■現代の生命科学。――

「世界一非凡な子」として自分がまれたことをおもう

ビル・ブライソン。1951年うまれ。

アメリカ合衆国アイオワ州デモイン出身のノンフィクション作家、随筆家。ユーモアたっぷりの旅行エッセーや、言語、科学に関する著作で知られる。2005年、ダラム大学総長に任命される。2006年、大英帝国勲章を受ける。

 

ビル・ブライソン「人類が知っていることすべての短い歴史」(上下2冊、新潮文庫)

 

 

歴史というのは、実にふしぎだ。

いまさらこんなことをいうのはおかしいけれど、ちょっと考えてみればわかる。計算尺なんかいらない。そんなむかしではなく、時間を逆行して、先祖代々の輝かしい恩義が、どれぐらいあるかを考えることができる。

いまから8世代さかのぼれば、新島襄やクラーク博士、榎本武揚が生まれたころにたどり着く。

ビル・ブライソンの「人類が知っていることすべての短い歴史」という本のなかに、「世界一非凡な分子」としての人間誕生について書かれている。

ビル・ブライソンのいうふしぎは、

「あなたの両親が契りを結んだ瞬間が少しでも――1秒でも1ナノ秒でも――ずれていたとしたら、あなたは今ここにいない」

という意味のふしぎについて書かれている。

じぶんは、そんなことは、考えたこともなかった。

だが、そういわれてみると、人類はみんな、ふしぎな生まれ方をしているということだ。両親の両親もそうなら、そのまた両親もそうなのだ。

これから生まれてくる子どもたちもそうなのだ。

じぶんの存在を支えている協力者の人数は、「およそ1兆の1000万倍におよぶ」と書かれている。もう一度いうと、じぶんの存在を支えている協力者の人数は、「およそ1兆の1000万倍におよぶ」と。

その数字について、ビル・ブライソンはこうのべている。

あきらかに計算違いをしている、と。なんだって!

それは何かというと、じぶんをささえる協力者のなかに、かつて血筋が純粋でない人と遺伝物質を取り交わしたからだといっている。

つまり、近親相姦が、想像する以上にあっただろうといっている。

だから、もしも公園で、または街の駅のなかで目に入る多くの人は、じぶんの親類である可能性が想像以上に高いだろうといっている。だから「およそ1兆の1000万倍におよぶ」というのは真実ではないといっているのである。

その本を読みながら、電車に乗っていると、向かいのシートに腰かけている20人ほどのうち、

10人ぐらいは、気味が悪いほど、じぶんの親戚みたいに見えることがある。でも、それぞれ違った顔をしている。

しかし戸籍上は、ぼくらはおたがいに他人さまだが、生物学的には奇妙に似通っているらしい。かりに、じぶんとほかのだれかと遺伝子を比較してみると、平均しておよそ99・9パーセント一致する。残りの0・1パーセントが個性を与えているというわけだ。その話は、聴いたことがある。

だからといって、0・1パーセントの差は、けっして瓜二つではない。

完全に違った個性をつくる。

この個性は、遺伝子の組み合わせの差として、個体を、または種としても形づくっているというのである。それがDNAなのだ。

かつてジョン・リーダーが「失われた環(Missing Links)」のなかで、ひかえめに述べているように、「発見時の第一印象によって、新事実にたいする先入観が築かれる」らしい。それがだんだん後になって事実と違うことがわかってくると、たとえば、DNAは、いったい物質なのか、生命なのかと考えたりする。そして、生命力のないはずの物質が、どうして生命そのものの中心になっているのか、それを理解するためにひじょうに長い時間がかかってしまった。

DNAの存在は、ぼくらがおもっているはるか前から知られていた。

1869年に早くもDNAは発見されていた。――だが、この話を書きはじめると、膨大な記事になりそうなので止めるとして、かんたんにいえば、DNAが一般に考えられているよりずっと生命とその遺伝の中心的な役割を担ってきた。そうでなければ説明のつかない結果があらわれてきたからだ。

DNAがどのようにしてタンパク質にメッセージを送るのかはわからなかったが、現在わかっている答えは、RNA(リボ核酸)である。

RNAは両親のあいだの通訳のような働きをしているといわれている。

これこそは生物学上のふしぎのひとつなのだが、DNAとタンパク質はけっしておなじ言語を話すことができない。だから、二者の通訳の働き方をしているという。

そして、いまでは、DNAや遺伝子について、かなりわかってきた。たとえば、将来生まれる子どもの遺伝病の発症確率までわかってきた。

それは男女のカップルの遺伝情報をしらべることで、筋ジストロフィーやパーキンソン病の一部など約1050の病気の発症確率がつかめるようになった。

それは一見してありがたいことのようにおもわれるが、ここで新しい問題が発生した。

しらべてほしいという利用者のニーズがあるいっぽう、新たな差別を助長する恐れもあるとして、関係学会は、検査に懸念を示す声明を検討しはじめているというのである(これは、2017年5月21日付「読売新聞」にも書かれていた)。

将来の子どもの遺伝病検査は、日本国内の企業計画のなかに位置づけられてしまうと、人間差別に結びつくという考えが出てきた。

その説明によれば、劣性遺伝子で病気が発症する仕組みが描かれているが、たとえば、両親の両方から子に受け継がれる遺伝子が優性と劣性の組み合わせでは発症しないけれど、2つとも劣性だと、表われるタイプの病気を「劣性遺伝病」といわれ、だれもが何らかの病気の劣性遺伝子をひとつ以上は持っている。

これを「保因者」といっているのだが、このサービスを提供することを計画しているのは、民間のジェネシヘルスケア社(東京)という企業で、提携する米企業の検査サービスを日本でもおこなおうという取り組みである。

同社では、遺伝病などについてくわしく説明する遺伝カウンセリングも、同時に実施する計画であるといっていた。

検査の対象は、劣性遺伝子が2つそろって発症する遺伝病である。

この種の検査は、米では年間50万件の需要があるとみられ、おなじ方法で日本人の遺伝子が解析できるかを検証するプランが進行している。

同社では、「検査の情報は、よりよい人生設計や安心につながる」として、このサービスを前向きに検討しているといっている。

さて、ここまではいいとして、検査で子どもが将来、病気を発症する可能性があるとされている人が結婚や出産をあきらめたり、リストにあがった遺伝病の当事者や家族への差別につながったりする恐れもとうぜん指摘されている。

米国では「遺伝子差別禁止法」が成立し、特定の遺伝子を理由に、保険や雇用で差別的なあつかいをすることが禁じられている。しかし、日本にはこういう法的規制はない。

日本人類遺伝学会の前理事長の福嶋義光・信州大特任教授は、

「議論が不十分なまま、だれでも受けられるビジネスとして広がると、健康な人の不安をあおりかねない。完璧な赤ちゃんを求める風潮を助長する懸念もある」と話している。それは、あってはならない、おぞましいことである。遺伝子をめぐる法的規制が整備されることを願うばかりである。――きょうは、そんなことを考えた。