■D・H・ロレンス文学の軌跡。――

悲劇の縛から抜け出して、生のびを謳う 7

 

若いころの情熱はひと口にいって向う見ずな情熱で、自分がなんたるかを何も知らないころに抱くあこがれであろう。だからといって、ぼくはあこがれを蔑視したりしない。大切なもののように自分の感受性を磨くささえにしてきたとおもう。

だが、よく考えてみれば、自分のばあい、それは親の希望にまみれてしまった親の期待感だけだったかもしれない。

たとえば、D・H・ロレンスの立ち位置というような話は、よく人から聴いたり、みずからも話したりしているが、ロレンス文学を理解するために、苦労して読み取ろうとする彼の立ち位置は、――というより、彼の作品のなかでいおうとしているテーマは、――どういうものであったか、しばしば論議されているところである。

 

D・H・ロレンス

 

先日もまた、28歳の青年とおしゃべりしていて、ぼくは文明から投げ出された人間という話をした。「文明から投げ出された人間て、どういうことですか?」と彼はきいた。そこでぼくは、ある文章を読みあげた。

「――読者よ、あなたもわたしも、わたしたちみんな死体として生まれ、いまも死体なのです。完全な林檎(りんご)でもそれを知った人が、果たしてわたしたちのうちにひとりでもいただろうか?」と、D・H・ロレンスはいった。

自分がそれを読み上げながら、ぎょっとするような文章だとおもった。

「――なぜなら、わたしたちがものに触れ、かつ触れることによって知る触覚である本能と直観が、バラバラに切断されてしまって、もはや死んでいるからです。わたしたちは経帷子に何百年とくるまったまま歩み、語り、食べ、わらい、排泄しているのです」

この言葉は、ロレンス画集の「序文」に書かれている。D・H・ロレンスの目に写った現代の状況をよくいい表している。

ロレンスはかつての文明から投げ出された現代人ということを、切に説いた作家であった。プルーストは失われた時を回復しようとしたように、Т・S・エリオットは、古代遺跡の破片をこころをこめて整理しようとした。

ただそれだけだったが、ロレンスは、これまでの人間の歴史観に反逆し、歴史のなかに投げ出された痛々しいまでの裸の人間を描こうとした。そこには生きた現代人はもはや存在しない、そういっている。

現代人は、そういう特殊な歴史の一時期における文明の状態から生まれてはいないといったのである。

 

 

 

これは大きなテーマである。いまさらながら、ぼくの胸に迫ってくる言葉である。そのことに気づいたのは、ごくさいきんのことである。だがぼくは、これをよく理解してもらうことができないでいる。

「文明ですか?」とくる。

文明というからわからなくなる。人類が営々と築いてきたもの。――それは、あるときは、Т・S・エリオットが集めて整理しようとした遺跡の破片たちであるかもしれない。断片は命ではない。人もまたおなじで、指や手や肢や、それらバラバラなものは、もはや人間の単なる断片にすぎない。

「肉体」というとき、五体満足でなくても、そのなかには本能もあれば欲望もあり、子孫をつくる能力を持っている。肉体は生きていて、人の断片ではけっしてあり得ない。知性という芽生えは、その肉体のなかにしか存在しない。

ロレンスはそういっているのであろう。

ある人は、彼のことを説教師と呼んだ。まるで説教師のようなことを語るからである。ほんとうのことをいえば、文明はわれわれ自身の生である。しかも、われわれの生は単なる知的なものにとどまらないだろう。ましてそれは、われわれ自身について頭のなかでつくられた概念でしかない。

20世紀は、戦争の世紀であると同時に、このことについて触れた最初の文学の世紀でもあり、破壊と建設を繰り返す病魔にみちた世紀でもあり、映像と新しいメディア誕生の世紀でもあった。

だが、映像とメディアにほんとうの人間の生が描かれたといえるのだろうか?

本来の人間性が、言論という息吹きのもとで、ふたたびわれわれ自身によって蹂躙されようとしていたとき、ロレンスは黙っていなかったのである。

彼が24歳のときに、母親が死んだ。

5人兄弟のいちばん末っ子だったロレンスは、母に強く愛され、母の愛は口移しで伝授されていった。

ロレンスは母の期待に応えようとして、幼いころから母の教えを受けつづけた。母親は、自分のかなえられなかったあこがれを、すべて息子に託し、――ディヴィッド・ハーバート、愛称「バーティ」に、――測り知れないほど自分のおもいを投射していった。息子の天性にひそむ限りない優しさ、感じやすさ、憐み深さを息子の内部に醸成させた。

