■D・H・ロレンス文学の軌跡。――
ロレンス27歳、人間観察のするどさ。4
ロレンスと結婚するまえのフリーダ
ロレンスが25歳になった1910年の夏のことである。
ルイとの関係がますます深くなり、と同時にジェシー、ヘレンとの関係も錯綜していたころ、母リディアは病いに倒れた。――ヘレン・コークという女性は、恋人を失って虚脱状態になっていたころ、友人に、彼女を元気づけてやってほしいといわれてロレンスが会った女である。それ以来、彼はヘレンとも付き合うようになっていた。
母は不治の病いだった。
彼はいくどか帰省して母の看病にあたるかたわら、彼は「息子と恋人」の初稿を書きはじめていた。このときは「ポール・モレル」というタイトルだった。
いっぽうルイのほうは、父親が美術教師の職を得たため、ウィルキンソン市からレスター市の郊外にある美しい小さな村の芝生のきれいな一軒家に移っていた。そこでルイが教師をしていたとき、ロレンスは彼女に求婚した。1910年の12月3日のことだった。
母リディアが死の床に臥せっていて、親の死がもう時間の問題になっていたときだった。リディアはそれから6日間生き延び、がんのために59歳の生涯を閉じた。
一説には、ロレンスの妹エイダが致死量のモルヒネ入りの牛乳を飲ませて、安楽死させたという話もある。このエピソードは「息子と恋人」にも書かれ、母の死にいたるまでの記述は、創作ではなく、実話に基づいて書かれているとロレンスはのちに語っている。
3冊のうち2冊の「ロレンス伝」にも、そのことが書かれている。
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D・H・ロレンス
しかし、伝記作者は、おもしろいことをいっている。
母親が息を引き取るとき、――時間にして約30分まえ、――ロレンスは「なぜお陀仏しないのだろう。つぎの汽車で帰りたいのに」(野島秀勝「迷宮の女たち」、1982年)といって長兄を激怒させたと書かれている。
これは長兄ウィリアム・アーネスト自身が書いた「回想」のなかに書かれている話である。
そればかりか、ロレンスは、リディアが死んだ夜、片肌になった女性が猟番にうしろから抱きすくめられた絵を模写しているというのである。
母親の看病をしているときにも、死の床にある「ヘルストック夫人」の遺産相続を目当てに、家族のいい争う修羅場を描いた喜劇「回転木馬」を執筆しているのである。
そのいっぽうでは、ルイとの肉体関係をつづけるという始末。
ロレンスの内部では、ちょっと考えられないような父親、母親との愛憎関係がからみ合い、ちょぅどその頂点にいたころとも推論できる。
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大学時代の彼のノートには、母の愛情を「こじき女」と書き、母の強い愛情をうっとうしくなっていたころとおもわれる。
しかし、リディアを早く死なせるような動機は見当たらない。医者に頼んで手に入れたモルヒネを、エイダとともに医者の指示した量を超えて、苦しみを早く終わらせようとしたというのなら、この事実は間違ってつくられた虚構かもしれない。
井上義夫は、集英社版「集英社ギャラリー《世界の文学》イギリスⅢ」の解説で、こうのべている。
「リディアの死は、むしろ彼女が死の床に横たわった四カ月の間に、長い間彼女の傍にあったロレンスが、かつて譫妄(せんもう)状態のうちに体験した死の相をまざまざと見、深い因縁で結ばれた人間の人生に流れるものの実体に触れたところに、大きな意味がある。ロレンスの強靭な精神と文学者の本能は、父親のアーサーや長兄ほどには大きな打撃に見舞われることなしに、母親と息子の愛の神話を創り上げることによってこの事件を切り抜けたのである」と書かれている。
そのとおりだとしたら、読者も救われる。
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そして、1912年を迎え、その3月、フランス語を習ったアーネスト・ウィークリー教授の家にあらわれ、フリーダと対面するのである。
フリーダ・リヒトホーフェンという女性は、いったいどのような女なのか?
フリーダ・リヒトホーフェンは、1879年8月11日、アルザス=ローレン地方の要塞都市メッツで生まれた。ぼくは詩人イェーツの愛人だったアイルランドのモード・ゴンをおもい出す。彼女の愛人ミネルヴァが、その奪回に一生の情熱をささげたというあのメッツなのである。
その父フリートリッヒは男爵で、ケガをして退役を余儀なくされていた元軍人だった。母アンナは活力をみなぎらせた剛毅な女で、子供はフリーダを中心に姉と妹の3人がいた。
姉は成長すると「自由恋愛」の提唱者になった。
そこで、ロレンスがはじめて見たドイツ貴族の女たちに、「娼婦(ココット)」をおもわせたとしてもふしぎではない。じっさいロレンスは、妹ヨハンナの美しさを褒め称えている手紙がある。
「それから一番下の妹、これはたいへん美しい。ベルリンの獣みたいな空威張りの士官と結婚してはいますが、ひろい、いい意味で娼婦です。なんという一家でしょう。こんなのに出会ったのは小生はじめてです」と、1912年5月9日、友人エドワード・ガーネット宛ての手紙に書いている。
しかし、アンナには最初はいい顔をされなかった。だがロレンスは、アンナのことをこう書いている。
「ロレンゾー(ロレンス)、あなたはすてきよ。あなたのこの赤毛の頬ひげ大好き」といって、アンナは彼の頬ひげを手で触ったと。これはロレンスの詩「わたしではない、風が……」のなかに書かれていることばである。
じつは、ロレンスは最初、アンナからいきなり罵倒されている。
「たしなみのある男なら、たしなみという常識のある男なら、女を、頭のいい教授の妻君を横取りして、酒場の女給のような暮らしをさせるなんて思うはずはないわ、しかも、女に靴をはかせておく甲斐性もないときてはね、……」
