年たったら、またおう」

 

思い出すたいていのシーンは、いつもモノクロ映像のようにおもえてくる。

「2年たったら、また会おう」

「2年たったらね。そうしましょう」と美佐子はいった。

列車が札幌のプラットフォームを離れてしまうまで、美佐子は手を振っていただろう。ぼくはそうして札幌を離れた。近くを走るクルマの尾灯が赤く見え、雪道をいつも照らしていた。

 

――と、ここまで書いたところで、ヨーコが口をはさんだ。

「こんどは、だれのこと?」

「だれでもない」

「お父さんの頭のなかに、いったい何人の女の人がいるのかしら?」とヨーコはいう。

「いるいる、何人もいる。ヨーコも、そのひとりだったんだからな」というと、

「あら、そうなの? だったら嬉しいわ」とかいいながら、日が照ってきたベランダのバーに洗濯物をそろえて乾している。ネコのナーガが黒いストッキングに爪を引っかけて遊んでいる。

「ナーガ、あっちへいきなさい! あっちよ!」とかいっている。

「あら、いま光ったわ、カミナリかしら?」

「だれか、鏡でイタズラでもしてるんだろう」

それから2秒ほど遅れて小さく雷鳴が轟いた。「きょうは買い物はダメかもね、きっと雨だわ」といっている。

そして、「――ふーん、いま何読んでるの?」といって、ヨーコはパソコンのデスクの上にある一冊の本を手に取った。ハヤカワミステリの「冬の灯台が語るとき」という本だ。

――なになに、《螽(いなご)焼くじじの話や嘘だらけ》って何なの? 覚え書が本にはさまっていたのだ。

 

 

ヨーコ、越谷の文化会館にて

 

「《冬の灯台が語るとき》って、なんだか読んでみたくなるわね。灯台の話じゃなさそうね、そうでしょ? 恋愛? それとも事件? どんな事件?」とかいっている。

スウェーデンのエーランド島に移住して、双子の灯台を望む「ウナギ岬」の屋敷に住みはじめたヨアキムとその妻、そしてふたりの子ども。しかし間もなく、一家に不幸が訪れる。

「スウェーデン推理作家アカデミー賞」の最優秀長篇賞、「英国推理作家協会賞インターナショナル・ダガー賞」、「ガラスの鍵賞」の3冠に輝く傑作ミステリー。

「そうなの。そうよね! 何も起きなければ小説にならないわよね? そうでしょ?」

もう一冊は赤い表紙の「解錠師」という本だ。ヨーコはそれを見て、こういった。

「――マンションの一階のだんなさんも、ほんとうは《解錠師》よね。いつも部屋にいるようだけど、あの人、いつ仕事してるのかしら? 目を合わせるとニヤッとしてるのよ。あまり話さない人よね」

「工作員のこと? ――そんなふうにいうと悪いけど、奥さん、さいきん見た? どこかに勤務しているの?」ときくと、

「そういえばそうね。見ないわね、……。仕事してるのかしら?」という。

「だんなは夜、仕事してるんじゃないの?」

「《開錠師》だから? まさか。子どもも見ないわよ、奥さんと別れたのかしら? 人の家(うち)のことだけど、ちょっとミステリーよね」

「ミステリーといえば、ときどき朝、スーツ姿で帰宅する。開錠師はスーツなんか着てやる?」

「着ない着ない! 朝帰りなんて、ふつうの会社勤務じゃないわね」とかいって、ヨーコは、きのうヨークマートで買ったスイカをひと切れ割って持ってきた。

「これ、種無しなの」

「うん? 種無しだって? ……いやな響きだ」というと、

「なにが? ……」

「だって、種無し男を連想するじゃないか」

「あら、そう? ……ははははっ、そうね。ほんとね」とかいって笑っている。

小説「開錠師」には、8歳のときに言葉を失った主人公が登場する。マイクには才能があった。絵を描くことと、どんな錠も開けることができる才能だ。

やがて高校生になったマイクは、ひょんなことからプロの金庫破りの弟子になり、芸術的な腕前をもつ解錠師となる。……

「ヨーコは、どっちを読みたい?」

「わたしは《灯台》のほうが好き。開錠師の世界には興味はないわ」といっている。 

 

