまは笑っている。

「巨乳じゃなくて、巨峰でしょ?」とぼくがいうと、

「え? そうそう、巨峰です! おれ、何いってるんだろ。……」といって顔を赤らめた。

「巨乳でもいいわよ、……。じっさい、巨乳なんだから……」と奥さまはいっている。あぶない、あぶない、……といいながら、Mさんは、こんどはコーヒーをごくりと飲み込んだ。

「ヨーコ、帰ってきたかなあ、……」というと、

「電話してみたら?」とSさんがいう。

きょうは着付け教室に出かけているはずだとおもった。大雨のなか、自転車に乗ってラ・メゾン・ブランシュに向かっている光景を想像した。まさか! とおもったが、心配になってヨーコに電話してみた。

「はい、……」とヨーコが電話に出た。

「いたのかい? それならいい、……」というと、

「何かご用? ……」

「いや、……」

「何?」

「うん」

「だれかいるの?」

「うん」

「ははははっ、いるのね! 例の人たちが」といって電話が切れた。

よーく考えたら、さっきヨーコから電話があったのだ。冷蔵庫を開けたら、ニシンが入っているので、それで電話をしてきたのを忘れていた。マンションの奥さまからいただいたものだった。そのときにはヨーコはすでに部屋に帰っていたのだ。