ばり

 

音楽はいいなあとおもう。

昨夜、録画していた番組のなかから「N響アワー」で、ドボルザークの「交響曲第9番 新世界から」を聴いてみた。おなじみのヘルベルト・ブロムシュテッドさん指揮による。この曲を聴いていて、ぼくは北海道のいなかの風景を思い出し、深夜、冬の雪道を歩いた少年の思い出がよみがえってきた。

 

 

ボルゾイ犬

 

農家も冬になると山に入り、丸太を間引き伐採して家まで運ぶ。

運んだ丸太を、巨大なのこぎりで切って薪(まき)をつくる。冬の大きな仕事は、こうした伐採の仕事だ。

昭和29年の15号台風で、大量の倒木ができた。とくにトドマツに代表される針葉樹系の木々がひどい被害を受けた。北竜町の木々は広葉樹が多く、およそ70パーセントを占めている。

父はボルゾイ犬を連れて山に入り、伐採の仕事に精を出す。直径1メートルを超える太い丸太を何本もバチと呼ばれるソリに積んで、馬に曳かせる。

馬は5キロの雪道を家まで運ぶ。

わが家にいた馬は比較的若い馬で、体重が600キロほどあり、輓馬(ばんば)競争に出してもそん色ない巨体馬だった。

馬は汗をかき、鼻から白い湯気を吐きだし、バチが雪にぬかって動かなくなっても、全身の筋肉を奮い立たせて思いっ切り引っ張る。

 

 

   馬力(仏馬力)|単位プラス|大日本図書

 

馬一頭のパワー「1馬力」という動力は、しかしすごいな、と思う。

大型犬のボルゾイというロシア犬が、馬のまわりをぐるぐるまわりながら、やつもがんばる。

犬の仕事率というのは、物理的に引っ張る動力というより、吠える仕事率をいうのかもしれない。

放し飼いのニワトリを見て、野犬がおそってきたとき、足の速いボルゾイ犬が番犬としてちゃんとじぶんの勤めを果たす。ボルゾイ犬にかなう野犬なんかいない。世界一駿足(しゅんそく)なアスリートの脚(あし)をもっている。

街道で馬と馬がすれ違うことがある。そういうときは、空馬橇(ばそり)のほうが道をあける。

道の真ん中には馬糞が積もっていて、そこだけ雪が解けずにうず高くなっている。そういう場所でのすれ違いは、熟練した手綱(たづな)さばきが要る。

そういう仕事で、ひと冬を過ごす。

ぼくはまだ子供だったので、父に連れられて山に行くけれど、大した助けにはならない。むしろ、馬の世話をすることがぼくの仕事だった。帰ってくるともう夜になっていた。

 

 

ブロムシュテッド指揮、ブルックナー「交響曲第5番」

 

丸太をバチに積んだまま、馬を厩舎に入れ、バケツ一杯の水を与える。馬は、大量の水を飲み込む。それから馬具を外し、クツワを取り外し、汚れた馬銜(はみ)の部分をきれいに洗う。汗で光っているからだを拭いて、ブラシでこする。そして布で汚れや汗を拭き、馬用の毛布をからだに巻きつける。

馬がおとなしくないときは、飼葉桶(かいばおけ)に餌を与える。稲わら、とうもろこし、にんじん、燕麦(えんばく)、それらに塩を混ぜたご馳走をおいしそうに食べる。

馬が気が立っているときは、けっしてクツワを外さない。

そんなときは、クツワを握って馬の鼻づらをやさしく撫でてやる。しかし、けっして馬の正面には立たない。側面からやさしく鼻づらを撫でてやる。すると、寝ていた耳がぴーんと立つ。

――動物は、みんなそうだ。

ボルゾイ犬は大型犬なので、連れ出すときは綱で引く。引くのだけれど、犬は主人より前にすすまないようにして歩かせる。まえにすすむ犬は、後ろにいる主人は、主人とは思っていない。主人のいうことなどきかずに吠えまくる。叱ってみてもはじまらない。

犬に自分が主人だということを教えるためには、犬をけっして主人のまえに歩かせないことである。抱くときは、犬の顔をこっちに向けない。犬の後ろを抱く。そうすると、どんな犬でも主人に従う。

馬もおなじである。気が立っている馬をなだめるときは、馬の前にはけっして立たない。

馬のまえに立つと、対抗心をいっそうあおってしまう。馬は、餌をくれる人が主人だなんて思わない。側面にいる人が主人だと思ってしまう。

これが動物をなだめるコツなのだ。――そういって教えてくれたのは、少年たちにやさしい三谷街道の鍛冶屋の浅野のおじさんしかいない。

ぼくは、こういうことをいつも教わっているわけではない。けれども、そうすると、犬も馬もなついてきておとなしくなることを知っているのだ。馬が何をしたいと思っているか、やがてわかるようになる。

ぼくは小学校6年生から、馬の世話をするようになった。

はじめは、馬は自分をバカにして、いうことをきかなかった。

手綱をぴしゃりと打っても、いうことをきかない。自分が餌を与えているのに、どうしてなのかと途方に暮れた。

こんなふうにして、馬の食事をつくることが、ぼくの仕事になった。馬が食事をしているあいだ、ぼくは馬の脚を折って、ヒヅメを見る。蹄鉄(ていてつ)と脚のウラのさかい目に、小石などが詰まっていないかを調べる。労働しているときには気づかなくても、小石などがあると危険だ。

