プリング・ォーター」

 

雨が降ったり、雪が降ったりしてだんだん季節が移っていく。

Spring――という語がある。これを「春」という意味で使っているけれど、古代英語では「はねる、おどる、はじく」という意味だけだった。

春になれば重い雪の下から草木が芽吹き、飛び跳ねるようにして顔を出す。

――まあ、そういったイメージだろうか。「飛びはねる」が季節の「春」を意味するようになったわけである。

北海道の雪の下からフキノトウが顔をのぞかせる季節といえばいいだろうか。

いつの間にやらそんな季節も通り過ぎて、いまは5月。

国語学者の高島俊男さんじゃないけれど、シリーズ「お言葉ですが……」の第5巻は「漢字の慣用音って何だろう?」というわけ。

この方が漢字の慣用音について何もしゃべらないはずはない、とずーっと思っていた。

できょうは、ちょっと聞きなれない日本語の「慣用音」につして、じぶんの考えを少し書いてみたいのだけれど、まだ頭の中で整理ができていない。

――というのも、じぶんは足掛け2年まえに、「冨士大石寺顕正会」の信者になっている。ここはすごいところで、日曜勤行(ごんぎょう)を徹底的に指導している。それも遥拝(ようはい)勤行である。 

初代会長の淺井昭衛先生の筆になる指導書が全4巻と充実していて、ぼくは田中のり子副長の指導を受けて現在に至っている。

ぼくは80代、彼女は60代の方で、この方はご自分でもいっているのだが、中学卒の方で、みなさんのように高学歴の教育を受けていないといっている。先日、そういうことは、いわないほうがいいと、ご忠告申し上げた。

「わたしは、淺井昭衛先生のおかげで、ことばをいろいろ覚えました」という。そのため、文中に出てくる呉音、漢音、唐音、おまけに「慣用音」まですらすら音読できるのだ。これにはびっくり! というか、ほとんど腰を抜かす。

二葉亭餓鬼録

洗心。――「心洗われる」とはどういう意味? 穢れた部分が洗い落とされ、心が綺麗になる。 そのような感じを受けること。 浄化(カタルシス)。

 

 

Spring――という語は、「春」という意味でも使っているけれど、hot springといえば「温泉」で、spring waterといえば「わき水」である。わき水は、季語がとうぜん春。

東京帝大の教師チェンバレンは、著書「日本事物誌」に、小春日和のことをリトル・スプリングと紹介した。「リトル・スプリングはインディアン・サマーの日本名であり、十一月と十二月の、うららかな数週間をいう。空はいつも青く、あくまで澄んで……」と。

北米ではおおむね好天がつづいていることを、さいきんは、米連邦会議の中間選挙に引っ掛けて、政情はこんにちの青空のように澄んではいないと誰かがメディアに語っていた。

 

  わき水のつめたき手を乳房に当て   貞子

  スプリングといふ季節をたぐり寄せ   貞子

 

このスプリングという語は1音節である。ウェブサイト上の辞典に「親の七光り」のことを「セブンライト」と書いてあったそうだ。

そんなバカな!

けれども多くの日本人は、「親のセブンライト」といったら、おかしいにきまっている! というであろう。多くの日本人は、「スプリング」を日本語で「ス・プ・リ・ン・グ」といっている。

springを欧米人のように1音節で発音しようとしても、なかなかうまくできない。けれども、欧米人のマネをして「スプリング」と発音している。そして、いまでは春のかわりに、日本語で「スプリング」と音写する。

音写はいまはじまったわけではない。遠いむかしから日本人は音写してことばを自分のものにしてきた。その多くは古代中国の漢語である。古代といっても、多くは髄、唐の時代の漢語を取り入れた。

 

 

 

 

とくに六朝時代から取り入れてきた。西暦でいえば3世紀のはじめごろからだろうか。一説によれば、非公式に「法華経」が日本に入ってきたのは2世紀ごろといわれている。

「法華経」は顕教(けんぎょう)なので、中心は呉音の呉語で読まれる。

そのころでさえ、漢語は大きな変化の途上にあって、いろいろな時代に意味も発音も違って伝わっていった。日本語として定着したときでさえ、「行」という漢語は「こう」というけれど、唐語では「ぎょう」といい、宋語・呉語では「あん」といっている。行脚(あんぎゃ)、行燈(あんどん)の「あん」である。

例外もあるけれど、だいたい漢語、唐語、宋語の3つが代表的な漢字である。

あとで触れる高島俊男さんのばあいは、ちょっと違って、「呉音、漢音、唐音、慣用音」に分けられている。

始皇帝の文字の統一があってから、漢字の変化は1800年もの長い時間をかけて、ゆっくりゆっくりと変遷していった。人間の一生のうち、これらの変化に気づくほど速く変化しなかったので、だれも気付かないうちに、時代の大きなうねりに乗って、大きく変化した。

