■接ぎ木された文学。――

アリス・ンローの「檎の木の下で」を読みながら……。

暮れゆく伊香保温泉

 

昨日、草加でおこなわれた俊青会恒例の食事会に出席して、ぼくは、主催者のT画伯のそばでT画伯の話をじっと聞いていた。「その母親もまたけっこうな事業家で、北緯43度線の寒い北海道で、紫蘇(しそ)栽培に乗り出して成功するんでしょう? 北竜町だっけ?」

「ええ、北竜町です。そのころはまだ北竜村でした」とぼくはいった。

先日からT画伯の脳裏には、ぼくの小説のプランの話がまだつづいているようだった。

「フジコ女史のプランですよ。あれは素晴らしかった! 彼女の話を聴いて、たちまちぼくは感動してしまったんですよ」といった。涙が溢れてきた。そういうわけで、ぼくは自分のプランを大きく変えたのだった。すると、先日亡くなったアリス・マンローの「林檎の木の下で」という小説の情景が目の前にひろがった。

先年の秋、ぼくは栃木県の沼田や伊香保(いかほ)温泉をめぐるバスに乗りこんで、遊覧していた。空気のいいこと! 

いちばん前の席にひとり陣取って、パソコンで文章を打ち込んでいた。

やがて、透徹した眼差しで、じぶんらの血族を描くアリス・マンローの「林檎の木の下で」の文章に似てきたとおもった。

スコットランドの寒村から新大陸へとやってくる、3世紀におよぶ時を描く壮大な物語だ。アリス・マンロー渾身(こんしん)の作。原題は「The View from Castle Rock(キャッスル・ロックからの眺め)」といい、そのタイトルが付された物語も本文に収録されている。

 

 アリス・マンロー「林檎の木の下で」。新潮クレストブックス、2007年

 

この小説は、ぼくはすでに読んでいる。ちょうど、北海道の「北竜町をつくった人びと」という記事を書いていたときを前後して読んでいる。たぶん、この歴史ある小説を読んで、ぼくは自分の生地、北海道のことをおもったのである。

アリス・マンロー自身の持っているビューアーに写る風景は、途方もなく大きくて、巨大な一本の老木のように見える。

彼女は、ほかの作家が描く、現在、北米で起こっている政治や思想、権力、金や歴史といった物語には見向きもせず、ただ自分の信じるルーツを大事にして、こつこつと自分の境地を切り開いていった作家である。

ぼくは彼女の本をたいして読んでいないが、どれを読んでも、「ひとつの一本の木を描いているな」という印象を持つ。

この小説は、一族に流れるスコットランド系の血筋をたどり、自分の人生を振り返るという物語になっている。このような切り口で語る物語は、彼女の作品にはとても多い。

けれども、彼女の語る物語は、ただ一点、自分の視覚を通して眺められるシーンを克明に描くことに心血をそそぐ。カナダの作家で最もノーベル賞に近い短編の名手といわれ、この本に収録されているどの物語も、自伝的だが、やっぱり彼女はノーベル文学賞にふさわしい作家で、2013年に受賞した。

――と、ここまで書いて、ぼくは以前、マンローのこの本について、すでに何か書いたような気がした。書かないはずはないのだ。

そうおもいながら、バスの車窓を走る風景をちらっと見ながら、ふたたび本の世界に目を転じる。ああ、もしかしたら、マンローの「イラクサ」について書いたのだろうか、とおもい直す。

ぼくは読む予定の本を、いつも用意しておき、必要に応じて、あるいは寝しなに、ふとんの中でひっくり返って読むクセがあり、いつの間にか途中で眠り込んでしまう。そうして読む本がたくさんある。ときどき付箋をつけて、何かの目印にしているのだが、一ヶ月もたつと、その目印がどういうものか、もう忘れてしまっている。それでも日々、おなじことを繰り返している。

ぬしの忘れてしまった目印が、いっぱいついている。

そのひとつが、「生砂(グリーン・サンド)」ということばと、「緑の砂(グリーン・サンド)」ということばである。

「まだきれいになっていないんだ。あれをホイールアブレーターという機械にかけるんだよ。風が吹きつけて出っ張りをぜんぶとってしまうんだ」

つぎは、大量の黒い粉末、というか黒い細かい砂だ。

「石炭の粉みたいに見えるけどな、なんて呼ばれるかわかるか? 生砂(グリーン・サンド)っていうんだ」

「緑の砂(グリーン・サンド)?」

「鋳型に使うんだ。砂に結合剤を加えてあるんだよ、粘土みたいにな。アニマ油を使うこともある。だけどこんなこと、面白いか?」

わたしは面白いと答えた。――という部分だ。Green Sandという語は、きらきらしたリゾートビーチを連想する。

この部分は、たぶん創作ではないだろうとおもう。マンロー自身が子供のころ、じっさいに父とこのような会話を交わしたのだろうとおもう。こんな他愛もない話ながら、イメージが立ち昇ってくる。こういう文章が書けるというのは彼女の特技である。何も飾らない。何もつけ加えない。生(グリーン)のままの光景である。

