の上の原で

      
 

 

人生は、よく1冊の本にたとえられる。

イギリスの詩人ジョン・クレア(John Clare 1793~1864年)は過去を悔いる気持ちを、「人生に第2版があれば校正したい」と書いている。「人生の1ページ」という慣用句もある。いろいろ耳慣れたいいまわしがあるが、さいきん特にそうおもうことがある。

たしかに胸に深く刻まれたできごとは、本にはさまった栞(しおり)のようなものかもしれない。――子供時代、卒業、初恋、仕事、結婚、病気、……人生の過去を顧みるたびに、それらのページが、ときおり意地悪く、唐突に開かれる。

おりにつけ、ふっとおもい出される。

きょうは、午前中にさっさと仕事を済ませ、それから散歩をし、もどると、エリザベス・ギルバートの小説「巡礼者たち」(岩本正恵訳、新潮文庫、2005年)という本を読み返した。ここには15歳の少年が描かれている。

自分の15歳のときは、どうだっただろうとおもうことがある。

ぼくの中学生のころだ。よくおぼえていないが、ぼんやりとした風景のなかで、同級の男たちの顔がおもい浮かんでくる。それぞれおもしろい顔をしていて、猫に似ていたり、馬に似ていたりして、とっても大人ぶったオランダのアーティストみたいにおもえる。

ひとりはのっぽで痩せていて、「線香の8つ割り」なんていうアザナをつけられていたっけ。ひとりは野球のうまい生徒だった。そのТくんは、ちょっと太っちょで、中学を卒業する寸前になって猛烈に勉強し、高校受験を成功させた。

もうひとつ、きまった女の子といつも手をつないでいる男子生徒がいた。やわら市街にある呉服店の長男坊で、Kくんといった。彼はマスクもよくて、紳士で、同級生のきまった女の子といつもいっしょだった。きっとふたりは結婚するだろうとおもった。

だが、ふたりはその後どうなったか、わからなくなった。

もうひとりは、ぼくの家のそばにいたFくんで、彼はいつも近所の女の子たちに囲まれていた。

ぼくらの家はやわらの三谷区にあり、北海道の大地を西に向かって、留萌、増毛方面にいたる全長27キロにおよぶ三谷街道に住んでいた。

ぼくらのまわりには、女の子ばかりで、男の子はぼくらふたりだけ。

泳ぎに行くときも、どこかに遊びに行くときも、女の子たちといっしょに出かけた。Fくんとぼくは、6、7人の女の子たちといっしょに遊んでいた。

何が楽しいといって、これといって楽しいことはなかったが、みんなで楽しいことを見つけようとして、あちこち出歩いていた。

恵岱別川を越えた山の崖っぷちに行き、秋には山ぶどうを食べたりして楽しんだ。崖の上には、一本の道があって、そこは草原だった。白樺やブナの木がたくさんはえていて、道の奥に一軒の古びた家があった。家はオランダのダッチコロニーの納屋のようなかたちをしていて、いつもだれかが煮炊きをしていた。煙突から白い煙が立ちのぼっていた。

玄関の向かいに、薪をたくさん積んだ一角があって、あたりは草でぼうぼうだった。

だれかがそこで、木挽台(こびきだい)の上に丸太を積んで、のこぎりでごしごしとやっていた。いつも麦わら帽をかぶっていたので、だれかはわからない。おそらく家主の男だったかもしれない。

ひょっとすると違ったかもしれない。家主に雇われていた出稼ぎの男だったかもしれない。

その近くには畑があって、とうもろこしがたくさん植えられていた。インゲンマメやトマトもなっていたが、田んぼはなかった。その家は何をして食べているのか、ぼくらにはわからない。

ただ、年ごろの娘さんがひとりいた。

男は、手を休めると腰を伸ばし、ぼくらのほうをじろっと見つめていた。

そのうちに、男は近くのドラム缶の下に潜り込んで、火を炊いた。ドラム缶は彼らの風呂だった。

ぼくらは、男のすることに興味を失うと、山ぶどう採りを愉しんだ。

みんなてんでんばらばらになって、ぶどう採りをしていると、家から娘さんが出てきた。

ドラム缶の下で何かやってから、薪(まき)を数本運び、ドラム缶のそばに置いた。半ズボンからはみ出している脚が長く、ぼくらのほうをちらっとながめてから、また家に入った。

強烈な西日がぼくらの顔を赤く染め、それがだんだん沈んでいき、あたりが暮色の色に染まると、西の空の上のほうに、真っ赤な雲が浮かんでいるのが見えた。

ぼくらが顔をそろえたころは、みんなの口元が真っ赤になっていた。

女の子たちは、唇が赤くなったので、なんだかご機嫌になり、何かいい合っていた。Fくんとぼくは、ドラム缶に興味を持ち、もうじき日が暮れると、きっと女の人が風呂に入るぞ! といって、ふたりだけ草むらで待つことにした。

女の子たちは、しばらくぐずぐずしていたが、「さよなら」をいって、帰っていった。

それから1時間くらいたったろうか、いや、もっと早かったかもしれない。

娘さんが原っぱにやってきて、バケツの水を捨て、それから、ドラム缶のなかに腕を突っ込んで、湯をかき混ぜていた。

そして、着ていたガウンみたいなものを脱ぐと、素っ裸になって、ドラム缶によじ登った。20歳くらいの女の人に見えた。彼女はしずかに湯に浸かり、首だけ出して、西日で染まっている残照のほうに目をやったりした。ぼくらの気配には、気づかないふうだった。

Fくんは、ちょっと動きだした。

「行くな!」と、ぼくは声をかけた。なんだか悪いことをしているとおもい、もう帰ろうよ、といった。

「顔を見たいよ」と彼はいった。

「やめろよ。……」

ドラム缶のそばに、白いニワトリがやってきた。

彼女は、手をおろして、ニワトリを呼んでいた。このニワトリは一羽しかいない。やつはめんどりだった。やつは地面を細い脚で引っ掻いて、嘴(くちばし)で何か突っついていた。彼女はまた呼んでいた。とうとう彼女の長い腕でニワトリがつかまった。

ぼくらは、彼女がやつをどうするか、見ていた。

ニワトリを抱えると、彼女はそいつを湯船のなかに浸した。たぶん浸したのだろう。こっちからは、彼女の背中が見えるだけで、よくわからなかった。

「おい! たまげたよ。ニワトリを風呂に入れたよ」と、Fくんはいった。

「おれも見たぜ。……どうする気だ?」

ぼくらの好奇心は、西日の残照のなかで、ますますつのった。

そして、しばらくしてから、彼女はニワトリをポーンと放り投げた。やつは、ぐったりして、草むらの上で身動きしなかった。

しばらくして彼女は、石鹸をつけたタオルでからだをごしごしやっていた。それが終わると、タオルをポーンと投げた。彼女は立ち上がると、ドラム缶を跨いで湯から出た。そして、こっちをじろっと見た。

彼女の口元が真っ赤になっていた。

「あれは、血だよ」と、Fくんはいった。ニワトリの首を噛み切ったに違いない、とぼくはおもった。

――ぼくは遠いむかしの出来事を、ひとつひとつおもい出していた。

まるで、スティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」の世界だった。夢なのか、現実なのか、ぼくにはもうわからない。そんなことがあったなんて、いまも信じられない。真っ白な彼女の裸体が、崖の上の草原の西日とともに、ぼんやりとおもい出されてくるのだ。