(おそきない)まで。2

 

ぼくはアルバイトをしていた。

目黒本町のぼくの部屋から歩いて20分くらいのところにある内外織物という会社だった。そこでぼくは、女性用の下着やパンスト製品の積みだしの仕事をした。工場には200人の若い女性たちがはたらいていた。

彼女たちがつくる製品をあつめて、倉庫にはこぶ仕事だった。大学の授業がある日は休んだが、週に3日ははたらいた。それと中学生の家庭教師のアルバイトもしていた。毎週1回夜になると、大森の商店街にある店の2階にでかけていった。

 

 

 

 

6月のおわりごろだった。ザ・ビートルズが日本にやってきた。

台風の影響で到着が10時間以上も遅れた。

数日たって東京・九段の武道館でおこなわれた演奏公演に良子といっしょにでかけた。

チケットは良子が予約し、運よく手に入れていた。エレキブームが起こったのはそれからだっただろうか。記念にLP盤を一枚買ったが、プレーヤーをもっていなかったので、部屋に飾っていた。そのほうがすてきだといったのは、彼女だった。すでに「プリーズ・プリーズ・ミー」は大ヒットして、世界じゅうのティーンエージャーたちの心をとらえていた。

「何といっても、プリーズ・プリーズ・ミーがいいわね」と、良子がいった。

ぼくは大学ではマンドリンクラブに所属していた。

ぼくは、地下のクラブでマンドリンを弾いているか、大学の図書館で本を読んでいるかして、そのあいまにときどき講義を受けているといった毎日をすごしていた。文学部の連中も、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いているか、アラン・シリトーの「長距離ランナーの孤独」を読んでいるかだった。映画「007/危機一発」が話題になることはなかった。

「プリーズ・プリーズ・ミー」は全英シングルズ・チャートの首位に立ったけれど、アメリカでリリースされて全米チャートのトップ5に入ったのは、イギリスでの発売から1年以上たってからだった。日本ではさらに遅れたけれど、ほとんどアメリカを経由して爆発的に売れはじめた。

ある友人はいった。

「これはあまりにも生々しくて、粗野だが、いいかい? ……プリーズ・プリーズ・ミーって、フェラチオしてくれっていってるみたいに、聴こえないか?」といった。

ぼくにはわからなかった。「フェラチオ」なんていうことばも知らなかった。

ぼくは、フェラチオの経験はおろか、セックスの経験さえなかった。ただ]夢想しているだけだった。同級の友人に、片方の睾丸を失った男がいた。病気で失ったのだが、彼は元気だった。だが、

「玉はないけど、玉袋はあるんだぜ」といって、彼はビートルズの話をした。

彼の人生はこれからどうなるのだろうと考えたが、ぼくにはわからなかった。

そういう彼だが、セックスの経験があるといっていた。ぼくは、銀座のエレベーター・ガールと夜の日比谷公園でキスをしたくらいだった。

それからじきに秋になって、休日に良子とひさしぶりに銀座で待ち合わせて、日比谷でインド映画「大地のうた」をみた。

貧しいベンガル農民の心臓の鼓動が聞こえてくるような映画だった。ぼくはデートのときも本を手ばなさなかった。電車に乗っていると、「何を読んでるんですか?」といって、良子はブックカバーのかかった本をのぞいた。サルトルの「存在と無」だった。

「むずかしそうね、サルトル。――兄もおなじものを読んでるわ」といった。

ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワ―ルのふたりが日本にきていたときだった。――

じぶんは、事々しい文学論争の渦中に身をおいていた時期もあったけれど、いまは、そういう話には興味がなく、好きだから読む、そういう心境だった。だからといってサルトル「異邦人」解釈に興味がないかといえば、少しはある。あるけれど、「静かにしておいてくれ!」という気分だった。

 

サルトルとボーヴォワール、1966年来日

 

サルトルとボーヴォワールが来日した1966年、ぼくは23歳だった。シモーヌ・ド・ボーヴォワールは一貫してフェミニスムの立場をとり、彼女の「第二の性」で「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」といった。