その結果ロレンスは、あまりにも激しく伝授されていくので、彼は母の呪縛から抜け出そうともがいた。

しかし、1910年、母親の死は、ロレンスにとって甚大な衝撃となった。あやういところで、彼自身も命を落とすところだった。彼の病いは、結核性肺炎だった。彼は母親から逃げ出したくなり、そして母親が早く死んでくれ! とおもうようになった。これは、母が死にぎわに、息子がわが子として、いっしょに死んでくれるように願っていることを感じ取ったからだった。

それほど、彼は母に激しく愛されていた。

――この経験をとおして、のちにロレンスは「息子と恋人」という小説を書いたのだった。この「息子と恋人」というタイトルだが、オリジナル・タイトルは「Sons and Lovers」となっていて、複数形なので、「息子たちと恋人たち」とも訳せるが、しかし、ほんとうはそういう意味ではない。

これは二意一語の「息子であって、同時に恋人でもある」という、重なったイメージをもつタイトルなのである。

小説を読むとそれがわかる。

またこれは、彼のいいたかったテーマでもある。これは日本語に訳しにくく、タイトルに書かれているように、自分は母の息子であり、母の恋人でもあるという意味なのである。――これは、豊麗にあふれ出る絶望しない一個の断絶と、その解放へと向かう血の流れでもあった。

母は一生猛烈な敵意をもって父と闘った。

父はふだんは敵意をもたなかったが、ひとたび挑発されると彼もまた悪魔のようになった。しかし、喧嘩の売りはいつも母であった。母は、父が生きているということさえくやしがっているようだった。父に対する彼女自身の愛をくやしがって憎み、父の生まれながらの魅力に反抗して執念深く闘った。

 

母は大きな愛をわたしに注いだ。しかもまたわたしを軽蔑した。わたしは父に対する彼女の愛――あるいは父との不幸な結婚――が、彼女に押しつけたくだらない餓鬼どものひとりだった。彼女はわたしをやさしく愛した。そしてわたしにとって、むろん彼女はこの世でただひとりの人だった。しかし、長い年月をへだてた今考えてみると、彼女はわたしがやがて死ぬものと決めていて、そのことが彼女にはとても気になっていたようである。

(以上、D・H・ロレンスの書いたシンシナティ大学図書館所蔵の未刊の「文書」より。深瀬基寛の「ロレンス論」参照。昭和31年版)

 

――この文書は、ロレンスが亡くなる4年前の回想として書かれたものである。のちに、長編「虹」という小説にも描かれる。その「虹」について、彼がエドワード・ガーネットに送った手紙、――そのなかに、「結婚指輪」と題された作品が同封されていて、それにはつぎのように書かれている。

 

あなたはわたしの小説のなかに、人物の古い、安定したエゴを求めてはいけません。また別のエゴがあるのです。そしてこの活動により、個体というものは認めがたいものであり、いわばいくつかの同系体の状態をとおり抜けてゆく。この状態を発見するのに、わたしたちが馴れきっている感覚よりも、もっと深い感覚が必要です。それは根本的に変化しない同一の要素の呈するさまざまな状態なのです。

以上、D・H・ロレンスの書いたシンシナティ大学図書館所蔵の未刊の「文書」より

 

また、「恋する女たち」のなかで、バーキンはアーシュラに向かってこんなことをいわせている。

 

……最後の最後において、人は愛の影響のおよばないところで孤独です。愛を超え、どんな情緒的関係を超えた真の非個性的なわたしというものがあります。あなたの場合もおなじです。でもわたしたちは、愛が根っこになっているという妄想を描きたがります。それは、素裸の孤立、孤立したわたしたちであって、他のものと出会って混ざり合うことなんか、けっしてできないものなのです。

D・H・ロレンス「恋する女たち」より

 

性の関係においても同様である。そこに生まれる結果は、三重である。第一は、純粋な感覚と真実の電気の発する閃光。つぎに、どちらかの側でも血のまったく新しい状態が生まれる。さらにつづいて解放が起きる。

D・H・ロレンス「無意識の幻想曲」より

 

その流れで「チャタレイ夫人の恋人」を読むと、よくわかる。

その第1章の冒頭にはこう書かれている。

 

現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受け入れたがらないのである。大災害はすでに襲来した。われわれは廃墟の真っただ中にあって、新しいささやかな生息地をつくり、新しいささやかな希望をいだこうとしている。それはかなり困難な仕事である。未来に向かってすすむなだらかな道はひとつもない。しかし、われわれは遠まわりをしたり、障害物をのり越えて這いあがったりする。いかなる災害がふたりにふりかかろうと、われわれは生きなければならないのだ。