 

「The View from Castle Rock」原文も素敵だ

 

ところで、このGreen Sandという地質学の専門用語のことだけれど、ぼくがこれまで本を読んできて、そのことばにたびたびお目にかかっている。

なぜか大文字でつづられる。たいがいは恐竜にかんする本のなかで出会っている。たとえばデニス・ディーンの「ギオン・マンテル伝 恐竜を発見した男」(河出書房、2000年)とか、エドウィン・コルバートの「恐竜の発見」(早河書房、2005年)という本のなかで、よくお目にかかっている。

地質学的には「緑色砂岩」とか「緑色砂岩層」とか訳されていて、なかでも、最も読まれているジョン・ウィルフォードの「恐竜の森」(河出書房新社、1987年)は、ピューリッツア賞に輝いた。

1822年、イギリスのマンテル夫妻が発見した先史時代のふしぎな歯の化石。トカゲに似ているが、それよりもずっと巨大な歯、それが世界ではじめて発見された恐竜の化石なのだ。人類が恐竜の骨に出会ってまだ200年足らずなのだ。記事には書かないが、ぼくは恐竜には、縄文文化とおなじくらい興味を持って、いろいろ読んでいる。

 

秋、静かに深まるとき

 

それから、もうひとつおもい出すのは、世界でいちばん短い短編を書いたグアテマラのアウグスト・モンテローソという作家の「恐竜」という作品である。

「彼が目を覚ましたとき、恐竜はまだあそこにいた。(Cuando despertó, el dinosaurio todavía estaba allí.)」

たったこれだけの一行の作品である。簡潔で奇抜で、おとぎ話のような世界で、時間的な視点が奇抜なのだ。「彼」というのはだれだろう? もしも自分だったら、とおもうとドキッとする。

 

 

ミックスリスト - Saddest Song Ever, Barber's Adagio, Theme from Platoon, Andrzej Kucybała conductor.

 

――TVもなければ、月へ行くロケットもなく、避妊のピルもない。鎮静剤も、ポケットに入る電卓も、パソコンも、核ミサイルだってなかった時代。――そのころのぼくの記憶には、蒸気機関車とおとぎ話があっただけ。

子守りのスーちゃん(ナターシャ)に泣きついて、おっぱいで目のなかのゴミを流してくれ! って頼んだ変なおもい出が甦ってくる。

スーちゃんはまだ子どもだったので、母のようにおっぱいは少しも出なくて、ぼくは残念におもったものだ。――記憶の連鎖。それが因果の連鎖となり、ふしぎにも記憶はひとかたまりにならず、ぜんぶDNAの塩基配列みたいにつながっているのが分かった。その気になれば、いつだって引き綱みたいに、芋づる式に手の中にたぐり寄せることができそうなのだ。それがぼくの記憶だ。

マンローは、カナダの一地方を舞台にした数々の作品を発表しつづけ、アメリカの「ニューヨーカー」にも作品が掲載されて、国外でも高く評価されているそうだ。やがて全米批評家協会賞をはじめW・H・スミス賞、ペン・マラマッド賞、オー・ヘンリー賞など多くの文芸賞を受賞し、2005年には、「タイム」誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれている。2009年に国際ブッカー賞を受賞。たいへんな作品である。

ときどき、彼女の本を事務所にもってきて、漫然とページを開く。心地よい文章が並んでいる。

仕事で頭がしびれているときなど、あるいは、だれかにむかしの話をつづるとき、だれかの声を想い出したいときなどに、この本を広げると、たまらない癒しになる。 ぼくにとって、記憶の再生にはもってこいの本なのだ。

 

――イカホ(伊香保)とは、アイヌ語のイカボップ(たぎる湯)の意味があり、湯川(ユカワ)とも、イイカオ(好い顔)たいへん景色のいいことという意味があるなど、いま諸説が伝えられ、町の中心にある石段街は、天正4年(420年前)に形成されたと伝えられているそうだ。

江戸時代には、瀧澤馬琴や多くの文人がおとずれたという。徳富蘆花の「不如帰(ほととぎす)」の舞台となったことで《伊香保温泉》という名が全国に知られるようになったとか。ぼくは、下から数えて94段目にある旅亭の温泉風呂に浸かった。目の前に、静かに温泉水が流れる《湯滝》がながめられた。