 

 

ハヤカワミステリ2冊、「冬の灯台が語るとき」と「開錠師」

 

さいきん、北海道のむかしの仲間宛てに、はがきを書いている。

画用紙でできた特製のはがきで、ほんとうは絵でも描いて出そうと考えたのだけれど、気分がかわり、太字の黒のボールペンで文面だけ、さーっと書いて投函する。

おなじハヤカワ・ミステリに「殺す手紙」というのがあった。フランスのミステリー作家のポール・アルテだ。ポール・アルテは多作で、いろいろ書いている。1988年に「赤い霧」を発表し、フランス冒険小説大賞を受賞している。彼は若手の作家だと考えていたが、もう67歳くらいになった。

ぼくは彼の若い顔しか知らない。

手紙といえば内田百閒(ひゃっけん)を想いだす。

百閒を有名にしたのは数々の随筆と日記文である。随筆もけっこう書いていて、そしてもちろん日記も書いていて、彼の身辺のことをいろいろと知ることができる。百閒の小説にも実名が出てくる。それでぼくは、百閒の文章をとおして漱石のことを知るようになった。

内田百閒の「戀文・戀日記」が出たのはいつのことだったろうか? 

百閒が東京帝国大学在学中の23歳のとき、堀野清子と結婚した。

清子は岡山時代の親友の妹で、百閒が16歳のとき、まだ12歳だった清子に恋をして、その彼女への恋慕の気持ちをつづったのが「戀日記」なのだ。

なんとも早熟な、とおもうかもしれない。

しかし、16歳で詩を書きはじめたアルチュール・ランボーのことをおもえば、手放しで驚くこともないだろう。5歳で詩を書きはじめたエミリー・ブロンテもいるじゃないか! とおもってしまう。彼女たち、――シャーロットと、エミリーと、アンの3人で書いた――詩集「ゴンダル物語」はすごいなとおもう。

それはそれとして、いっぽう「戀日記」のほうは、清子にあてて書かれた手紙だ。たしかにいまの16歳よりはずいぶん大人びて見える。語彙の豊富なことにも驚かされる。

石田善彦氏の訳によるL・A・モースの「オールド・ディック」の文章。78歳になる老いぼれ探偵ジェイク・スパナーが、難事件の解決のいとぐちが見つかった朝、いい気分で身づくろいをするシーンを想いだす。

 

ベッドを出て、シャワーを浴び、歯を磨き、ひげを剃り、頭にベーラムをふりかけ、乏しい髪をなぜつけ、鏡に向かってにっこり笑いかけた。失敗だった。上機嫌の禿鷹みたいに見えた。

L・A・モースの「オールド・ディック」、石田善彦訳

 

この文章、82歳のじぶんのことを書いているとおもっても、けっしておかしくない。文章には勢いというものがある。何気なく観察していることを、こうもはっきり書かれると凄みがある。そんなこと、いわれなくてもわかっているんだ! と叫びたくなる。

 

 ――サクラ切るバカ、梅切らぬバカ!

 ――夫の尻に縄つけて。

 ――のぼった先の鯉のぼり。

 

つい先日のことだ。

鯉のぼりが、サクラの枝に引っかかって、空師みたいにのぼった日のことを想いだす。年寄りの冷や水といわれそうだ。その空を見て、「螽(いなご)焼く爺(じじ)の話や嘘だらけ」(正岡子規)という句を想いだした。

ウソもときに、おもしろいじゃないか、とおもう。だが、ぼくは老いぼれ探偵ジェイク・スパナーのつくり笑いには、涙ぐましいほどの鍛錬の成果を感じてしまう。

先日、20代の女の子とおしゃべりした。すると彼女、びっくりしたことがあるといって、「ウォータースライダーで、ハイレグ状態になったことあるわ!」といった。ぼくがきょとんとしていると、

