って 2

 

きみちゃん。――そういえば、きみちゃんのブロンズ像は麻布十番のパティオ通りにあった。

田原がさいきん見たのは横浜のほうではなくて、麻布十番の像だった。可愛い女の子の銅像だ。おさげ髪にコートを着た少女の立ち姿だった。片手をコートのポケットに入れている。

横浜の山下公園にはむかしからあった。

赤い靴をはいた少女が座って、海を見つめていた。異人さんとともに遠い外国へ旅立った少女に思いを馳せ、そこに建てられたのだろう。

ふたつの銅像に秘められた詩のもつ哀愁感は、この歌に海外への夢を託す人も多かっただろう。野口雨情が作詞し、本居長世が作曲した童謡「赤い靴」のモデルになった女の子だ。

 

  赤い靴はーいてた女の子

  異人さんにつーれられて行っちゃった

 

  

  麻布十番のパティオ通りに立つきみちゃん

 

――田原がこの詩をおぼえているのは、北海道と関係が深かったからだ。

女の子は岩崎きみちゃんといった。明治35年に静岡県で生まれ、まもなく、母かよとともに北海道に移住する。

そこで母は鈴木志郎という男性と結婚し、開拓農場に入植した。

生活は貧困をきわめる。母はやむなく3つになったばかりのきみちゃんを、アメリカ人宣教師チャールズ・ヒュエット夫妻の養女にした。宣教師がまもなくアメリカへ帰国することも承知していた。ふたたび会うことはないと覚悟し、すこしでも娘が幸せになるならばという願いをこめて娘を手放す。

その後、母かよは、夫とともに農場を離れる。生活が苦しすぎた。

夫志郎は札幌の小さな新聞社に勤める。そこで知り合ったのが野口雨情だった。そして、歌ができた。

ところが横浜から船に乗って外国へいったはずのきみちゃんだったが、じっさいはそうではなかった。宣教師夫妻は明治39年にアメリカに帰国する。とうぜんきみちゃんを連れていく予定だった。

ところが帰国の直前、きみちゃんは重い結核をわずらってしまう。

当時は不治の病である。

そのまま長旅をつづければ、きみちゃんの命をうばってしまうだろう。宣教師夫妻はやむをえずメジスト系教会の孤児院にあずけ、帰国してしまった。きみちゃんはまだ6歳の幼女だった。孤児院でひとり病魔とたたかっていたけれど、明治44年9月、きみちゃんは息を引き取った。わずか9年の短い人生だった。

「赤い靴」が世にでたのは、大正11年。

この事実は、母も雨情も知らなかった。きみちゃんが息を引き取った場所が麻布永坂にある鳥居坂教会の孤児院だった。

「――そうなんですか。北海道のどこなんですか?」

「留寿都村(るすつむら)です。そこにもきみちゃんの銅像があるんですよ」

隣りの男たちがカラオケの準備をしていた。むかしの演歌が流れた。由利子は男たちのほうを見ながら、ウイスキーを飲んだ。

「そうだったんですか。野口雨情は北海道の人?」

「いや、ちがうけれど、小樽の新聞社にいたんだ。そこに啄木もいたんだよ」

「そうなんだ」

「同僚の啄木といっしょに主筆の排斥運動かなんかやって、クビになるんじゃない?」

「でも、雨情の詩って、しみじみとした詩なんですね」

「白秋とか西条八十らの都会的なしゃれた華やかさとは、まるでちがうよね」

「西条八十って、読んだことないわ」

「ぼくも、あまり読んだことがないけど、西条八十には《トミノの地獄》っていう、奇妙な詩がありますね」

「《トミノの地獄》、ですか?」

「きいたことない? 《姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く》って」

「なんだか、怖そうな詩だこと。どういう意味なんですか?」

「わかりません。わからないけれど、寺山修司がこれをもじって、《姉が血を吐く、妹は火を吐く、謎の暗闇壜(びん)を吐く》っていってるんだ。トミノの部分を《謎の暗闇》といってる。だから、謎なんじゃないの?」

「ビンを吐く?」

「ビールビンのビン」

「ビンなんか吐くもんじゃないでしょ?」

「ふつうの人は、ビンなんか吐かないね。暗闇がビンを吐くというんだから、人じゃないね」

「わたしは雨情のほうがいいわ」

「もう聴かなくなったね。……《十五夜お月さん》も雨情だね」

「いまも幼稚園で、歌ってるのかしら」

「ここにはないよね?」

「ここにはたぶん、ありません」

「……なんですか? 田原さんたちも歌いません?」と、ママがいった。

「ママ、童謡歌いたくなった」

「どうよう? あら残念だわねぇ、こんど準備しておきましょうか? 田原さんのために」

「ママ、じょうだんですよ」

ドアが開いて、またさっきの男が顔を出した。そして入ってきた。30歳くらいの痩身の男だった。白いワイシャツがよれよれになってぬれている。

「いいの? きょうはこないと思うけど、……」と、ママがいった。

「待ってみる」

「あらあらぬれてしまって、……こっちへきて、座ってちょうだい」

ママはタオルを男に差し出した。

男は、歌っている男のわきで突っ立ったままでいたが、カウンターのほうにやってきて、田原の隣りに座り、タオルでぬれた頭を拭いた。女でも待っているのだろうか。男はちらっと由利子のほうを見た。歌がおわって、男はカウンターにもどってきた。カラオケ装置のわきにあるボックス席は、がらんとしている。