D・H・ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」より

 

そのずっと先に、ロレンスの詩「ぼくは吹き抜ける風だ」がたたずんでいるのである。

ふたたび、D・H・ロレンスの画集を見た。

これまでは、ロレンスの小説を中心に彼の生き方をずっと追ってきた。おもに、野島秀勝の「迷宮の女たち」(ТBSブリタニカ、1981年)に所収されている「罪なきイヴ」に描かれているロレンスとフリーダをめぐる愛情あふれるぶつかり合いは、もうひとつの物語だとおもった。

ぼくは野島秀勝の本と、西村孝次の「ロレンス像」に多くのことを学んだ。

学生時代からロレンスを読んできた。ロレンス評伝は他にもいろいろと書かれているが、西村孝次のロレンスの「人と生涯」は、とても参考になる。彼の肉声をなつかしくおもっている。

きょうも「ロレンス画集(The Paintings of D.H.L)」に目を通した。絵のなかに、ロンドンでの個展で、わいせつのかどで押収された絵が、25点のうち14点におよんだというエピソードも知っている。そして、「三色すみれ」のなかの14編までがtroublesomeとして検察側に削除することを命じられたことも。

ロレンスの生涯をながめると、彼は詩人でもあり、画家でもあり、魅力あるいくつかの詩とともに、もう一度見てみたい絵を、さいきんいろいろおもい出す。ロレンスは、44年間の生涯に、詩集は9冊出している。

1913年、28歳のときに出した定型詩集「愛の詩その他(Love Poems and Others)」以降、韻を踏んだ「恋愛詩集(Amores, 1916年)」、「新詩集(New Poems, 1918年)」、「入り江(Bay, 1919年)」、そして、「見よ、ぼくらはやり抜いた!(Look! We Have Come Throught!, 1917年)」、「鳥と獣と花(Birds, Beasts and Flowers, 1923年)」、「三色すみれ(Pansies, 1929年)」、「いらくさ(Nettles, 1930年)」、その他、自分で編集した2巻本の全詩集(Collected Poems, 1928年)というのもあるらしい。さらに死後1932年に「最後の詩集(Last Poems)」が出版された。

しかし、これで全部ではない。

雑誌におりおり発表されてきた詩は収録されなかったといわれている。いわゆる未収録の詩の草稿は、現在、ノッティンガム大学に所蔵され、「ノッティンガム・ノートブック」と称されて、ノートに書き込まれた初期の詩稿などもあるという。

しかし、ありがたいことに、ロレンスの詩は、1964年に、ピントー、ウォレン・ロバーツ共編の総合詩集(The Complete Poems of D.H.Lawrence)には一望のもとにながめられる。

ぼくの好きな詩をあげるとすれば、「見よ、ぼくらはやり抜いた!」のなかのいくつかの詩だ。なぜなら、ロレンスがはじめてフリーダと出会い、衝動的に愛を感じ、たちまち恋に落ちて、ふたりは追われるようにしてヨーロッパに奔(はし)った。 

ヨーロッパのあちこちを転々としながら、彼のいうところによれば、「愛と男の世界における、いくたの戦いの敗北ののち、主人公は既婚の女と運命をともにする。女はやむなく子供たちを残し、ふたりは手をとり合って諸国へ奔る。愛と憎しみの戦いは、ふたりと、彼らを取り巻く世界のあいだでつづく。……」

この詩集は、新しい天地を発見した詩人の、愛と憎しみ、歓喜と不安、男女の情熱的な闘いと赤裸々な記録、としても読める。

 

 あなたは呼ぶ声で、 わたしは答える声

 あなたは願望で わたしはそれの実現

 あなたは夜で わたしは昼

 (上田和夫訳

 You are the call and I am the answer,

 You are the wish, and I the fulflment,

 You are the night, and I the day.

 

――と、このように彼はフリーダに呼びかける。「ヘネフにて(Bei Hennef)」と題されたこの詩は有名である。ある人はロレンスはイマジネーションの強い「イマジスト詩人」と呼んでいるが、そこには願望がある。新しい人とともに歩く未知の航路は、もうすぐおわる! 「ほら、そこに」とおもう気持ちが、リズミカルに照応している。

――まともに読むと、うちの神さんがいつも自分を呼びつけ、ぼくが答えている図にちょっと似ている。「あなたは願望で わたしはそれの実現」かとおもう。そうおもうと、四角張ったことではなく、丁々発止、フリーダと山びこみたいにやっていたのだろう。

 

 ぼくではない、ぼくではない、ぼくを吹き抜ける風だ!