「ウォータースライダーって、わかる?」と、彼女は優しくきいた。

「ああ、チューブの中を水に乗ってすべるやつだね! すごいだろうな!」

「すごいわよ。滝に流されるっていう気持ち、……」

「きぶんもハイレグ状態になったの?」

「そうじゃなく、ほんとに水着の、ウエストラインとヒップラインって、わかる? そう、それがラインアウトしちゃって、やばくなったのよ。LINEの話じゃないのよ」

「それで、……?」

「その日、スピリタス(96度のウォッカ)飲んで、べろんべろんになった!」

「ご主人は?」

「彼、別の女の子を見てた。――男ってバカよね、男はみんな自分のことが好きだとおもってる! 典型的なオタサーの姫タイプだったんじゃないかな」といった。なんのことか、ぼくにはわからなかった。おじさんにはわからないよねって、いっているような顔をして。

だんだん日本語が通じなくなる。ヨーコとはなんとなく通じ合える。通じ合える人としか会話は成り立たない。

「オタサーの姫タイプって、何だ?」

「拾ったのは10円玉のコインひとつだよ。……」

「よかったじゃない。田中さん」と、ヨーコはいった。

「その、田中さんというのはやめてくれ! また聞かれるぞ!」

「聞かれてもいいわよ」

「さっきの人に、何度聞かれた?」

「2度よ。……でも、誤解されちゃったかも」

「旅先でも、それはやめてくれ! ガイドさんに誤解されたよ。不倫旅行かってね」

「不倫? いいわね。新鮮で……」

「何が新鮮なもんか! 北竜温泉で、それはやめてくれ!」

「お父さんのふるさと。人の目があるわよね?」

「気になるな。――性感染症が予防でき、じゅうぶんに繁殖が可能なら、一夫一婦制である必要はないとか本には書いてあったぞ」

「何の本? 」

「むろん不倫の本さ」

「さっきの、……オタサーの姫タイプって、その子にきいてみれば……。お父さん、不倫こそ、やめてね。バレたら仕事も地位も家族も金銭もすっからかんになってしまうのよ! わかった?」

「不倫で議員辞職に追い込まれた人もいたな。CMやドラマから降板を余儀なくされたケースもあるからな。でも、専門家は、人類に一夫一婦制は向いていないといっているそうだよ」

「知ってます。男性には、不倫遺伝子があるとか、だって!」

まあ、不倫の社会的排除のしくみが出来あがっている。

「それって、中野信子さんの説でしょ? 知ってます」とヨーコはいう。

興味深いのは、男女ともに「配偶者以外の異性と親密な付き合いがある」という答えが増えているそうだ。愛撫や性交をともなう関係のこと。性的振る舞いがだんただん「不倫型」になっていくという。ジャック・アタリの「図説《愛》の歴史」や、赤松啓介の「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」はおもしろい。

 

「スカート600円、ワンピース1000円」という看板を見て、ヨーコはいった。

「安いわね」といって立ち寄ったら、そこはクリーニング店だった。

 

「先生! おれを男にしてくれ! たのむ……」

「なに? おめえさんは、てっきり男だとおもってたが、違ったか?」

 

これを読んで「くすっ」と笑った人は、蕨餅(わらびもち)でも食べな、抹茶のさ。するていと、こういう日本語もわかるっていうわけ。食べたくない?」

「いいわよ。お供するわよ。でも、もう売ってないわねぇ。わらびの季節は、ちょっと遅すぎるわよ。お父さん、大戸屋にきいてみて」

「いつか京都で食べた蕨餅だよ」

「だからさ。――リキュールの、《コアントロー》って飲んだことある? レモンの炭酸割りしたやつ。ヘミングウェイはダイキリがいいといった。クレバスの淵を滑降するような気分だって」