若いころじぶんは剣道をやった。剣道は努力と忍耐力、まあ、集中力と決断力を養うのも重要だが、相手を敬い、礼儀を 重んじるという基本的な教えがある。

外国人が剣道を習うとき、同時に日本語も習う。なぜなら、日本語の中にその基本的な語がたくさんあって、日本語にしかない語義を理解しなければ、剣道がわからないからである。

中国大陸はひろい。

そしてその歴史は雄大で、漢字の興りもまた悠然たる趣きがあっておもしろい。

ぼくは若いころは、すこし篆書(てんしょ)を勉強していた。のちに、篆刻をなさる藤井洋武さんの影響もあったかもしれない。篆書のあとに、草書、行書が生まれ、最後に楷書ができた。

日本もおなじである。

江戸時代には町人が草書で書かれた文章はすらすら読めた。

ところが、楷書はむずかしくて、だれもまったく読めなかった。なぜなら、楷書はずーっとあとになって生まれたからである。

そのあたりの事情は、日本も中国もおなじだ。

 

昭和50年ごろの自分

昭和52年(1977年)ごろのじぶん、35歳 。エディターとして新聞各紙の取材や、各社の婦人雑誌の編集や付録等の編集をし、田中清二の筆名で多くの記事を発表した。 

 

 

少し専門的にいえば、平安町時代の日本人が勉強した漢語は、ほとんど中古漢語といわれ、それ以前の上古漢語の歴史を踏まえたものだった。つまり前漢時代の語と、後漢以降の語とにわかれる、といわれている。中古漢語こそ、重要な決め手になり、書をやる方は、この時代の勉強をしている。

それはさておき、日本語というのは、欧米のことばとくらべると、「開音節語」といっていい。口をひらいてことばを発する。――それは、欧米人もおなじではないか、といわれそうだ。その母音のまえにひとつの子音があるので、音として発音される。かんたんにいえば、音節が母音で終わる場合は開音節、尾子音で終わる場合は閉音節と考えればいい。

ところが、欧米人は、さっきのspringの例でいうと、たったの1音節で発音するのだ。1音節でspringと発音することができれば、欧米人なみといえる。日本語の音節は、かならず母音でおわる。その中間というのがない。

ただし、「読んだ」の「ん」は、撥音(はつおん)といって、音節ではない。同様に「買った」の「っ」も、厳密にいうと音ではない。

中国語の漢字をつくった人の名前が伝わっている。蒼頡(そうけつ)という人で、彼は地面を見て、鳥の足跡を見つめただけで、鳥の種類を特定できたという。だったら、鳥にも名前をつけようと考えたのである。

それが、漢字誕生の動機だったといわれている。

そうはいっても、中国の漢語は日本語よりはるかに多い。もう使われなくなった語もあり、死語もかなりの量にのぼるといわれている。それらを覚えようとしても、人間の一生はずっと短い。一生涯かけても覚えることが困難なほどある。

だから、むかしの科挙という官吏登用試験には、そういう問題は出なかったといわれている。

日本人は、中国から多くのことばを取り入れたけれど、それでも間に合わない語があった。漢語、唐語、宋語、呉語のほかに、国字というのがある。

これは日本で生まれた漢字である。日本人が考えた有名なことばは、「保険」である。これはinsuranceの訳語なのだけれど、安全、だいじょうぶ、まちがいない、といった意味で取り入れている。

これが中国に逆輸入されて、現在使われている。

明治時代には大量の翻訳語が誕生し、戦前までさかんに訳された。

あげればきりがない。――関数、幾何、洗礼、覇権、白金、白旗、白熱、版画、半径、半旗、飽和、保険、保証、背景、本質、変圧器、弁護士、弁証法、表象、冷蔵、例会、列車、波長、舶来品、福音、不動産、黙示、労働、理論、理念、領土、理事、理性、理智、力学、倫理学など、……。中国語の傑作は、コカコーラを「可口可楽」といったことだろうか。

ことばのルーツは、もうわからなくなった語がたくさんあるといわれている。

おもしろいのは、会社は中国では「公司」、株式は「股份」、議長は「主席」、蹴球は「足球」、鉄道は「鉄路」、汽車は「火車」、自動車は「汽車」と書く。

――漢字の話が、つい脱線してしまったけれど、高島俊男氏の「漢字と日本人」(文春新書、平成14年)その他、高島俊男氏の本をいろいろ読んでいて、すごく参考になった。この方はたいへんな読書家らしく、以前「水滸伝と日本人」、「三国志 きらめく群像」、「本が好き 悪口言うのはもっと好き」などを読んで、たいへん勉強になった。さいきんは「お言葉ですが……」シリーズを4冊ほど読んでいる。

さて、そろそろ夏。……きのうは雨が降って、大宮の顕彰会の会場を出たとき、もう「夏の雨」という印象をもった。カサを指して、3人でおしゃべりしながら歩くそのときの雨の匂いは、植物の匂いに変化していた。「顕正会」が誕生した8月3日のその日、おさな馴染の小松茂樹さんを誘ってちょっと遠出をして、千葉県の北海道北竜町の産みの親のふるさとを訪れてみたいとおもっている。