これをドイツ語でまくしたてられたのである。
ロレンスはただ唖然と息をのむばかりだった。
D・H・ロレンスをひとり研究していた昭和47、8年ごろの自分(30歳ごろ)。
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そうでなくても、知らない者には、ドイツ語というのは、怒っているようなひびきがある。アンナはそうはいいながら、エゼルには、「彼は愛らしい、信用できる人間よ」と漏らしている。ロレンスは生涯、なにごとにも実直なこの母親を尊敬しつづけた。
その母親に育てられたフリーダは、「野育ちの日焼けした少女で、麦わら色のヘアが逆立ち、膝は木登りやら、跳べもしない幅広い溝を飛びそこなって落ちたりして、いつも生傷がたえなかった」。
そういうフリーダは16歳になって人並みに恋愛し、相手はメッツの陸軍士官学校の生徒で、キスを交わす以上にはすすまなかったが、ついで、陸軍中尉のカール・フォン・マルバールに恋したものの、ふたりは抱擁することも、キスすることもなく終わった。
マルバールは結婚を望んだが、なにしろ大尉にならなければ、生活は自立できず、それにはかなりの持参金つきの娘を選ばなければならなかったが、リヒトホーフェン家の娘に持参金を期待することはできなかった。金持ちではあったが、当主の賭博熱により、一家の経済はひっ迫していたのである。
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それから40年以上の月日が流れ、ある日、フリーダのもとにマルバールから手紙が届いた。
それにはこう書かれている。
「……あなたのロレンスが作家のD・H・ロレンスであるかどうか、ぜひとも知りたいと思います。もしもそうなら、彼は最高の個性をもった非凡な人物であったにちがいありません。わたしはD・H・Lの小説『チャタレー夫人の恋人』を読んでいるところですが、これはたいへんな勇気をもって周到に生み出しています。そして明晰な表現にもかかわらず、素朴な、ほとんど純潔といっていい効果を生み出しています。彼が『コニーはすばらしい女だ、ほんものだ。自分がどんなにすばらしいかも意識していない』と書いてあるのを読んで、わたしはあなたのことを思い出さずにいられなかった。それでこの作者はきっとあなたのロレンスに違いないと、ひとりきめこんでいるのです。
ずっとむかし、あなたが好きだったころ、まさしくあなたはそういう人だった。ちょっとばかり素朴で、無邪気で、それでいて強かった、ほんとうに女らしかった。けっして青鞜派(ブルー・ストッキング)なんかではなかった。結局のところ、あなたこそわたしに一番ふさわしい人だったのでしょう。わたしはあなたから生気を吸収して、それで万事うまくいったことでしょう。コニーを読みながら、わたしの年頭に甦るのはあなたのことばかりです。作者も書きながら同じ思いだったにちがいないと思います。ほかに彼はどんなものを書いていますか。ほかのものを読んでみたい気持ちでいっぱいです」
もうすっかり終わってしまった過去の話だが、小説のなかに描かれたコニーの物語を読んで、彼はフリーダのことを連想したのだろう。手紙のなかに「あなたのロレンス」と書いている。もちろんロレンスは、そこにフリーダという女を描いたのである。
作者ロレンスの巧みな表現は生々しくて、つくりものとはおもわれない。フリーダの存在なくして描けない文章である。
「息子と恋人」にしてもそうだ。「息子と恋人」の完成した決定稿を読むと、そこには抜きがたいフリーダの紛々と香る面影が描かれている。
いっぽうジェシーにとっては、「息子と恋人」は、みずから犯した破廉恥な行為の愚弄にしか見えず、彼女はいたたまれないほどの、やりきれない憤怒をおぼえたことだろう。――小説一編を成立させるには、そこに登場するモデルたちの自意識をかき乱すことも辞さない決意が必要なのだといわんばかりに、ロレンスはのちに弁解している。ロレンスは「自分はどちらにも味方しない」といい、この小説のなかにある「愛」は、母リディアしかなかったというわけである。
ロレンスは、フリーダと巡り合って、愛の捉え方を大きく変えて行った。「息子と恋人」に登場する母は、ある面ではフリーダだった。
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さて、――この「Sons and Lovers」の表題をめぐってひと言つけ足したい。
このばあいのandは、前の語とうしろの語をむすぶ二意一語のあつかいをし、単独にいって「息子」でもなければ「恋人」でもなく、「息子」と「恋人」がいわば重なった状態をいい、しかも複数形の、「恋息子たち」とも、「息子たちと恋人たち」とも、「恋しい息子たち」とも訳されている。息子であり恋人でもある、という意味になる。これは、ロレンスが28歳のときに書き終えた記念すべき作品なのである。
この研ぎ澄まされたような清澄な文章は、27歳ぐらいで書ける小説とはおもえない。またロレンスの生い立ちを書いた自伝風小説として読むと、たちまち足をすくわれるだろう。
オイデプス・コンプレックスから逃れようとするひとりの青年の物語として読むと、虚構同様、若きロレンスの到達した冷徹な思想を見失うだろう。
それは一面ではそうもいえるが、かんたんにいうと、母親への愛着と恋人ミリアムとの愛のはざまで揺れ、人妻クレアラとの性愛に溺れていきながらも、人をつくり、いっぽうでは人を踏み台にするその正体を、みずから見届けることになる。そのとき、「巨大な黒い静寂」がおとずれ、「核心においてひとつの無」であるような彼の存在は、しかし、けっして「無」であろうはずはないと気づくところで小説はおわっている。ダークマターの巨大なアナを見透かすような人間観察はするどい。