暗い雨の降りしきる羽田空港にこのふたりが降りたったのは、つい数日まえのことだった。

「ちょっときいていいかしら」と、良子はいった。

「田中さん、結婚相手の人、いらっしゃるの?」ときいてきた。

電車は目黒についた。ホームを歩きながら「そんな人はいませんよ」と、ぼくはウソをいった。

「そうなんだ、……」といって、良子は嬉しそうにしていた。

「わたしとつき合ってて、田中さん楽しいですか?」きいた。

「もちろん楽しいですよ。ビートルズもいいし、サルトルもいいし、良子もいいよ」

良子の頬が可愛くふくらんで、ぼくの腕にからみついてきた。

「きょう、料理をつくってみたいわ」と、良子はいった。

部屋についてから、あらためてふたりは食材を探しにでかけた。

「炊きこみご飯なんか、どうかしら?」と、良子はいった。

ぼくはなんでもよかった。

良子の食べたいものをいっしょに食べたかった。

「蛎(かき)なんか、どう? 精力がつくわよ」といった。

武蔵小山商店街の食料品店をのぞいてみた。ひろいフロアを探したら、むき身の蛎があった。それと春菊、にんにく、生姜、それにサラダ油、ごま油などをそろえてみると、何もないぼくの部屋が、食べるまえからいっぺんに豪華な感じに見えた。

茶碗やお碗はあるが、皿のたぐいがなかったので、それも買った。

「おはし、買う?」と良子がいって、赤と黒のペアになったはしを買った。

ぼくは妙な気分になった。

ぼくはこの人といっしょに暮らすことになるかもしれない。

良子の喜ぶ顔を見ていると、ぼくは幸せな気分になった。

ぼくの部屋にはテレビもなかった。ソニーのラジオだけだった。FM放送にダイヤルを合わせて音楽を聴いた。食事をしてから、良子は1階に降りて、共同で使っているキッチンで鍋や茶碗を洗ってくれた。本箱の空きスペースに、使ったサラダ油やごま油、茶碗類をならべた。冷蔵庫はなかった。

「この机、大きいわね。椅子も……」

ぼくが使っているデスクだよ、といった。特大サイズで大きかった。手づくりの木の椅子だった。いなかの診療所にあるドクターの回転椅子のような特注の椅子だった。

「これはもらったんだ。新聞購読している会社が引っ越しするとき、ぼくはそのバイトをしたことがあってね。ガラス拭きとか、掃除とか。――そのとき、会社の専務が使っていたデスクと椅子をセットでもらったんだ。だけど、ちょっと大きすぎるね。学生が使うものじゃないよね」と、ぼくはいった。

椅子は樫の木でできていた。回転ねじの心棒は鉄製で頑丈にできていて、右にまわすとあがり、左にまわすと下がるという代物だった。

両方のアームにもビロードの生地を巻きつけていた。椅子に座ってもあぐらをかけるくらいゆったりしている。それほどゆったりしていて、くつろげる椅子だけれど、ばかでかいのが難点だった。

「こんなふうに? ほんとね」といって、良子は座ってあぐらをかいた。

スカートがはだけて太腿まで見えた。

ぼくは良子の背中をつかんで、椅子をくるっとまわした。

「おもしろい!」といって、良子はくるくるまわって見せた。

良子の背中にもういちど手をかけると、ブラのなかで盛りあがっている胸が少し透けて見えた。椅子の回転を止めて、ぼくはそっと良子の胸のなかに手を差しこんだ。彼女はじっとしていた。

ブラとすべすべした肌のあいだに手を入れると、彼女は目をつぶり、ぼくにからだをあずけるように寄りかかってきた。

最初は右の手で左の乳房をなでた。想像していたよりも大きかった。それから左の手で良子の右の乳房をつかんだ。良子はからだを少し動かした。

ぼくは、手を入れると窮屈なブラウスの胸のボタンをふたつはずした。ブラがのぞいた。

それからブラウスをたくしあげると、背中のブラの止め金をはずした。それを取って、デスクのうえにおき、良子の後ろから両手でふたつの乳房を優しくつかんだ。

良子は目をつぶったままうつむいている。髪がまえに垂れ、良子の顔が隠れた。

乳房が赤くなるほど揉んだ。良子はときどき大きく息を吐き、何かしきりにがまんしているみたいに、からだをうねらせた。スカートのエッジが良子の腹部に食い込んで見えた。

スカートを緩めようとしたら、良子は立ちあがり、自分でパンティを脱いだ。

そして、「やさしくしてね」といって、たたみのうえに膝を立ててあお向けになった。

ぼくは、夢中でスカートをめくり、良子の大事なところをひろげ、すべすべした腹部に手を這わせた。良子の両脚が大きく開くと、陰毛の真ん中で、可愛らしい局部がのぞいていた。漆黒の色をした短い毛が、ずっと下のくぼみまで連なって見えた。

ぼくが女性の局部を見たのは、そのときはじめてだった。

複雑な気持ちがした。何をどうすればいいか、わからなかった。

「やさしくしてね、……」と、ふたたび良子がいった。

指でいじっていると、透明な液体が溢れてきた。下のほうに指を這わせていると、あるくぼみに、すっーと指が埋没した。そのまま入れると、どこまでも入っていきそうだった。ぼくはびっくりして奥まで入れるのをためらった。