 さわやかな風が「時」の新しいほうへ吹いている。

 (上田和夫訳

 Not I, not I, but the wind that blows through me!

 A fine wind is browing the direction of Time.

 

ロレンスの新しい天地(New Heaven and Earth)とは、自分たちの安楽に暮らせる場所という意味もあるだろうけれど、ぼくには、女の偉大なる未知の世界、――聖なる秘密、愛することの肉体的な宇宙、選ばれたフリーダとの深い共生(compassion)を意味しているのだとおもう。目の前にいるフリーダだけでなく、かつての「息子と恋人」のなかにも描かれた初恋の女性ジェシー・チェインバーズ(Jessie Chambers, 1887-1944年)を入れてもいいだろう。

「いちじく(Figs)」という詩がある。女性は果物が好きである。「くだものはみんな女性なのだから、それらには種子があるのだ。そこでそれらがはじけて種子が見えると、われわれは子宮をのぞきこみ、その秘部を知るのだ」といい、「くだもの(Fruits)」の連作として「いちじく」という詩が書かれた。

いちじくの実はいかにも女性のような果実であり、女性の部分をあらわしているといわれている。それは「変形し内部に向かう、女性の秘密をひめた果物(fruit of the aemale mystery, convert and inward)」といっている。「いちじく、ひそかに内部に向かう、女性の神秘の果実、秘められた裸身をもつ地中海の果実、/そこでは、なにごとも目に見ることなく起こり、開花し、受精し、/結実も、/おまえ自身の内部でおこなわれるが、けっして目に見ることはないだろう」ともいっている。

「ぶどう(Grapes)」でもおなじようなことをいっている。

この秘密は、別の世界へといざなう。ぶどう酒は夢を運ぶ。詩人にとって、ノアの方舟を連想させるような羊歯(しだ)の匂う太古の辺境へと運んでゆく。そこはかつて、神も黒い肌をしていたのだろうか。

「目を閉じて、下りて行こう/巻きひげのからんだあのぶどう酒の道、そして別世界へ(Closs the eyes, and go/ Down the tendrilled avenues of wine and the otherworld. )」と書く。

このように、ロレンスの「詩」は、生の原初の世界へといざない、本来の人間の意図したかつての清らかな世界を呼び戻そうとしている。もうとっくに忘れてしまった大過去。脳細胞の古層にさえ、記憶としてとどまってはいないだろう。過去の記憶、……それは、「いちじく」にも似て、女性たちの子宮の奥深くに宿った太古の世界である。彼女たちは、みんなだれであれ、太古の記憶を大事な秘密みたいにして内部に持っているのだ、――非自然の、鉄の時代にあっても、「いちじく」の秘密は可憐な生命を育み、アスファルトとコンクリートの建造物の陰で、必死になって生きていく、とロレンスは綴る。

ロレンスの詩の多くは、すべてフリーダへのまなざしで書いている。壊れ物としての自分。光を浴び過ぎて、まぶしく彼女を見つめながら、愛と憎しみをぶつけ合って、彼は彼女にやぶれたみたいにして詩を書きつづける。

野島秀勝がいうように、「フリーダとは愛憎のコンプレックス」(「罪なきイヴ」374ページ)が、「互いの胸をえぐり、互いの存在を脅かす恐喝の匕首と化す」のである。野島秀勝の描くロレンス像は、秀逸である。

 

 はあ お前はおれを愛して

 陶酔するのだから

 おれを憎んで陶酔するのは必然だ

 (「メダルの両面」より

 

大地母神は豊饒の「女」であると同時に「歯のある女陰(ワギナ・デンタータ)」なのである、と野島秀勝はいう(同)。

ロレンスは愛の囚われ者からの脱出を願い、同時に囚われる歓びをうたっている。そして、ぼくをとらえて離さないのは、長詩「死の舟(The Ship of Death)」だ。死と復活の主題をつらぬいた最後の結論に見える。

 

 もう秋だ、落ちる果実

 そして忘却への長い旅。

 Now it is autumn and the falling fruit

 And the long journey towards oblivion.

 

「われらは死にかけている、われらは死にかけている、いまわれらのできることは/死ぬことをうべない、もっとも長い旅に/魂をはこぶために死の舟を造ることだ」というのである。

D・H・ロレンスの一生は、文字どおり旅の生涯であった。旅のおりおりに詩を書きながら、いつの日にか復活を夢見ていたことだろう。彼の生涯はこういうことを考え、悩み、書くことに多くの時間が費やされた。