ブラシの柄の先で、足のウラの汚れを取り除き、すっきりした脚にする。

ときどき汚れた寝わらを取り換えてやる。これが小学生にとっては重労働なのだ。

厩舎の近くにある堆肥場へと運ぶのだけれど、糞尿で汚れると何もかも重くなって、フォークで持ち上げることが小学生にはこたえた。

しかし、寝わらを新しく取り換えてやると、馬はよろこんで、厩舎でひとりひっくり返って喜びを表現する。そういう馬を見ていると、疲れなんか、どこかに飛んでいく。

さて、冬場の仕事がなくなると、父は郵便局の長距離電報の配達要員になった。4キロ以上の長距離電報は、父が運ぶ。

昼間はいいのだが、深夜郵便局の当直の人がわが家を訪れる。それを持って父が出かける。

運の悪いときは、父が出て行ったあとに、またやってくることがある。そういうときは、ぼくが運ぶことになる。

わが家には、長距離電報用の地図が壁に貼ってあり、それを見て当たりをつけて、深夜家を出発する。

子守りのロシア女のナターシャが、水に、おにぎりなんか握ってくれる。それが嬉しかった。

ぼくはまだ子供だったので、そういうときは、馬をたたき起こして、やつを連れて行く。やつも心得たもので、真っ暗な深夜でも、ぼくのいうことをきいて、厩舎を出る。そういうことが何回もつづけていると、馬とのふたり旅は楽しくなった。

馬に乗るわけじゃない。乗ったこともあるけれど、乗るとからだが冷えるので、いつも、いっしょに歩いていた。

当時は、街から8キロほど奥まったところに、ダム工事の現場があり、そこで働く人夫あてのものが大半だった。なかには家族の不幸を知らせるものもあった。

いよいよダム工事の飯場に近づくと、夜半、煙突から真っ白な烟(けむり)を出していて、酔った男が飯場の外で、たばこを口にくわえて放尿していたりする。おしっこの白い湯気が夜のとばりをいっそう白くしていた。

ぼくが近づいていくと、じろっと見てから、小便の立ちのぼる湯気をこっちに向けながら、

「おい、こら! どこからきた?」という。

「やわらです」

「やわらだと? おまえ、いま何時だとおもってるんだ! もう2時をまわってるぞ。うん! 馬できたのか……ほーっ、いい馬じゃないか!」

「はい、いま電報を渡してきます」といって、おじさんと別れる。

「電報だって? わらす! だれあてだ!」といって追いかけてくる。その足元が揺れている。

ひげ面で、ちょっと怖そうだったけど、話し方は優しかったし、知りたかった時間を教えてくれた。

馬を連れていたので、なんとなく心強かった。

飯場のなかだけは煌々(こうこう)と灯(あか)りがついていて、寝静まっていたが、人を呼んで声を張り上げると、まかないおばさんが起きてきた。そこで電報を手渡し、捺印してもらうと、

「ご苦労さま。学生さん、これ、持っていきなさい」といって、りんごをくれたこともある。お辞儀をして、外に出ると、馬を見たおばさんは、

「あらー、馬に乗ってやってきたんだー。やっぱりここは、北海道だわね」とおばさんはいった。

「学生さん、気をつけて、おかえりなさいね。何年生?」ときいた。

「ぼくは6年生です。来月から中学生になります」といった。

「そうなの。……それじゃ、これは馬に」といって、りんごをもう一個受け取った。

ぼくは学生服を着ていたので、嬉しいこともあった。ああ、これで終わった、あとは帰るだけだぞ! といって、馬の尻をぽんと叩く。

ふたたび、やって来た道を馬とともに引き返すのだ。

 

 いつまでも歩いてゐねばならぬごとき
 思ひぬ、
 深夜の町町まちまち

 (石川啄木、「一握の砂」)

 

帰りは雪が降ってきて、道路は姿を消し、雪野原を歩くようなものだった。そういうときは、電柱とか、電線がたよりだった。

さっきいただいたりんごを取り出した。すると、馬が鼻づらを寄せてきた。

「おまえも、食べるか?」

りんごをふたつに割って、手のひらにのせると、馬は厚い唇でじょうずに拾い上げ、おいしそうに食べた。

そうして、ぼくが中学3年生になって、冬の夜道を馬と歩き、馬とおしゃべりしながらちょっとした勉強をした。ポケットにしのばせていた新潮文庫の石川啄木歌集「一握(いちあく)の砂」を取り出し、いろいろ覚えた。

この歌集は、啄木が北海道の漂白の旅を終え、上京したのちにつくられたもので、約1000首のうちから、550首ほどに抜粋された歌集だったが、これを読んで、そのすばらしさに感動した。

啄木の歌は、なんとなく望郷の念にひたって書かれたもののように思われた。

しかし、550首のなかで、故郷を思い出して書かれたものは、54首しかなかった。意外に少なかったのを覚えている。

 

 ふるさとの山に向ひて

 言ふことなし

 ふるさとの山はありがたきかな

 (石川啄木、「一握の砂」)