良子のからだは肌が白くて、局部のまわりをきれいに縁取りしている毛が短くて、真っ黒な色をしていた。手入れをしているらしかった。ひだを掻き分けて広げてみた。その奥にもひだがあり、どこまでもホールのひだで塞がって見えた。そのうちにそのホールが、とつぜん大きく膨らみ、たちまち萎んでしまっだ。

空気を吸いこんだみたいだった。

ふたたび指を入れてみた。どこまでも入っていった。ホールのなかが膨らんでいた。夢も現実も、あらゆる欲望を吸いこんでしまいそうな感じがした。

ぼくは、どうすればいいのだろうと思った。

峰の一部が、おむすびの形をして、何かが小さくとんがっているのが見えた。なんだろう。

隠れていたものが、地殻を割って何かが芽吹いたみたいに飛び出して見える。何だろうと思って、そこを指でなでると、良子は脚をすぼめてきゅうに伸びあがった。ふたたびぼくが脚を開くと、おなじことをくりかえし、そのたびに良子は声をだして伸びあがった。

何度かくりかえしていると、とつぜんおしっこを飛ばした。

本棚のいちばん下にならべていた平凡社の百科事典のところまで、勢いよく飛んでいった。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」と叫んだ、良子は顔を両手でおおい、ぼくに抱きついてきてはなれようとしなかった。そのうちに、良子は泣きはじめた。

ぼくは、何かたいへんな間違いをしてしまったらしいと思った。

なんだろう? 

どうすれば? 

「やさしくしてね」といっていたのに。

女の子には、ぜったいやってはいけないことを、やってしまったらしいと思った。――そのとき、FMラジオの音楽だけが部屋を支配していた。そのとき、いったい何が流れていたのだろう。ぼくはバッハの「マタイ受難曲」のことを思い出した。もしこれが流れていたとすれば、たぶん、アリア「憐れみ給え、わが神よ」だっただろうかと考えた。

イエスが審問にかけられたとき、

「あなたもイエスといっしょにいたか?」と問われたペテロが、

「そんな人は知らない」といって3度ウソをつき、イエスを裏切って、外に駆けだし、はげしく泣くシーンだった。それにつづいて歌われるアリアが聞こえてきた。

ヴァイオリン・ソロの奏でるその音は、ペテロの歎きの主題をあらわしているとぼくは思った。ヴァイオリンのオブリガートに乗って、アルトで歌われるこの長いアリアは、

「憐れみ給え、わが神よ」

のことばを何度も何度もくりかえすのだった。ぼくは、ペテロの後悔を、すべての人びとの懺悔(ざんげ)にむけた曲として聴いた。

良子とのつき合いは、短かった。

ぼくはペテロのように後悔した。

 

  

 

 

クルマは晩生内(おそきない)に入ろうとしていた。

雪は降ってはいなかったが、数分まえからきゅうにフロントガラスがくもってきて、外が冷えているのがわかった。

対向車線にクルマがなかったので、ライトを遠目に切り換えた。

どこまでもまっすぐに走る国道が見えたが、それらしいクルマがなかった。晩生内の街の中心あたりに差しかかったとき、右側の、サービスエリアのような道の膨らみのなかで、黒っぽいクルマが停まっているのが見えた。駐車しているというより、これから発進しようとしているような中途半端な姿勢に見えた。

あれかもしれないとぼくは思った。

遠目のライトを明滅させると、相手はライトをつけ、遠目のライトで合図を送ってきた。

ドアが開いて、耳隠しのついた帽子をかぶった兄らしい男が道にでてきた。

「兄さん、どうですか?」クルマをわきにつけて、ぼくはいった。

「どうも、ダメだな。さっきサービスセンターに連絡したから、そろそろきてくれるだろう」と、兄がいった。

「こんな事故は、はじめてだなあ。……ブレーキがきかなくてさ、これじゃあ危険だ」といって、兄は道をながめた。

クルマがまばらだが、切れ目なく走っていた。

「ユキ子の状態は、どうですか?」と、兄がきいた。

「ユキ子は、まだ目覚めないんですよ」といった。

そのとき、1台のクルマがそばにやってきて停まった。小さなクレーンを積んでいる。事務的な作業がおわると、サービスセンターが派遣した車両につながれて、あっというまにどこかへいってしまった。ぼくは兄の大きく膨れたペーパーバッグを後部シートに入れると、兄を乗せて札幌へとむかった。