「ママ、もう帰るよ。電車がなくなる」と、歌っていた男がいった。

「雨降ってるわよ。傘もっていっていいわよ」と、ママがいった。

「3人分、いくら?」

「いいの?」ママはカウンターのなかで計算していた。

「きょうは、朝から天気よかったのにね、……」とつぶやきながら、ママは伝票を男にわたした。3人がドアから出ていった。

「ママ、こなくていいよ」

「いいえ、下までよ」といって、ママも出ていった。

「ぼくらは、まだいていいよね? 電車はとうになくなったけれど……」と、田原はいった。

「ええ」

「走って帰れるくらいの距離? 由利子の家は」

「走って帰ったら、50分くらいかかるかも……」

「そんなに遠いんだ」

ジントニックがなくなった。由利子の肩がななめにすこし動いて、カウンターのなかをのぞきこんでいる。肩幅が、こんなに広いとは思わなかった。胸もこんなに大きいとは思わなかった。

からだのつくりがすべて大きく見えた。夏のステンカラーになった白いシルクのブラウスが、由利子をいっそう大きく見せていた。襟のカラーの幅が大きくて、可愛らしい感じがした。ヒダのない、淡いライラック色のミディのスカートがよく似合っている。

田原とあるくと、179センチの、かなり長身で、髙いヒールに乗せると、キリマンジャロの山のように高く見える。

「アフリカ大陸の最高峰。スワヒリ語で《キリマンジャロ》っていうんですよ」

「《キリマンジャロの雪》って聞いたことあるわね」と由利子はいった。

「キリマンジャロは、標高5895メートルで、アフリカ随一の山ですよね。タンザニアの北にある山で、その西側の山をマサイ語で《神の館》っていうんですよ」

「マサイ族は、コーヒー豆の栽培にじぶんたちの運命を賭けてるわよね」と由利子がいった。

「そのコーヒー豆のことを、西洋の人はキリマンジャロといっているんですよ。マサイ族は《カイ・グァイ》といっている。つまり《神の館》っていう意味なんだ。その山麓地帯でとれる豆は、ほどよい酸味と苦味があって、ここでしかキリマンジャロは獲れないそうだよ」

1936年にアーネスト・ヘミングウェイが発表した小説「キリマンジャロの雪」は、1952年に映画化された。

「――ああ、ぬれちゃった。雨がすごいのよ」といって、ママが入ってきた。それから、

「あなた、何にします?」と、男にきいた。

「ぼく、こちらの人と、おなじものを」といって、田原が飲んでいるグラスを指さした。

「ジントニックよ、それでいいの?」

「ええ」

「もう、こないわ」

「ええ」と、男はいった。

雹(ひょう)でも降っているようなパチパチッという爆()ぜるような音とともに、稲妻の閃光(せんこう)が走った。そして室内のライトが一瞬ダウンしそうになった。

「いやだあ、カミナリだわ」と、ママがいった。

「こんな天気になるなんて、いわなかったと思うけど……」と、田原がいった。

「そうよね。天気予報、あてになりませんね。あらっ、おつくりしますね」といって、ママがジントニックをつくりはじめた。

「昼間が天気だったから、きょうは、じゅうぶん楽しめた」と、田原がいった。

「あら、何を楽しんだんですか?」

「楽しみましたよ。ママのしらないところで」

「でも、由利子さんだいじょうぶ? こんなに遅くなって」と、ママがきいた。

「ええ、走って帰りますから」

「いいえ、こんな雨だもの、帰れないわよ」

「雨、雨、降れ降れ母さんと……」

「なにいってるんですか、田原さんたら……。さっき、童謡を歌いたいなんていってましたわね。きょうの田原さん、めずらしいんですよ。ちょっと酔ってしまったのかしら」

「いいえ、お酒に酔ってしまったというより、童謡に酔ってしまったみたいです」と、由利子がいって笑った。

「田原さんと休んでいけば……」

「なんですか?」

「いえね、田原さんは、NBAテレビの方だから」

「ママ、このお店は何時までやっているんですか?」と由利子がきいた。

「もう、おわりなんだけれど、きょうは田原さんがいらっしゃるから」

「ママ、ぼくのことはいいんですよ」

「ええ、もうそろそろ、わたしは帰ります。おふたりはいいのよ、ごゆっくりして」

「えっ、ママ、帰っちゃうんですか?」

「ママは、帰りたいんだって。ここにいれば」

「ママ、ぼくも帰ります」と、きゅうに男が立ちあがっていった。そしてポケットから折りたたんだお札を取りだした。

「帰ったほうがいいわね。彼女、もうこないわ。――いえね、この人の彼女のことですよ」と、ママは心配顔でいった。そのとき、また激しい閃光(せんこう)が光り、すぐあとから轟音が鳴り響いた。

「きゃーっ! 光ってから1秒で鳴ったわ。これ、近すぎない?」と由利子はいった。

田原は頭のなかで計算した。雷の光から音の間の時間が1秒のとき、鳴っている場所から自分のいる場所までの距離はおよそ340mと考えることができそうだ。光の速度は約30万km/秒、音の速度は約340mと出た。