「ヨーコは走れないのよ、何かあっても、走れないのよ。バッグ盗まれても。お父さんわかってるでしょ! そんなお酒、飲ませないで」

「ただ、ちょっとね。……コアントローってどんな味がするのかとおもってさ、……」

「お父さんは抹茶でしょ? 蕨餅の、いま、それ食べたいんでしょ? だったら、帰ってきてワインでも飲んだら?」

「いや、コアントローのレモン炭酸割りしたやつを飲めば、さっきのウォータースライダーの気分になるかとおもってさ。それとも、氷河とか、雪渓の割れ目をスキーですべる気分になるかとおもってさ」

「よしなさいよ! いい年して」

マルイの8階に着いて、エレベーターが開くと、偶然友人夫妻に会った。

「また、寄らせていただきます」とかいってた。2ヶ月くらい会わなかった。別れてから、

「だんなさん、太ったようね」とヨーコがいった、それも嬉しそうに。ヨーコは3キロも太った。ぼくが先を歩くと、後ろのほうで、「ちょっと待って、田中さーん」とヨーコはいっている。

恋愛とは――。

 

れんあい【恋愛】、特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来ることなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。

「新明解国語辞典」第4版

 

ほんとかよ! っていう気分だ。

それが中学生用の「新明解国語辞典」の第5版では、男女の「合体論」が修正され、男女の「一体感」と書かれている。「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと」としている。

「まれにかなえられて歓喜したりする状態」と書かれている。ふーん、恋は実らぬものとおもっていたが、たまに実ることも「恋」というのか、とおもった。内田百閒は恋を実らせたのだ。

「先生! おれを男にしてくれ!」の「男」は辞書にはなかった。

      斎藤美奈子さん、文藝評論家

 

 

ヨーコはさっきから、ダイニングテーブルの上で、条幅紙に毛筆を走らせている。全日本書芸文化院の理事を拝命したのは去年だった。熱の入れようがますます募った。

付箋に「どの点画がどのように続いたのかを考える」と書かれて条幅紙に貼っている。意味はわからない。

さっきヨーコは何かいっていた。だれかが亡くなっていたとかいっていた。

「だれが亡くなったって?」ときく。

「お父さん、いまごろなんですか? 聞いていなかったの? 女優の生田悦子さんが亡くなってたの、いつだった?」とヨーコはきいていたようだった。

生田悦子さんだって! 亡くなった? ほんとか! ――という気分でインターネットで調べてみた。虚血性心不全のため都内の病院で亡くなっていたことが分かった。享年71歳だった、と書かれている。

「その隣りのHさん、妊娠したそうよ」という。

「いつ生まれるの?」

「いつ? いつかしら?」とヨーコはいっている。「妊娠小説」。――斎藤美奈子さんのその本はおもしろい。毒舌とはちがったおもしろさがある。「妊娠小説」は小説ではない。

森鴎外の「舞姫」、島崎藤村の「新生」をそれぞれ妊娠文学の父、母とするところからはじまる彼女の文藝評論の論考は、めっぽうおもしろい。

「お父さん、包丁研ぐの、まだぁ……」とかいっている。

「研ぐまえに、わるいけど、お買い物してきて」とヨーコがいう。今朝から頼まれていた買い物だ。――そういえば、砥石は日本にしかないなとおもう。

刃物で知られるドイツにも、ヨーロッパにも砥石というものはない。

包丁が切れなくなったらヤスリで研ぐ。日本の刃物がすぐれているのは研ぎ師がいて、専門に研いだ時代があった。荒砥、中砥、仕上げ砥と3種類あって、最高の砥石は1本50万円もする。それに、ヨーロッパの庖丁は両刃で、日本の庖丁は片刃と決まっている。

研ぐのは片方だけ。

むこうの素材は1種類だが、日本の庖丁は硬軟2種類の素材をくっつけている。

だから、庖丁も使えば使うほど研がれるので、刃の長さがだんだん短くなる。

料亭の板前さんが使う庖丁の刃渡りは、短くなるだけでなく、いつも切れ味は最高なのだ。大工さんだっておなじだ。のこぎりの手入れをしている時間のほうが、仕事をしている時間より手間をかけるのだ。

そんなことを考えながらベランダの外を見ると、また雨が降ってきた。